第三章

第10話 責は等しく民が負うべし

 四年あまり泥沼の戦争が続いた後、ついに帝国は内部から総崩れとなった。

 社会主義勢力と自由主義勢力という、通常ならば考えられない二つの党派が手を組んで議会を制圧し、皇帝の退位と共和国の樹立、そして戦争の即時終結を宣言したのだ。

 もちろん皇帝陛下は退位する気などさらさらなかったが、宮殿を警備する衛兵までもが反旗を翻した。


 ようやく事の重大さを悟った皇帝陛下だったが、運命は彼らに残酷だった。

 まず皇帝陛下と皇后陛下、暗殺された皇太子の忘れ形見である二人の皇子は帝都の外れにある離宮に軟禁された。

 ここで大人しく退位文書に署名されていれば、あるいは歴史は変わっていたかもしれない。

 だが皇帝は負けを認めず、あろうことか敵国のスパイの助けを借りて亡命を図ろうとした。国防にまつわる機密文書のお土産付きで。

 一家は変装して離宮を脱出し、港へ急いだ。埠頭に大型客船が停泊しているのが見える。偽造パスポートで出国手続きを済ませ、船が出航すればだ。


 だが、すんでのところで共和国の秘密警察が彼らを発見した。

 皇帝一家は拘束され、帝都に連れ戻されて形だけの裁判にかけられた。


 罪状は、国家への叛逆。判決は、全員銃殺。

 刑は即日執行された。

 400年続いた、日の沈まぬ国と呼ばれた帝国の、あっけない幕切れだった。


 共和国政府には休んでいる暇はなかった。

 皇帝は始末した。次は戦争を終わらせなければ。

 慌ただしく休戦の申し入れがされ、ある日突然全ての戦闘が停止された。

 戦場の兵士達の間には喜びの微笑ではなく、呆れ返った失笑が広がった。


 ……なんだ、こんな簡単なことだったのか。たったこれだけのことに、なんで四年もかかったんだ? だいたいこの戦争は誰が始めたんだっけ? 俺達は何のために汚泥の中で殺し合いをして来たんだ? もう、めてもいいよな? 故郷くにで母ちゃんと子供らが待ってるんだ。俺はもう、帰らせてもらうよ。


 だが翌年、帝都……いや、首都で行われた和平会議で、国民は自分達に負わされた咎の重さとの屈辱を思い知らされる。

 彼らに課せられたのは、二割の領土割譲と全ての武装解除。そして、国家予算の三年分にも相当する額の賠償金の支払いだった。


 共和国政府の歴史は、革命と敗戦という、内にも外にもこれ以上ないほどの苦難の中で幕を開けた。


 領土割譲と武装解除の結果、多くの人々が土地も家も仕事も失った。

 割譲された地域にはそれまで帝国の属領だった国々の住民が嬉々として入植してきた。立場は完全に逆転していた。それまで隷属させられてきた長年の鬱憤を晴らすかのように、入植者達は共和国市民を立ち退かせ、要職から追放して追い払った。

 また武装解除の結果、軍人達は皆失業した。徴兵された市民達も同じだった。ある日突然、戦地から身一つで放り出された兵達は、故郷へ帰る術を求めて首都に流れ込んだ。

 幸いなことに首都のインフラはさほど大きなダメージを受けてはいなかったが、それが逆に爆発的な人口流入に繋がった。劇場にも駅の地下道にも橋のたもとにも雨露を凌ぐ場所を求めて家なき人々が押し寄せた。その結果、首都は慢性的な食糧不足に陥った。当然のことながら至るところで諍いが起き、窃盗やひったくりが日常茶飯事となったが、警察などもうあってないようなものだった。

 かつては大陸の真珠と呼ばれ、誰もが憧れた美しい街であった帝都は、首都と名を変えるのと同時に貧困と犯罪と人々の呪詛の巣となってしまった。


 ……それでも、それでも戦争が終わって二年間はだったと、当時を知る人は後年口を揃えて語る。


 皇帝という共通の敵がいなくなると、途端に共和国政府は権力闘争と汚職の温床と化した。次々と内閣が組閣されては解散し、そのたびに政策が目まぐるしく変わって、やがて政治家達は完全に国の方向性を見失ってしまった。

 そして二年が過ぎて、ついにその時がやって来た。

 休戦協定で定められた賠償金の支払猶予期間が終わりを迎えたのだ。


 国家予算の三年分という途方もない額をどう捻り出すか。この時、経済大臣がまず最初の舵取りを誤った。

 彼は帝政末期から焦げつきかけていた国債を更に大量に発行して国民から投資を募った。だが当然のことながらさっぱり売れなかった。無理なからん、毎日数時間並んでやっと馬鈴薯一袋とベーコン一塊しか配給されないような中で誰が国債など買えるものか。

 売れない国債は値が下がり続け、銀行の経営を圧迫した。ここで大臣は第二の、そして最大の過ちを犯す。とりあえずの賠償金の支払いに充てるため、なんと独断で通貨ディレイラを大量に印刷したのだ。賠償金は紙幣ではなく金で充当する取り決めになっていたため、その購入資金にするのが目的だったが、当然、買い注文が入れば入るほど金の価格は上がり、逆に国際通貨としてのディレイラの価値は下がっていった。すると急激に何もかもが値上がりし始めた。インフレの始まりだ。


 人々は銀行に預けてある資産が加速度的に目減りしていくことに危機感を抱いた。こんなに毎日狂ったように物価が上がり続けるなら、現金なんて持っていてもしょうがない。食糧でも何でもいいからとにかく現物に替えてしまえ。皆、預金の引き出しを求めて銀行に詰めかけた。銀行の倒産が始まった。人々がなけなしの現金を握りしめて商店に殺到する。するとまた物価が上がる。共和国の経済は完全に麻痺し、負の連鎖に陥った。わずか半年で、パン1本の値段は120ディレイラから700,000ディレイラという馬鹿げた数字になっていた。


 民衆は紙切れ以下となってしまった10,000,000ディレイラ紙幣を暖炉の焚き付けにしながら、失われた時代を懐かしむことしかできなかった。


 皇帝陛下がいて下さった頃のほうが、ずっと良かった……と。


 もちろんこんな時でも、機会に乗じて富を築いた者がいなかった訳ではない。歴史には常に勝者と敗者がいる。……だが少なくともアッシェンバッハ家は、間違いなく敗れた側だった。



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