第76話
凪沙の初めてのダンジョンから帰ってきたその日の夜。瑠華は一人薄暗いダイニングの椅子に腰掛け、目の前の机の上に乗った物を目を細めて見ていた。
「……顔くらい見せれば良いものを」
そう呟く瑠華の表情は、何処と無く柔らかく、そして少しの寂しさを滲ませていた。
瑠華が帰って来た時にポストに入っていたソレは、差出人不明の代物。しかし瑠華は、これが誰によって
「はぁ……どうしたものかのぅ」
手を伸ばして持ち上げれば、ズッシリとした重さが手に伝わる。パンパンとはいかずともしっかりと詰まった
「寄付金のつもりなのじゃろうが……
実はこうして差出人不明の金が入った封筒が届くのは、初めての事では無い。一個人の寄付金にしては破格過ぎるソレに、瑠華は毎度頭を悩ませていた。
基本的には施設の修繕や、設備を新しくしたり、もしくは増設する為に使っていた。…が、それも頻度というものがある。流石にひと月前に変えたばかりなのに、新しくする必要性が無い。
「はぁ……」
らしくもなく溜息を繰り返すと、先日から吹っ切れたのか遠慮無く酒を呷る。因みに度数は五十超えである。
「むぅ…何か調べてみるかの」
スマホを取り出して、酒片手にポチポチと品を漁る。【柊】の誰かに見られれば大問題にしかならない姿だが、この時間起きる子は居ないので心配無い。一応警戒はしているが。
何か【柊】全体の為になる買い物は無いものかと探すと、ある項目に目を止めた。
「訓練用遊具か……」
ダンジョンという存在が身近な存在になって数年。今では戦闘訓練にも使用可能な遊具が幾つも出てきていた。
(この先探索者になる子らが増えんとも限らんし…妾がここに居る影響を諸に受けておるからのぅ……)
始祖龍としての力を持つ瑠華は、傍で過ごすだけである程度の影響を他者に与えてしまう。なのでほぼ毎日同じベッドで寝ていた奏程ではないものの、【柊】の子達は同年代の一般的な子らより余程探索者に対する適性が高くなってしまっていた。
(まだ誤差程度で済むが……茜の一件があるしのぅ)
先日水族館でモンスター化したシャチの声を聞いた茜は、瑠華の影響を諸に受けたと言える最たる例だ。
そしてこれを機に全員の調査を行った結果、皆大なり小なり瑠華の予測を上回る影響を受けている事が判明した。今の所“覚醒”の兆候がある存在は居なかったが、それも時間の問題だろうと思う。
「……基本的にスキルを得る為のものでは無く、身体能力を向上させる目的で作られた、か」
閲覧しているサイトに掲載されていた文章を読み上げる。昨今においてコモンスキルと呼ばれる部類のスキルの取得方法は大分判明しているが、それでも不明であるものも数多い。
更に言えばそうしたスキルを幼いうちに得ることに否定的な勢力も存在しており、遊具にそうした機能をつける事が忌避される傾向がある。その結果スキルを得る為の道具というものは、今の所基本的にダンジョン協会にしか配備されていない。
「まぁ身体を強くするというのは子供にとって大切ではあるが…」
幸い【柊】の庭にあたる場所は広く、遊具を置く場所には困らない。娯楽が少ないという事も考えれば、遊具を設置するのは得策ではあるのだろう。
それを理解していて尚、瑠華が渋るような言動をしたのには理由がある。
「……その内この施設の子ら全員探索者になるのではなかろうか」
瑠華の影響を受け、ダンジョン適性が向上している子達だ。遊具による遊びを追加した場合、それが更に促進される可能性が非常に高い。
それ自体は健康に育っているという事の証明であり問題は無いが、そのせいで将来が勝手に狭まってしまう事を瑠華は危惧していた。
探索者とは危険と隣り合わせな仕事だ。そんな仕事を、自らが大切にしている子らにやらせたいなどとは思えなかった。
「……じゃがそれも妾の身勝手な意見じゃろうな」
危惧はするが、強制したい訳でも無い。好きなように自由に伸び伸びと育って欲しい。それだけが瑠華が皆に求める事であり、決して本人の意思を捻じ曲げたい訳では無いのだから。
「はぁ……」
何度目かも分からぬ溜息を吐いて、ちびちびと酒を口に運ぶ。子の将来を思う親とはこの様な気持ちだったのかと、瑠華は心底親というものを尊敬した。
「……その点で言えば、
机の上に無造作に置かれた封筒を見遣り、空になったグラスをトンとその隣へ置く。
「何はともあれ、これは妾だけで決めるものではあるまいな」
遊具を設置するにしてもその数は限られる。であれば遊具を設置するか否か、設置するとしてどれを設置するのかを皆で話し合う必要があるだろう。
「まぁ満場一致で設置が決まるのじゃろうが……」
問題視するのはその後の事。確実にどれを設置するかで激しく揉める事になるだろう。今から想像するだけで、瑠華は頭が痛くなるような錯覚に襲われる。
「妾、頭痛とは無縁のはずなのじゃがな……」
もしやガブ飲みした酒のせいかとも思うが、まず有り得ない事なので首を横に振って否定する。
「……茜、そこにおるじゃろ」
唐突に瑠華が階段の方へ声を掛ける。すると暫くは反応が無かったものの、沈黙に耐えかねたのか気まずげな表情を浮かべた茜が漸く姿を現した。
「何をしておる、こんな深夜に」
「えと、その…るー姉とお話、したいなって」
「話? それならば朝でも良かろう」
「…皆、居ない時がいいの」
「………そうか。では茶でも用意するかの」
キッチンに向かってカップを二つ取り出し、カフェインが入っていない紅茶を淹れる。そしてそれを持ってダイニングへと戻り、瑠華の対面に座った茜の前へ置いた。
「ありがと…」
「礼には及ばん。……それで話とは何じゃ?」
紅茶で口を潤し、茜が何かを言おうとして口を開くも、言葉が思い付かないのか直ぐに閉じてしまう。
「……言い難い事か?」
その言葉に、茜が少し戸惑いながらも静かにこくりと頷く。
「であれば妾が思考を直接読む事も出来るが?」
「それ、は…やだ」
「ならば直接話してもらわねば、妾とて分からぬ。急かすつもりは無い故、ゆっくり話すと良い」
「うん……」
チラチラと眼差しを瑠華へと向け、悩むようにうんうんと唸る。少しばかり頬が紅くなっているのを見るに、恥ずかしさがある事を言うつもりなのかと瑠華は首を傾げた。
「……あの、ね」
じっくりと時間を掛け、漸く茜が口を開く。
「るー姉の“大切”になるには、どうすればいい…?」
「………ん?」
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