第2話 アッシェンバッハ家の人々

 アッシェンバッハ男爵家は、当時どこにでもいた地方貴族の一つだ。

 帝都から遠く離れた地方の農村地帯に小さな領地を持ち、村人達の困り事あれこれを仲裁しつつ租税を納める、そんなささやかで平和な生活がずっと続くのだろうと誰もが思っていた。


 今の当主はエレノアの夫、ヴィルヘルム・フォン=アッシェンバッハ男爵である。

 エレノアとヴィルヘルムはいとこ同士だが、血は繋がっていない。

 なぜなら、ヴィルヘルムの父、先代のアッシェンバッハ男爵エドガーとエレノアの父アイザックは戸籍上は兄弟だが、アイザックはエドガーの母亡き後に後妻に入った女性の連れ子だったからで、血筋としては平民だ。


 二人は血は繋がっていなくとも大変仲の良い兄弟だったが、対照的な人生を送った。


 エドガーが十八になった頃、それまで片田舎でのんびりと領地経営に勤しんでいたアッシェンバッハ家に大騒動が持ち上がった。


 なんと、時の皇帝陛下の姪にあたるヒルデガルド公女殿下が降嫁されることになったのだ。

 なんでもたまたまエドガーが付き合いで出席していた宮廷舞踏会の席で公女殿下がエドガーに一目惚れしたらしい。

 当然アッシェンバッハ家側はどう考えても家格が釣り合わないとしてご辞退申し上げたし、皇帝陛下も考え直すよう何度も公女を説得なさったが、彼女の意思は固く、最後は陛下も半ば呆れる形で結婚をお認めになった。


 しかし、嫁いですぐに公女は自分がどれだけ世間知らずで夢見る乙女であったかを嫌というほど思い知ることになった。


 華やかな宮廷で蝶よ花よと育った公女にとって、この片田舎の貧乏男爵家での生活は何一つ楽しいものはなく、惨めでしかなかった。だがあれだけ大見得を切って嫁いで来た以上、今さら尻尾を巻いて帝都に逃げ帰るなど仮にも皇帝陛下の姪としてのプライドが許さない。


 あんなにも恋焦がれた夫への愛情が幻滅に変わり、憧れていた自然溢れる田舎での生活が嫌悪に変わるのに多くの時間は必要なかった。


 それでも彼女は男爵夫人としての責務を果たし、男児を出産した。

 そしてもう一人。生まれたのは双子だったのだ。

 長男はヴィルヘルム、次男はリヒャルトと名付けられた。


 一方、エドガーの弟アイザックの結婚生活もいささか異質なものであった。

 兄エドガーのもとにヒルデガルド公女が降嫁してから二年後、男爵家の領地にある町に旅回りの劇団がやって来た。この劇団の看板女優とアイザックが恋に落ちたのだ。


 二人は父アッシェンバッハ男爵に結婚の許可を願い出たが、いくらなんでも後妻の連れ子とはいえ、一応は男爵家の名字を名乗る者として旅回りの女優との結婚など認められるものではなかった。

 アイザックは諦めなかった。どうせ元々血の繋がった家族ではないし、自分が男爵家を継げる訳でもない。故郷にもそこにある人間関係にも未練はなかった。二人は手に手を取り合って領地を出て行った。


 だが、それからわずか二年後、アイザックは別人のようにやつれ果てて故郷へ戻って来た。妻となった女性が出産の際に命を落とし、男手一つでの子育てが限界になって、止むを得ず戻って来たのだという。


 アイザックの腕には、死んだ母親から受け継いだ金色の髪と蜂蜜色の瞳をしたあどけない幼児が抱かれていた。それがエレノアだった。


 エドガーはアイザックとエレノアを快く受け入れて屋敷に住まわせようとしたが、妻ヒルデガルドは頑なにそれを認めなかった。卑しい女優に入れ上げて勝手に出て行き、子連れで戻ってくるような恥晒しを男爵家に入れる訳にはいかない、と。仕方なくエドガーは近くにある小さな家をアイザックに与え、農地監督の職に就けた。


 アイザックは一切不平を言わず、黙って仕事に励んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る