光の狐と翠の人魚(プレビュー版)
待夜 闇狐
第1話 光の狐、未だ発展途上
――埼玉北ダンジョン
その冒険者――正式名称は「魔窟内採取従事者」だ――の男は、片手剣を右手に、盾を左手に持って構えを取りながらも、心の中では絶望していた。なぜなら、目の前にとても強力なモンスターがいるからだ。
しかし、そのモンスターは一見してそうとは見えないだろう。少なくとも彼女の上半身は、小学校高学年の少女のような見た目をしている。白くて短めの髪を生やし、その上にはハート型をしたアホ毛を持ち、トップスとして白いノースリーブの和服を着ている。また、腕には黒い蛇のような入れ墨を入れている。
ただ、その下半身を見れば、彼女が人間でないことが分かるだろう。人間の脚があるはずの部分には、その代わりに白くて太い蛇の胴体のようなものが生えている。そう、彼女の正体はラミアなのである。人体と蛇体の境目は薄桃色のスカートで見えないが、それをめくれば境目を見ることが出来るであろう。めくる勇気があれば、だが。
そして、その蛇体には、3つの膨らみが見える。尻尾からほど近いところに見える2つは小さいが、人体に近いところにある膨らみは、何やら緩く人の形を
鋭い読者の諸兄はお分かりになったであろう、本来であれば男の隣りにいたであろうパーティメンバーの3人は、このラミアに呑み込まれてしまったのである。そのうち2人は既に
「あらら~、最後の1人になってもまだまだ戦う気ー? 4人で束になっても私に勝てないのにー」
ラミアの女の子は、口に手を当てて生意気そうな表情で笑う。彼女は、その強靭な尻尾による叩きつけでまず1人を絶命せしめ、冒険者パーティの陣形が崩れたところを急襲して2人目を生きたまま呑み込み、同様に3人目も呑み込んでいったのである。
見た目に似合わず、蛇体全てを使ったバネによる瞬発的な動きはとても速く、γ層に挑戦しようかという段階だったパーティでは視認することすら不可能であった。
「くっ……」
男は構えを崩さずに、しかし冷や汗をかきながらも思い出す。以前見た、国内最上位勢クランが行っていた
その配信の中では、まさに人智を超えたと言って良いレベルの戦いが展開されていた。そのパーティが持っていた高性能な録画・配信用ドローンカメラの性能でもその動きを完全には捉えられないほどの速さを持つ者・男が見たこともないようなレベルの威力と正確性をもつ魔法・それと同格レベルであるモンスターの攻撃をなんとか防いでみせた魔力バリア。その全てが、ほとんどの冒険者たちが見たこともないようなものばかりで、視聴者を熱狂させていた。
男の目の前にいるラミアの女の子の能力も、男の目から見ればその配信に映っていたボスモンスターと遜色ない能力に見える。
並のバリアを割り、まともに受けてしまえば最上位勢でなければ耐えられなさそうな尻尾の一撃。そして並のカメラには映らないほどの瞬発力。その全てが、配信に映っていたδ層ボスと重なる。それは、国内最上位レベルが複数人でパーティを組んでやっと倒せるほどの強さを持っていた。ゆえに、この男たちではなぶり殺しにされるのも当然と言える。
なお、男たちのパーティも録画・配信用ドローンカメラを浮かべて配信を行っていたが、ラミアの女の子がパーティメンバーを呑み込むシーンが配信サイトのAIにセンシティブと判断されたため、配信を強制的に中断させられていた。しかし、カメラ自体は機能しており、依然として録画を継続している。
そして、ドローンカメラは内蔵している救難信号発進機能を用いて、地上へ向けて救難信号を発信している。ただ、ラミアの女の子を倒せるほどの実力を持つパーティがここへたどり着くまでには、まだ時間がかかるだろう。
そんな強さのモンスターがこんな階層に現れるのは、イレギュラー以外にありえない。しかもその中でも最悪と言えるものだ。せめて
男は一瞬逃げることも考えたが、相手のあの速さからは逃げることができないだろう。かといって戦っても勝てる気もしない。完全に詰みの状態である。
「あれ~、キミ~、動いてこないのー? うーん、それじゃ暇だし~、この子も溶かしちゃおうかー」
ラミアの女の子はこう言うと、自分の尻尾のうち、緩く人の型が浮かび上がっている部分を自分の前に寄せて、強く抱きしめた。すると、人型の膨らみの動きが激しくなり、その中から、
「ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙」
という、悲鳴にも嬌声にも似た声が響き渡ってくる。そしてその声が徐々に小さくなって、人型の膨らみが徐々に丸みを帯びてくると、その動きが徐々に弱くなっていく。そして、最終的にそれは動かなくなってしまった。
ラミアの女の子は、自分の尻尾を地面に降ろすと、
「さて、あなた以外みんな蕩けちゃったけど、あなたはどうする? もし君からこっちへ来てくれれば、痛くなくて気持ちいい~感じで蕩かしてあげるよ~……」
と、不敵な笑顔を男に向けながら言った。完全に、勝利を悟った者の余裕というものである。もはや勝負あった、というものだ。
ラミアの女の子にそう言われた男は、その言葉に、絶望の中にある暗い光明を見出した。どうせ殺されるのであれば、痛いよりは気持ちいい方が良いと。
そう思ってしまった男は、無意識に、手に持っていた剣と盾を地面に落としてから、ゆらりとラミアの女の子に向けて歩き始めた。
――その瞬間、男の後ろから黄色い光の帯が現れ、ラミアの女の子の顔面に、ドガァンという大きな音を立ててぶつかった。
男はその音を聞いて、はっと正気を取り戻す。そして、光の帯が消えると、そこには、ラミアの女の子の顔面に向けてドロップキックをかましている女の子――背丈は高校生くらいか――の姿があった。
「ま……まさか……お前……『光の狐』か?」
正気を取り戻した男はさっき落とした武器を拾いながら、バックフリップして彼の目の前に着地した「光の狐」に問いかけた。
確かに、「光の狐」の姿はこのダンジョンの中では珍しく見える。頭頂部には狐の耳、臀部には狐の尻尾を生やし、毛並みと同じ黄色い巫女服を着ていて、顔面には狐のお面を被っている。これは、主にネット上で囁かれている「光の狐」の特徴と一致する。だからこそ、男は彼女がそうか聞いたのだ。
しかし当の「光の狐」は、その質問に答えずに、
「アンタ、大丈夫だった? 私が来たからにはもう大丈夫だよ」
と男に聞いた。それに対して、
「あ、あぁ、俺は大丈夫だ。ただ俺の仲間たちが……」
と彼が言うと、「光の狐」は、誰にも聞こえないように小さく舌打ちをした。これは男のパーティメンバーに対してでも、ラミアの女の子に対してでもない。ここへ来るのが遅かったため全員を助けられなかった自分に対してである。
「……とにかく、アンタはさっさとここから離れて。あとは私がやるから」
「は、はいぃ」
男は「光の狐」が出した指示に応じて、浮かべているカメラと一緒にここから離れていく。ラミアの女の子は彼を追いかけようとするが、「光の狐」が彼女に向けてガンを飛ばしたため、怖気づいてその場に留まるしかできなかった。
ラミアの女の子は怖気づきながらも、
「……あなた、どういう気なの? 見たところ、あなたも私と同じモンスターなんでしょ? だったら、なんで人間の味方なんかするの? 訳が分からないわ」
と、さっきドロップキックされた顔をさすりながら、「光の狐」に向けて問いかける。それに対して「光の狐」は、男がここから見えなくなったことを確認すると、何も言わずに、正面に突き出した左手の中に虚空から刀を出す。それから、それを左の腰に添えて構える。続いて、
「別に、人間に助けられたから、人間に恩返しをしたいだけ。……まだまだ発展途上だけどね」
と言ってお面の下で苦笑いをしてみせた。そして渾身の力で地面を蹴り、光の軌跡を残してラミアの女の子に走り寄る。
「なっ……何よこのよく分かんない奴~!」
彼女がこう言うのも構わず、「光の狐」は彼女に対して居合い切りのように刀を振り上げる。ラミアの女の子はそれを持ち前の素早さを活かして、それをかいくぐるように回避しようとした。しかし、振り下ろされた二の太刀は彼女より速く、正確に急所を突くように彼女を襲った。
急所を通るように胴体を両断され、ダメ押しと言わんばかりに首を斬られたラミアの少女は、その場で地面に溶けていくように消えていった。しかし、彼女の体内にあったはずのパーティメンバーの体――残っていたとしてそれを人体と認識できるかは別だが――も、それと同時に消えてしまったためか残らなかった。
その場に立ち尽くす「光の狐」は、刀を再び虚空に消しながら、男が言っていた「俺の仲間たちが……」という言葉を思い出す。多分、男の仲間たちはここで死んでしまったのだろう、そう思った彼女は、その場で直立しながら、胸の前で両手を合わせた。これは、彼女が助けられなかった人がいた時に行ういつもの所作である。
彼女は、救難信号に対応して現地に到着してから死者を出したことはないが、当然駆けつけるまでに死者が出ることはある。そんな時、彼女は誰もいないところでこのように手を合わせるのだ。心静かに、手を合わせて祈る。助けられなかった命に対して、祈る。
そして彼女が手を合わせ始めてから5分が経つと、上層の方から声が聞こえてきた。これは、救難信号を受けたパーティが、ここに向かってこようとする時に聞こえてくる、足音や装備がこすれ合う音だろう。そう思った「光の狐」は、またもや光の帯を残してその場から跳び去った。
救難信号に対応したパーティが後に語ることには、その場には、録画に映っていたラミアの女の子がドロップしたと思われる「ラミアの白鱗EX」しかなかったという。
そして、男が浮かべていたカメラには、いつも通り「光の狐」の姿は映っていなかった。彼女がラミアの女の子にドロップキックする直前から、カメラ機能とマイク機能が止まっていたからだ。その理由は、分からずじまいである。
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