第73話
そのまま時折モンスターが瑠華に驚愕した様子を眺めながら順路通りに進むと、もう間もなくイルカのショーが始まるというアナウンスが館内に響いた。
「行ってみる?」
「そうじゃな。立ち見出来るのであればそれでも有りかとは思うが……」
「流石に座らせてあげたいねぇ」
人の流れに乗りながら、イルカのショーが行われる屋外プールへと向かう。
そうして辿り着いたプールには既に多くの人が集まっており、前から順に満員となっていた。
「ふむ…最後列ならば座れそうじゃな。どうする?」
「いいんじゃない? 妥協も時には必要だろうし」
「次は後ろすら空いてないかもしれない」
「それもそうか。ならば今見るかの」
凪沙の言葉も一理あるとして、最後列に座ってショーの開始時刻を待つ事に。かなり目の前のプールからは遠くなってしまうが、見えない訳でもないので問題は無いだろう。
奏や凪沙、紫乃達と談笑しながら待つ事数分。いよいよ音楽が流れると同時にショーが開演した。
「おぉ〜!」
イルカが勢い良く飛び跳ねる度、奏達がキラキラとした眼差しで感嘆の声を上げる。一般的なイルカショーと何ら変わりないが、それでも初めて間近で見る事が初めてである【柊】の面々からすれば十分満足する内容であった。
(…あれもモンスターの類いじゃな)
そんな中で、瑠華は違う観点からイルカショーを見ていた。動物とは違いモンスターは魔力を持っているので、龍眼で見れば一目瞭然である。
(まぁ今回ばかりは距離が離れていて助かったやも知れんのう)
もし中段以下の席に座っていた場合、ショーどころでは無くなっていたであろう事が易々と想像出来る。今日の水槽に居たモンスター達の反応を見ていれば尚更である。
着々とショーは進み、役目を終えたイルカが別のプールへと移され、次に入ってきたのは三体のシャチ。それぞれがトレーナーに近付いて甘えた鳴き声を上げる中、瑠華は顔を顰めた。
(……契約されておらん。そもモンスターだと気付いておらんようじゃ)
三体の内の一体。最も身体の小さなシャチ。それだけが動物ではなくモンスターであり、契約された痕跡が見受けられない。
動物とモンスターを同列に扱うその様子から、おそらくは目の前の存在が魔物だと気付いていないのだろう。
(…いや違うな。
搬入された時点でモンスターであると気付かなかったとは、どうにも考えづらい。ならば元は動物であり、そこからモンスターに変質したと考えるのが妥当だろう。
「瑠華ちゃん? そんなに顔を顰めてどうしたの?」
「む……いや、少しな」
奏は勿論目の前のシャチがモンスターだとは思っていない。気付けるのは普段から魔力の流れを観察しているような者だけだ。
その点で言うと紫乃も気付いていたようで、どう対応するのかを求める様な眼差しを瑠華へと向けていた。
瑠華としては、ここで手を出すのは正直憚られる。しかしそれで放置した場合、何が起こるのかは予想出来ない。
どうすべきか悩んでいる内に、ショーは見せ場を迎えた。宙に吊り下げられたボールへ順番にシャチが飛び上がって、尾鰭でそのボールを叩く。
そして最後にモンスター化したシャチが飛び上がった瞬間、瑠華は咄嗟に大規模結界をプールの縁に沿わせて展開した。
「瑠華ちゃん!?」
「黙っていろ奏」
「っ…」
珍しい瑠華の強い言葉に、奏が息を呑む。
「瑠華様。先程のは…」
「彼奴の尾鰭に魔力が流れておった。結界の損耗具合から考えるに、風の刃を放つ魔法じゃろう」
「振り抜く事で発生したのですか…」
結界は基本的に無色透明で不可視の存在だ。しかし今回の場合は瑠華が慌てたというのもあり、透明度の高い赤色で構成されてしまった。これは極めて高い防御力を誇る結界の特徴であり、そのせいで目視できる状態になってしまった為に辺りが騒然とする。
「どうなさいますか?」
「ここからならば魔力は届く。少し手荒じゃが、無理矢理
モンスターをただの動物にするのはかなり面倒だが、動物からモンスターになった存在を元に戻すのはそこまで困難な事では無い。
今回の場合モンスター化したシャチは、自らがモンスターになった事を自覚していない可能性がある。先程の魔法に敵意は込められていなかった事を考えると、その仮説はおそらく正しいだろう。であれば抵抗もほぼ無いと思っていい。
「る、瑠華ちゃん…? 何の話…?」
「……目の前のシャチ。その中の最も身体の小さい個体。それがどうやらモンスター化しているようなのじゃよ」
「え…?」
奏が思わず絶句する。なにせモンスター化という言葉すら聞いた覚えが無いのだから。
「そんな事が起きるの?」
「詳しい事は分からん。じゃが現に目の前で起きておる」
動物が魔物化する原因に心当たりはあるものの、魔物とモンスターは似て非なる物という認識がある。故にその原因と同じかは分からないのだ。
(調べてみるのも有りではあるが、如何せん状況が状況じゃ。手早く済ますかの)
スタッフやトレーナーが慌ただしく瑠華の結界について調べている隙に、モンスター化したシャチへと干渉する。その瞬間干渉されたシャチが違和感に気付き、困惑したような鳴き声を上げた。
それはただのシャチと変わらぬ鳴き声。しかし、それに“言葉”を見出した存在が居た。
「るー姉待って!」
「っ!?」
血相を変えて茜が瑠華へ抱き着く。それに対し驚きつつも、取り敢えず言われた通り干渉を止める。
「茜、どうしたのじゃ?」
「『痛い』って、あの子が」
「……もしや、声が聞こえるのかえ?」
茜自身もよく分かっていないからか、戸惑いながらもゆっくり頷いた。
「よく、分かんないけど…あの子、嫌って」
「嫌であろうと放置する訳にはいかぬ。彼奴をこのままにすれば、いずれ死者が出るぞ」
「っ…」
普段の優しく頼みを聞いてくれる瑠華は、そこにはいない。いくら茜の頼みであろうと、当人が嫌がっていようと、脅威になる存在を放置する訳にはいかなかった。
「あの子、小さくて、力も弱くて、ショーに出られなくて…だから、今強くなれた事が嬉しいんだって…るー姉お願い…!」
「………」
シャチの事情など知った事では無い。制御不能な力が最も恐ろしいのだから。
しかし瑠華の服を掴み、涙を浮かべて必死に懇願する茜に対して、何も思わない訳でもなかった。
「……はぁ」
溜息を吐いた瑠華に、茜が目を輝かせる。それは瑠華が折れた時に良くする仕草だった。
「力は奪わぬ。しかし魔力回路だけは弄らせてもらうぞ」
「う、うん…よく分かんないけど、あの子がショーを続けられるならそれでいい」
モンスターから動物に戻す事は諦めるが、今後魔法やスキルは使えないよう身体を弄る。使えたとしても、ある程度の身体強化のみになるだろう。
干渉を終えてシャチが調子を確認するかのように泳ぎ、それに満足したのか嬉しげに鳴いた。
「るー姉ありがと」
「…いや礼には及ばん。妾も少し焦っておったようじゃのぅ」
モンスターから動物に戻したとして、その後のことには意識が向いていなかった。モンスター化したお陰で手に入れた身体能力でショーを行っていたのならば、それを失った場合の行く末は悲惨であろう。
対処を終えて結界を解くも、流石にこのままショーを続行する判断にはならなかった。
「すまんのぅ…」
「ううん。瑠華ちゃんが動いたって事はそれだけ危険があったんだろうしね」
最後の最後で残念な事になってしまったが、奏としては不満など無かった。それだけ瑠華の行動には理解があると言える。
「ご飯食べて帰ろっか」
「そうじゃの。ここはレストランも有名なようじゃし」
あくまで帰るついでに寄った場所なので、午後までいるつもりは無かった。まだまだ満喫してはいないだろうが、こればかりはどうしようも無い。
「満足出来なかったなら、また来ればいい話だしね」
「今度は瑠華お姉ちゃんと二人で来たい」
「あっ、抜け駆け狡い!」
「狡くない。かな姉はダンジョンで独占してるんだから譲るべき」
「あれはお仕事だもん!」
ぐぎぎと二人がいがみ合い、その隙に茜が瑠華へと近付く。
「るー姉、あの、ね…」
「ん? どうした茜」
てっきりまた手を繋ぎに来たのかと思えば、目の前でもじもじとして言葉を濁らせる茜に首を傾げる。
「その…さっきの事なんだけど…」
「あぁ…言葉を知る力について知りたいのじゃな?」
正解だったのか、茜が激しく頷く。その様子に苦笑しつつ、瑠華が口を開いた。
「とはいえ妾も詳しくは分からん。帰ってから調べさせてもらおうと思っておるが、それで良いかえ?」
「うん! 楽しみにしとく!」
満面の笑みを浮かべ、茜が瑠華の手を取る。それに微笑みを零しつつ、先ずは目の前で言い合いをしている二人を窘める為に口を開くのだった。
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