2-1 忌むべき冒険者


 2人は日が沈む中、バナー市街へと向かった。

 ルークはギルドで依頼の報告をするが、ゴブリンの耳を入れた袋がないことに気付く。

 

「なあ……ゴブリンの巣にドレッドトロールがいたんだが、この角で依頼完了にはならねえのか?」

「すみません……依頼通りの素材でないと鑑定所に提出が出来ませんので……。もしその角を売却していただけるのなら、討伐報酬は支払われます」

「融通が効かねえな……」


 ルークは男の受付に小言を言う。


「ならいい。この依頼は辞退する」

「分かりました」


 当然ながら依頼を辞退した場合は受注料の返金などはなく、依頼の辞退や既定の日数が経っても依頼が終わらないことが多い場合は、冒険者等級が降格することがある。

 依頼を受けた冒険者が、未達成のまま投げ出さないようにするための罰則である。


「すみません私のせいで……」

「いや、袋を無くしたのは俺だ。お前のせいじゃない。それはいいがお前、今日明日は宿に泊まれても、これからどうするんだ?」

「お金は……どうにかします……」


 ルークは気まずそうなセレーネの様子に溜息をつくと、ポーチから貨幣を取り出した。


「3,000ルーンぐらいあるはずだ」

「いえ……受け取れません……私はあなたに施してもらってばっかりで……」

「そんなこと言っても、『アイアン』冒険者だと、その日暮らししか出来ねえぞ。」


 ルークはセレーネに貨幣を押し付ける。


「後はお前の好きにしろ。まずブロンズぐらいのパーティーでも探して、金を貯めるんだな」


 ルークはセレーネに背を向けると、ギルド集会所を後にする。


「ルークさん……ありがとうございました……!」


 ルークはその声に構うことなく、自宅へと向かった。

 

 

 自宅へ着くとルークは着ていた防具を乱雑に脱ぎ捨て、月明かりが差し込むベッドへと飛び込む。


「はぁぁ……金がねえ……」


 ルークは今回の依頼で多くの物を失った。主武器であったロングダガーにバックラーや消耗品の数々、そしてセレーネに数日分の生活費まで渡してしまい、代わりの装備を賄うことも出来なくなった。

 唯一の収穫出来たのはドレッドトロールの角だけであるが、今のルークでは角を加工するための資金すら工面出来ないだろう。

 

「あいつ……どうするんだろうな」


 ルークは最後の1本になったスローイングダガーを、月明りに反射させながら、先ほどまで会っていた少女を想う。

 艶やかな銀髪は肩のあたりまで伸びており、造形の整った顔には見る者の姿を写しだす、清純な蒼の瞳が輝いていた。彼女の穏やかな声と礼儀正しい言葉遣いは、相手に柔和な印象を与えるだろう。

 誠実な態度は年頃の少女より大人びた印象を与え、標準的な体形に不似合いな豊かな胸部は見る男の庇護欲をそそり立てていた。

 

「くそっ!」


 ルークは苛立ちをスローイングダガーに乗せると、ダガーは木の壁に深く突き刺さった。

 

「くだらねぇ……」


 ルークは目を瞑り、眠りに落ちた。

 

 

♢ ♢ ♢



 翌朝、ルークはギルド集会所へと向かう。彼は一昨日、洞窟に捨ててきた武器を回収する予定だったが、ひとまず朝食を取ることにした。

 空腹にを覚えたルークはテーブルに着くと、肉料理を頼んだ。

 

(武器を回収出来たら、少なくとも1万ルーンにはなるだろう……。出来ればあの角を加工したいが……問題は……)


 ルークは失ったロングダガーの代わりに、ドレッドトロールの角を武器に加工することを考えていたが、彼の試算だと1万ルーンでは全く足りていなかった。

 溜息を付くルークに料理が運ばれてくる。テーブルにはウサギのローストにレンズ豆や玉ねぎを煮込んだスープと、豪華な朝食であり彼の所持金はもう殆どなかった。

 腹立たしさを嚙み砕くかのように豪快にローストを食べるルークであったが、咀嚼中にとある人物を見かける。


「いっぱい食べたかな、セレーネちゃん。俺らの奢りだから遠慮するなよ」

「今回の依頼はちょっと長旅になりそうだからなぁ。今のうちに食っときな」

「はい、ありがとうございます……」


 若干萎縮気味なセレーネは5人の男たちとテーブルで食事をしていた。テーブルには空き皿がいくつも並んでおり、豪勢な食事の跡が見受けられる。

 セレーネを中心に取り囲むように席に着く男の中には、これ見よがしに大きな金の認識票をスポールダーに装飾している者もおり、おおよそなパーティーの実力が伺える。

 認識票は自身の力を表す最も確かな指標であり、装備に埋め込み、己の実力を誇示する冒険者も多い。


(何だあいつら……)


 ニタニタと笑いながらセレーネと会話を交える男たちを、ルークは忌々しそうに監視する。


「セレーネちゃんって魔法師なんでしょ? どんな魔法が使えるの?」

「攻撃魔法は使えませんが、身体能力を強化させる魔法や治療魔法も使えます……」

「「「おぉぉ~~!」」」


 男たちはセレーネをおだてる様に沸き立つ。『アイアン』の魔法師がそれだけの魔法を使えたら驚くのも当然であろう。しかし男たちは含みのある笑みを浮かべていた。

 

「一目見た時から何か違うと思っていたが、やっぱセレーネちゃんはすげえな!」

「支援魔法は頼もしいねぇ……これはセレーネちゃんとは、長い付き合いになりそうだねぇ……!」

「けど安心して! 俺らつええから魔法なんか使う前に終わるよ!」


 セレーネの右に座っていた長身の男が彼女の肩を揉みながら話すと、他の男たちも下卑た視線を彼女に向ける。

 

(あの目だ……!)


 男たちはルークがこの世で最も忌むべき表情を浮かべていた。

 ルークは男たちの下卑た笑みを目撃した瞬間、沸騰した鍋の蓋を開けたかのように頭に熱が巡り、熱せられた血液は心臓の鼓動を乱していた。

 強烈な眩暈で視界がぼやける中、ルークはは委縮するセレーネを見つめる。


「それじゃあ行こうかセレーネちゃん……!」

「はい……」


 男たちとセレーネが席を立つと、ルークは握りつぶさんばかりに締め上げた右手のナイフを、テーブルに深く突き立てた。


「待てよ」

「なんだぁ……?」


 ルークはセレーネのそばにいた小太りな男の肩を掴み、強引に振り向かせた。


「おう、何か用か?」

「お前……この女をどうするつもりだ……」

「はぁ?」


 ルークの押し殺した声とは裏腹に、男たちはニヤニヤと笑っていた。

 

「どうするも何もなぁ?」

「俺たちはセレーネちゃんとパーティーを組んでるだけだが? なぁ、セレーネちゃん?」


 奥にいた1人が浮ついた調子でセレーネの肩に手を置くと、彼女は覇気を感じさせない声で説明する。


「ええ、ルークさん……そうなんです……私がパーティーを探していたところ、この方たちに声を掛けていただいて……依頼報酬は私と半分ずつでいいとのことで……パーティーを組むことになりました……」

「何? おめえ、こいつの知り合いなのか?」

「いや……」


 ルークは反射的に否定してしまい、自身の嘘に酷く後悔した。


「だったらおめえには関係ないだろうがよ、出しゃばってくんじゃね! 行こうかセレーネちゃん……」

「ルークさん……」


 金属のラメラ―アーマーを着た小太りな男は、セレーネに話しかけるときだけ声色が変わり、先頭を歩く様子から、彼がパーティーリーダーなのだろう。

 彼はセレーネを抱きかかえるように背中に手を回すと、ギルド集会所の出口へと歩き出し、他の男たちも後に続く。

 ギルドの規定に何も反していない男たちを、糾弾する資格はルークにはない。彼は男たちの後ろ姿を見ながら、拳を固めることしか出来なかった。

 そんなルークに1人の男が耳打ちする。


「そういう訳だからよぉ……へっ……可愛いセレーネちゃんは旅の途中、俺らが大事に大事に扱うから……お前は心配するなよ……」


 その瞬間――ルークの握られた拳は、男の顔面へと向かう。

 

 ルークによって殴られた男は、他のテーブルへ突っ伏すように倒れ込んだ。テーブルに並べられていた食器がガシャリと豪快に散り、賑やかだった集会所内に静寂をもたらした。

 4人の男たちとセレーネは突発的な騒音に振り返る。


「……てめえ……やりやがったな……!」

「おい、やっちまおうぜ……!」


 3人の男たちはお互いに顔を見合わせると、ルークに向かい走り出し、拳を掲げた。

 ルークは1発、2発と飛んできた拳を避け、すかさず顔面に向かってきた拳に反射的に左手を合わす。しかしルークの左手にはバックラーが無く、向かってきた拳をどうにか往なそうとするが、拳の一撃はルークの顔に届いた。

 左手を挟んだことにより、直撃は免れたルークだったが一瞬たじろいでしまう。合間を縫うように3人の男たちは一斉にルークに飛び掛かり、ルークはそれを防ぐことは出来なかった。


「こいつ! 調子に乗りやがって……!」

「すこ~し痛い目に合わせるか……!」


 ルークは男たちの殴り、蹴りの応酬を受け続けた。ゴブリン6体を相手に出来るルークだったが、それは事前に先手を打てる策がある場合の話であり、狭い室内で同時に、真正面から相手をするとなると事情が変わってくる。

 魔法を使わずに素手で人間3人を捌くほど、ルークは強くなかった。

 ルークは腹部に飛んでくる蹴りを受けると、盛大にテーブルに突っ込んだ。先程まで男たちが食事をしていた、空きの食器が床に飛散する。


「なんでこんなこと……止めてください!」

「セレーネちゃんよぉ……そんなこと言われても、先に手を出したのはあいつだぜ?」


 セレーネは小太りの男に止めさせるように求めるが、男は否定を続ける。


「別に俺は止めても構わねえが、殴られたあいつはそうじゃねえんじゃねえか?」


 小太りの男は顎で指し示すように顔を向けると、ルークに顔面を殴られた男が起き上がる。

 

「はぁぁ……痛ってぇ……」

「はっ、お前鼻血出てるぞ」

「くそがっ!……俺にもやらせろ……」


 顔面を殴られた男は起き上がるルークの元へ向かうと、顔面に重い拳を叩きつける。攻撃を受けたルークは再び地面に転がる。

 喧騒を見物していた周りの冒険者たちは、次第にざわめき始めた。

 

「なあ、そろそろ止めたほうがいいんじゃないか?」


「誰か止めなきゃまずいだろ……」

 

 集会所内での冒険者による喧嘩は少なくはない。お互いの実力が拮抗していれば囃し立てる者もいるほどであり、見物人からしたらある種の娯楽でもある。しかし今の状況は喧嘩とは言えず、集団での一方的な暴行であった。

 そんな状況を見ていた周りの冒険者が、仲裁に入ろうかとしていた空気感の中、場は小太りな男の一声によって掌握された。


「思い出した……! おいおめえら! このガキはルークって奴で、色んな悪行を働いてきたって噂のクソガキだ!」


 小太りな男が発する大声に、ルークを殴りつけていた男たちも注目する。


「名前を聞いて思い出したぜっ……こいつはなぁ……店のもんや人の装備を盗んだり、挙句の果てには駆け出し冒険者を騙して、報酬金までかっさらってるとんでもねえ冒険者だ……!」

「あなた……! 何てことを言うんですか!」


 横にいたセレーネは小太りな男を咎めるが、男は彼女を無視し、観衆に向けて演説する。

 

「だからよぉ……このクソガキには罰を与えないといけねえよなぁ? おめえらもそう思うだろ!?」


 小太りな男が観衆に向かい叫ぶと、仲間である1人の男が彼に同調した。


「俺も思い出したわ……! ルークって言えば、この街で噂になってるコソ泥だろ? 俺もこの前、金をすられたんだがこいつのせいなんじゃねえのか!?」


 観衆の視線が今にも倒れそうなルークに集まる。


「あいつって1人でずっと依頼を受けてる奴だよな……?」


「ちょうどこの前、知り合いの冒険者が若い冒険者に報酬金を盗まれたって言ってたな……」


「こいつらの言ってることも、もしかしたらそうなんじゃねえか……?」


 冒険者たちの噂は次第に大きくなっていき、ルークに向けられていた視線が蔑みへと変わっていく。


「だったらお仕置きしねぇとな!!!」

「……ぅぐっぁ……!」

「二度と調子に乗れないようにしないと……なっ!!!」


 民意を獲得した暴力ほど恐ろしい物はないだろう。彼らにとってルークへの暴行は報いであり正義である。それが小太りな男の偽言だったとしても、大衆側に立つ男たちは善なる力を行使できる。

 

「今すぐ止めてください!」


 セレーネは差し迫る態度で小太りな男の腕を掴む。しかし男は髭を撫でながら返答する。


「嘘ってのは怖えよな……でっち上げたことでも、周りが認めれば真実になっちまう……」

「あなた……なんて酷いことを……!」

「悪いのは全てあいつだぜ。いきなり殴ってきたら、ああなるのは仕方がねえだろ」


 セレーネは言い訳をする男に糾弾することを諦め、殴られ続けるルークに先端が破損した杖を向ける。


「魔力よ、その者の庇護の壁となり……」

「おっとそれはいけねえな」

「んぐんっっ!!!」


 男は魔法を詠唱するセレーネの腕を掴むと、自身に引き寄せ口を塞いだ。


「大丈夫だ死にはしねえよ……まあ、歯止めが効かなかったらイッちまうかもしれねえが……がははっ!」

「……んぐ……んっっ!!!」


 セレーネは必死にもがくが、体格に差がありすぎる男に勝てるはずもなく、為す術がなかった。

 しかし突如、1人の青年がルークと男たちの間に割って入った。


「いいかげんにしろお前ら!」

「あぁ? 何だてめぇ……」

「お前、こいつの仲間か?」


 青年は男たちに食い下がることなく、声を張り上げる。


「何があったか知らないが、これ以上騒ぎになれば困るのはお前らだ! それでもやるって言うんなら……!」


 そう言うと、青年は握りしめていたスピアと金属製のラウンドシールドを男たちに向けた。

 冒険者同士で武器を用いた争いは当然ながら御法度であり、もし武器を用いて人に傷害を負わせた場合、ギルドに捕まり非常に重い刑を科せられることになる。

 青年もそれを知っていながら男たちに喧嘩ではなく、命のやり取りを迫った。


「お前何本気になってるの?」

「はぁ……面白くねえ……」

「もう飽きたわ、行こうぜ」


 青年の差し迫る気迫に負けた男たちは、小太りな男に合流する。

 青年は武器を下すとルークに駆け寄った。


「おい! 大丈夫か……」

「……おれ……がっ……」


 袋叩きにされたルークはとても立てる状態ではなかった。

 

「ほら、暴れちゃ駄目だよセレーネちゃん」

「……んっ……んぐっっ!!!」

「へへっ……これから俺らが色んなことをいっぱい教えてあげるよ……」


 ルークはセレーネを集会所から連れ出そうとする男たちの背に手を向けると、前方に赤い火花が散り始めた。人に向かい魔法を向けるルークに、青年は身体を揺らす。


「お、おい……お前何をすんだ……!?」

「……っ……お……レが……あいつ……ら……を……」


 ルークの手の前をほとばしっていた火花に、黒色が混ざり始めると、黒炎に燃ゆる火球を形成し始めた。


「お前……そんなのをここで撃ったら……やめろ……!」

『……おまえらを……ころ……』


 黒の火球が強烈に輝き――

 

 

 

 魔法は放たれることはなかった。


「君さぁ……それを打ったら、ここにいるみ~んな死んじゃうけど?」


 突如ルークの目の前に現れた人物によって彼の手首が握られると、火球が何事もなかったかのように消滅した。

 ルークの手首を握る指は長細く、爪は紫に塗られていた。


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