あっち

佐々井 サイジ

別れ

 豊崎は元妻と息子の名前の書かれた看板の前に立っていた。元妻である美幸の旧姓の前に〈故〉がついており、亡くなったのだという記号のように見える。入口に近づくと自動ドアが開き、ホールのスタッフに一礼された。喪服を着てきたので、弔問客と思われたようだった。

 半周する螺旋階段で二階に上がると、『瀬戸』というホールのドアが開きっぱなしになっていた。ドアの前にいる数人に目線だけで追われているような気がし、俯きながらホールへと入った。

 祭壇の下には棺が二つ並んであった。そのうちの一つは隣の棺と比べて三分の二ほどしかなかった。息子の修太が入っているに違いなかった。

 大きい棺の顔の方には跪いて泣いている人がいた。義理の母だった。その後ろには祭壇の上にある二人の遺影をただ眺める義父らしき後ろ姿があった。以前から六十代になったばかりのわりには白髪が多い方だったがしばらく見ないうちに黒い部分が完全になくなっていた。近づけば確実に追い出される。ホールの後方に並んでいるパイプ椅子の通路で立ち往生していると、義父が後ろを振り返り、豊崎と目が合った。

「お前……」

 義父は大股で豊崎に向かってきた。思わず一歩後ずさりしてしまったが、それ以上は動くまいと堪えた。ここで逃げ出すのは違うような気がした。

「なんで来たんだ。よくのこのこと顔出せたな。お前のせいで、お前のせいでな……」

 義父は豊崎の胸倉を掴んだ。何を言おうと言い訳になると思うと、豊崎は何も言い出せなかった。義父と目が合った瞬間、拳が頬にめりこんだ。普通なら倒れるはずなのに、義父の胸倉をつかむ握力は以上に強く、頭だけが横に流れた。もう一発飛んで来るかと思ったが、義父はネームプレートをつけたスタッフや弔問客たちに腕や身体を掴まれ、無理やり引き剥がされた。

「あんた、美幸ちゃんの元旦那か? 来たらこうなるってことわかってねえのか? 早く帰ってくれよ」

 顔も見たことのない男が鼻息を荒くしながら豊崎に迫った。目鼻立ちがどことなく義父に似ていたので、親戚だろうか。でも美幸との結婚式で見た覚えはない。

 スタッフからも退室を促されホールから締め出された。自動ドアの向こうにはスタッフがずっと豊崎を見据えていた。豊崎は車通りの多い道路の奥に美幸と修太らしき影を見た。しかし車が行き交ううちにすぐに影は消えた。

「美幸、修太。ごめんな……」

 豊崎はその場に崩れ落ちて涙がアスファルトの一点を濃く染めた。

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