第二章
第6話 無政府主義者の過ち*
*あまり詳細ではありませんが、残酷系の描写があります。ご注意下さい。
当時、大陸のパワーバランスは崩壊寸前だった。
多くの国は皇帝や王が治める絶対君主制だったが、既に社会の実権は
労働争議、ストライキ、ロックアウト……そういった小競り合いが起こるたびに問答無用で解雇された労働者達は、いつしかより過激な無政府主義者となっていった。
話し合いなんて必要ねえ、俺達を犬のように扱って旨い汁を吸っている奴らに血の雨を降らせてやれ……と。
更に悪いことに、そこに民族紛争の火種が加わった。もともと他民族が散らばって小国家を築いていたある地域に利権を巡る大国の思惑が絡み、ちょっとした衝突のたびに軍事介入を繰り返して話を大きくした。それまで隣人として共存していた人々の友情は憎悪と排斥に変わってしまった。各地で要人を狙ったテロが頻発し、その手口も加速度的に過激で残虐なものになっていった。
そして、ついに取り返しのつかない悲劇が起きた。
帝国の皇太子が、視察で訪れた同盟国のとある都市で暗殺されたのだ。
その日皇太子は、現地に作られた帝国との合弁事業の自動車工場の視察に向かっていた。当時、最高の贅沢品であった自動車の工場はまさに時代の最先端で、労働者達は皆こぞって皇太子殿下のお越しを歓迎している……はずだった。
宿泊先のホテルを出た皇太子は、工場長が差し向けたオープンカーに乗って郊外に向かっていた。沿道には役人がノルマ達成のために必死でかき集めた民衆が、半ば義務感、半ば面白半分という微妙な表情で帝国と自国の国旗を振っていた。微妙な雰囲気は漂ってはいたが、まあそれなりに歓迎ムードを醸し出すことができていた。
町の中心部を離れたところに石造りの橋がある。道幅が狭いのでその路肩には民衆はほとんどいなかった。皇太子を乗せたオープンカーが橋を渡りきろうとしたその時。
一人の若い男が飛び出してきて、何かをオープンカーに投げつけた。
……次の瞬間、轟音とともにオープンカーは宙に吹っ飛び、大きな火の玉となって川に落ちた。一瞬の出来事だった。
悲鳴と怒号が飛び交い、辺りは地獄絵図と化した。
数時間後、焼け焦げた鉄の塊と化したオープンカーとともに川底から発見された皇太子は、
その日のうちにこの衝撃的なニュースは大陸中に広まり、各国の王族や政府関係者は大変なことになったと頭を抱えた。
同盟国の視察に赴いた帝国の皇太子が白昼堂々暗殺された。それも自動車ごと爆弾で吹っ飛ばすというあまりにも凄惨な方法で。
後継者を失った皇帝は即刻同盟を破棄するだろう。破棄だけではすまない、制裁、あるいは宣戦布告も止むなし……どうしたらいい、わが国はどう立ち回ればいいのだ……
しかも更に状況をややこしくしたのは、暗殺の実行犯が同盟国の人間ではなかったことだった。
皇太子に爆弾を投げつけたのは、東方の少数民族の血を引く留学生だった。外国人であることを理由に、同盟国は責任の所在を有耶無耶にしようとした。そこに諸外国の思惑が複雑に絡み合い、交渉は遅々として進まず、ただでさえ後継者を失って悲嘆にくれている皇帝の怒りを増長した。
拘束された無政府主義者の青年は取り調べでこう吠えた後、看守の目を盗んで独房で首を吊って自殺した。
「カビの生えた帝国の皇太子など、生きていても我々が望む世界の実現には邪魔なだけだ! 民族主義万歳! 共和制に光あれ!」
だが、彼は致命的な間違いを犯していた。
実は皇太子は年老いた父親とソリが合わず、密かに帝位を簒奪するために革命勢力と繋がっていたのだった。今回の訪問も自動車工場の視察というのは表向きで、真の目的は反政府勢力のリーダーとクーデターの具体的な計画を話し合うことだった。皇太子は議会制度に基づく立憲民主主義国家を創ることを目指していたのだ。それなのに、彼が特権階級であるという理由だけで義憤に駆られて暴走した急進派の無政府主義者にあっけなく殺されてしまったのだった。
あと十年、いや五年待てば、少なくともここまで多くの罪なき人々の血を流さずとも、彼らの望む社会への扉が開いたかもしれないのに……。
ほどなくして帝国が同盟国との同盟を正式に破棄し、宣戦布告した。もう後には戻れなかった。
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