第71話
次の日。慣れない旅行で疲れていたお陰で良く眠れたのか、一番最初に目を覚ましたのは珍しくも奏だった。
「ぅん……?」
「おや、奏が一番乗りじゃな」
「っ…お、はよ…」
なにやら気まずそうな奏の様子に、思わず瑠華が苦笑する。
「顔を洗って来ると良い。そろそろ朝餉も届くじゃろうしの」
「わ、分かった」
目線を下に向けて瑠華と目を合わせないようにしながら、奏が足早に洗面所へと消える。
「……ぎこちないですねぇ」
「起きておったのか」
「つい先程。痛た……」
奏が起きて少ししてから、紫乃もまた目を覚ましていた。昨日口にした酒の影響か、痛む頭を押さえて布団から起き上がる。
「水は要るかの?」
「…お願いします」
瑠華がグラスに注いだ常温の水を手渡し、ゆっくりと口に含む。
「うぅ……」
「舐めただけじゃろうに、重症じゃのぅ」
「……私、お酒はあまり強くないので」
「……珍しいのう?」
紫乃の鬼人という種族の元となっている鬼は、皆等しく酒豪であるという印象が強い。実際それは当たっているし、紫乃が珍しい方である。……まぁそれでも、度数七十超えの酒をストレートで飲む馬鹿は流石に居ないが。平然と飲める瑠華がおかしい。
瑠華が紫乃を介抱している間に、顔を洗いに行っていた奏が戻って来た。
「あれ? 紫乃ちゃん体調悪いの?」
「いや、少し休めば問題なかろう」
「そ、そっか」
「……奏。そうも余所余所しいのも却って見苦しいぞ」
「うぐっ…」
「…まぁ良かろう。今日の予定じゃが、このまま帰るというのも味気無いと思うての。この近くに水族館があるらしいのじゃが、そこに寄るのはどうじゃ?」
「え、水族館…?」
「嫌かの?」
「いやっ!? 全然ダイジョウブ!」
「……」
いきなり片言になった奏に疑問符しか浮かばないが、朝から調子がおかしいので放置する。
そして奏が何故そうも挙動不審になったかと言えば。
(水族館…デート? デートじゃん!?)
ガッツリ意識していたからだった。ついでに混乱もしている。取り敢えず落ち着け。
「おあよ〜…」
「おはようじゃ。凪沙は三番目じゃのぅ」
続いて寝ぼけ眼で起きてきたのは凪沙である。のそのそと起き上がると、ボーッとした頭で座椅子に座る瑠華に近付き、その太腿に頭を乗せた。
「んー…」
「これ。妾で二度寝するでないわ」
「眠い…もうちょっと…」
グリグリと額を押し付けイヤイヤと駄々を捏ねる凪沙に、瑠華が溜息を吐きつつも頭を撫でて落ち着かせる。
「凪沙が妙に積極的…」
その光景に思わず奏が唖然とした表情を浮かべる。ここまで凪沙が積極的に瑠華にアピールするという状況は、今までに覚えがない。
そしてそんな声が聞こえた凪沙はと言うと…
「……ふっ」
「っ!?」
優越感を滲ませる笑みを奏へと向け、鼻で笑った。それで奏は、凪沙の寝ぼけが演技であった事を知る。
「紫乃。皆を起こしてくれるかの?」
「……かしこまりました」
瑠華からの頼みで紫乃が皆を起こしに掛かるその間、奏と凪沙は互いに睨み合い、バチバチと激しく火花を散らしていた。
当然それには瑠華も気付いていたが、口を挟むと対処が面倒そうだったので放置していた。触らぬ神に祟りなし。……瑠華はどちらかと言うと祟る側だが。
紫乃によって皆が起こされ朝の支度が終わったところで、丁度部屋に朝食が運び込まれる。その席で瑠華が水族館に行くのはどうかと話題に出せば、当然の事ながら反対意見は出なかった。
「班分けは?」
「今回は皆で回るのも良いかと思っておるのじゃが、どうじゃろうか?」
遊園地とは違い見て回るのが目的なのだから、わざわざ班分けを行う必要も無いだろうと瑠華は思っていた。これには昨日の午前で辛酸を舐めた奏も御満悦である。
「にしても水族館かぁ……どんな所なんだろ」
「遊園地も水族館も、共に未経験の場所じゃからのぅ」
「ん。楽しみ」
「確か友好的なモンスターの展示もあるんだっけ?」
ダンジョンという物が現れてからというもの、動物園や水族館、博物館等といった展示を行う場所の在り方は随分と変化していた。今回行く事にした水族館も例に漏れず、友好的なモンスターの展示が行われているそうだ。
「友好的、のぅ…?」
その謳い文句に違和感を覚えるのは、瑠華にとっては当然だった。魔物とは屈伏させて初めて意思の疎通が出来るようになるのが当たり前だからだ。
(契約しているのであればそれで良いが……まぁ妾が首を突っ込む必要も無い事じゃな)
レギノルカであったのならば少々口を挟む事もあろうが、今はただの瑠華である。身に掛かる火の粉は払うが、対岸の火事をわざわざ鎮火する理由は無い。……目に入ったら流石に放置はしないだろうが。
「大丈夫なのでしょうか…?」
「これまで問題が起きていないのであれば、大丈夫じゃろう。それにもし何があったとしても妾がおるからの」
「…その言葉の安心感が凄いですね」
思わず苦笑いを浮かべるも、その言葉に偽りが無い事は紫乃が一番良く理解していた。
(龍人形態の瑠華様は凄まじかったですからね……)
瑠華と出会った時には欲に呑まれていた紫乃だったが、何もその時の記憶が無い訳では無い。その絶望的なまでの純粋な暴力を味わった感覚は、この先決して消える事は無いだろうと紫乃は思う。
「そんなに危険かな?」
「危険はそう無いじゃろうが…普段問題が無いからと言って、今日も問題が起きないとは限らんからの」
「そういうもの?」
「心配するに越したことはないというだけじゃよ。もし問題が起きたとしても妾が対処する故、安心して楽しむが良い」
「……瑠華ちゃんそれで楽しめる?」
「おや、妾を心配出来る立場かえ?」
「ぅ…」
クスクスと笑う瑠華に、奏は言葉を詰まらせる。瑠華を心配出来るほどの実力が無いのは、ついこの前に身を持って実感したばかりである。
「少し言葉がキツかったのぅ」
「あ…」
瑠華が眉を下げて奏の頭を撫でる。それだけで萎んだ気分が持ち直すのだから、現金なものだと内心奏が苦笑する。
「まぁ心配する必要は無い。妾は皆が楽しく過ごしている様子を見るだけで十分じゃからの」
「…うん」
「瑠華お姉ちゃん。私も私も」
奏の事を羨ましそうな眼差しで見詰めていた凪沙が、自分の頭を瑠華へと差し出す。
「珍しく甘えん坊じゃの?」
「……ん。これくらいしないと無理だと思った」
「何が無理なのか分からんのじゃが…」
「瑠華お姉ちゃんは知らなくていい。かな姉との戦いだから」
「………まぁ深くは聞かないでおこうかの」
――――――――――――――――――――
瑠華(……全部筒抜けだと知ればどう反応するのじゃろうな?)
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