第61話
いきなり模擬戦をしないかと言われ、奏の思考が停止する。紫乃が鬼人である事は知っているが、人間とほぼ変わらないのだから戦う事には忌避感があった。
「紫乃、いきなりどうしたのじゃ? 動きたくなったのか?」
「少し身体を動かしたいという思いが無い訳ではありませんが、奏様のお役に立ちたいというのが本音でございます」
「私の?」
「瑠華様のお隣に立つには、それなりの経験では不十分でしょうから」
「っ…」
今でこそFランクの探索者としてはかなり強い部類になっている奏ではあるが、それでも瑠華には遠く及ばない事を自分自身良く理解していた。このままダンジョンに潜っても、一向に追い付ける可能性が低いという事も。
「ふむ……奏がやりたいのであれば場所は用意するが、どうするかの?」
瑠華としても紫乃が鍛えてくれるのであればそれに越したことはない。しかしあくまで優先すべきは奏の意思だと思っていた。
「…お願いしていい?」
「構わん。さて…[仮想結界]がこの場合は適切かの?」
「それで問題無いかと。しかし痛覚は……」
「切るべきか否か、か……」
「えっとぉ…話についていけないんだけど?」
いきなり瑠華の紫乃が話し出した内容が全くもって理解出来ず、奏は困惑しっぱなしである。
「ん、すまんすまん。簡単に言えばその結界内部では死ぬ事が無いというのが[仮想結界]じゃ。その際痛覚を無効化するかは選べるのじゃが…」
「あー…なら有りでお願いしていい? 痛みを伴わない教訓には意義がないって言うし」
「奏がそう言うのであれば構わんが……よし、二人とも手を貸すのじゃ」
瑠華に言われた通り、差し出された手に自らの手を重ねる。するとその瞬間ふわりとした浮遊感が襲い、更にその次の瞬間には一気に落下する感覚が。
「えっ!?」
以前感じた事のある感覚に思わず驚くも、気が付けば辺り何も無い真っさらな空間が広がっていた。
「ここは…」
「ここが瑠華様が創り出した[仮想結界]でございます。簡単に申しますと、思考空間ですね」
瑠華が使った[仮想結界]とは、思考の中に空間を保持する為の結界を創り出し、そこに自分や他者の意識を入れ込むというものである。そして仮想であるが故に、この中では怪我は勿論死ぬ事も無い。
「つまり私の身体はまだ【柊】にあるの?」
「そうなります。今は眠っている状態ですね」
意識を思考深くに入れ込んだ場合、身体は眠った様な状態になる。なので今は瑠華が二人を部屋へと運び、ベッドに寝かせている。
「成程…ここで模擬戦なのね」
「思考空間ですから現実との差異は多少ありますが、基本はいつも通りに動く事が出来ます。そして武器も…この様に」
紫乃が思い描くだけで、その手には一本の杖が。その先端には金色の装飾が施されており、床にその杖の端を打ち付けると、シャン…と清らかな音を奏でた。
「うーん…“無銘”! おぉ、出てきた」
ポンッという音が合いそうな勢いで見慣れた刀が奏の前に現れる。鞘から抜いても本物と遜色無いように思う。
「では模擬戦…なのですが、私と戦って頂く訳ではありません」
「そうなの?」
「はい。奏様はまだ人間の様な知能を持つ存在に刃を向けた経験が無いでしょうし、今後ある可能は否定出来ませんが今は必要なさそうですので」
確かにと奏は納得する。人
「ならどういう模擬戦?」
「所謂搦手を使う相手を想定した模擬戦ですね。例えば……〖鬼人術・呪縛〗!」
「わわっ!?」
鬼人術とはその名の通り鬼人が扱う術であり、簡単に説明するならば鬼人専用の魔法のようなものである。
紫乃が使った〖鬼人術・呪縛〗は相手の行動を阻害し、身動きを取れなくするというものだ。なので今それをモロにくらった奏は全く身体が動かせない状態である。
「この様に突然身動きを取れなくされた場合などの対応や、そもそもの対策を行います」
「なる、ほど…駄目だこれ、全然動けない」
「掠っただけならば抵抗もし易いのですが、真正面から掛かりましたからね」
「うわぁ…これ瑠華ちゃんならどうするの?」
「瑠華様は引き千切りましたね」
「えぇ……」
わりとガチめにドン引きした奏であった。
「まぁそれも瑠華様の抵抗力が高いが故ですが」
「じゃあ私は抵抗力が低いって事かぁ」
「簡単に言ってしまえばそうですが、正直私の鬼人術に抵抗するのは至難の業ですね」
「無理ゲーじゃん……じゃあどうやって模擬戦するの?」
「意図的に呪縛の効力を弱め、その状態で私が用意した敵と戦っていただきます」
「弱める…おぉ動く」
先程まで全く身体が動かなかったのだが、紫乃が弱めた事でやっと動かせるようになった。それでもまるで水の中にいるかのような抵抗感が残っているが。
「この状態で戦うの?」
「はい。呪術系…こちらではデバフと言うのでしたか? それに対する抵抗力を高める事を目的としています」
「成程成程。じゃっ、早速やろっか!」
「威勢が良いのは大事な事です。さて……〖式神召喚・魔鳥〗、〖式神召喚・魔狼〗」
スキルを行使した瞬間、紫乃の両隣に白い鳥と狼が現れる。
「召喚獣?」
「似たようなものですね。違うのはこれらに自我が無い事です」
「自我が無い…」
「言ってしまえば命よりも物に近い存在ですね。とはいえ、今の奏様ではかなり厳しい相手である事に変わりありません」
「うっ…」
「死にはしませんが、痛覚は奏様の要望によって有効化されています。お気を付けを」
「ふぅ…分かった。よしっ」
パチンと頬を叩いて気持ちを切替える。未知の相手である以上何をしてくるかが分からないのは不安要素でしかないが、そんな状況は今後幾らでも出て来る。ここで後込みしては瑠華に近付くなど不可能だ。
「何時でもいけるよ!」
「では…参ります!」
紫乃が杖を鳴らすのと同時に、遂に式神が動き出した。
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