みどりの落し物

葉羽

二年目の恋

 桜の木も枯れ果て、吐く息すら凍てつく冬。高校生になって始めて迎えた冬は制服のせいで足の防寒がままならず、上半身が雪だるまのように膨れ上がっていた。今年の冬は大寒波だとかで、重ね着にさらに重ねた重装備でも、一つの風で震え上がるほどに寒い。

 聞き慣れた踏切と車輪の音で踏みだして、電車についた緑色のボタンを押す。 待ちわびた車内はそれなりにだが暖房が効いていて、この一年で定位置となった席に座ると、ほっと心が落ち着いた。


「――二両目のドアは開きません。お降りの際は一両目の前のドアからお降りください。運賃、乗車券につきましては――」


 暗唱できるほどに聞き慣れた電車のアナウンス。冬のうら寂しい田園風景の中に電車が揺れる。そうして数分後、次の駅に着く。肌を刺す空気とともに数人が乗り込み、また電車が揺れる。

 その工程を何度か繰り返し、ごそっと人がいなくなると、学校まではあと少し。


 ガラガラになる車内を見ていると、電車を降りホームを歩く男子生徒と窓越しにバチっと目があった。

 すぐに視線は逸れたものの、知らない人とあんなにしっかり目が合うなんて初めてのことで、思わず抱えたリュックに視線を落とす。きっともういない、そう分かっていても顔を上げられなくて、緑のストラップをいじるフリをして電車が出発するのを待った。


 ……よく見えなかったけれど、多分、城西高校の生徒だ。真っ黒な学ランだった。 

 この時間の電車に乗る城西高校の生徒は、大抵部活の朝練のある人だそうで、この一年でなんとなくメンバーは決まりきっているためすぐにわかるのだ。その人たちの名前も学年も知らないけど、私は人の顔に関しては記憶力がいいという自負がある。

 さっき目のあった人は、これまで一度も見たことのない人だった。


 *


 紺のブレザーに青いリボン、灰色のスカートに身を包み、それなりに暖かくなった春の陽を浴びながら電車を待つ。ホームには私と同じ東高校の生徒もいれば、私たちより前の駅で降りるセーラー服の城西高校、茶色いブレザーの栄町商業高校の生徒も数人見受けれれる。


 田舎の小さな無人駅ではホームと呼べるほど立派な建物はないし、そもそも屋根がない。ぽつんと悲しい券売機とベンチが一つ、そしてその真横に聳える大木が一つ。この大きな桜の木だけが、さくら駅の象徴といえる。


 時間になり、ピッタリ電車が着く。私はいつも通りに一両目の後ろの席の端を陣取った。いつの間にか隣に座る人、前に立つ人も大体同じになって、名前も知らないけれど、この電車に乗るみんなと繋がるような不思議な感じがする。

 揺れる電車は、小さい頃ずっと憧れていたものだった。私の移動手段といえば車しかなくて、学校行事でまれにバスを利用するくらい。

 電車は大人が使うもの。そんな憧れが根付いていた私にとって特別だったはずの電車は、いつしかただの移動手段になってしまった。大人になるってこういう事なのかな、となんとなく考えながら、今日も学校へと向かう。



 あの寒い冬の日に、目が合った男の子……学ランにスクールバッグを背負って歩く、『みどりくん』を見つけて、不自然にならない程度にゆっくり視線を逸らす。スクールバッグに緑色のお守りがついているから、私は勝手にそう呼んでいる。


 みどりくんは私と同じさくら駅で電車に乗り、そして私よりも先に降りていく。

 あの日から毎日現れる彼が気になって、最寄り駅が同じだと言うこともあり、毎日少しずつ観察していくことにした。


 みどりくんは電車を待つ間、立ちながら目を瞑って眠るように桜の木にもたれ掛かる。踏切の音でも目を開けず、電車が停車してから、ようやくその重そうな瞼をこじ開けるようにして歩き出す。クールにみえるが、たまに寝癖がついていたりして、失礼だが笑いを堪えるのは大変だった。けれどそんなみどりくんの姿をこっそりと観察することは、私の朝の楽しみになっていた。



 そんなある日の夕暮れのことだった。


「……あ。」


 落とし物だ。さくら駅のホーム、改札なんてない無人駅の黄色い線の上に落ちていたのは、見慣れた緑色のお守り。みどりくんの名前の由来にもなった、鮮やかでいて目に優しい緑だった。


 拾い上げて、少しついた汚れをパパッと払う。蒸すような暑さと劈く蝉の声に頭がくらくらしたから、私はそう考えることなくお守りを手にしたまま帰路についた。


 *


 次の日、いつもより15分ほど早く家を出た。もしかしたらみどりくんがこのお守りを探しているかもしれないと思ったからだ。

 数段しかない階段を登ってひび割れたコンクリートのホームへ入る。そこにはまだ人がおらず、私の心配が杞憂だったことを示していた。

 それに安堵の息をついて、いつもの定位置でみどりくんを待つことにした。

 お守りはまだ新しくてほつれもなかったし、汚れも少なかった。ものを大切に扱う人なのか、もしくはこのお守りが大切なものなのか。どちらにせよ、落とし物は拾ったらなるべく返してあげたい。

 人への親切は恩の押し売りと言われそうで躊躇ってしまう場合もあるが、名前も知らない他人なら別に気にならないのである。


 そんなうちに、いつも通りの黒い学ランにスクバを持って彼がやってきた。いつもと違うのは、緑色のお守りがついていないということ。

 人に話しかけるだけでかなりの高いハードルを超えなければならないので、一度深呼吸。心の中で10からカウントダウンを始め、0になった瞬間歩き出す。ためらうと、足は止まってしまうから。


「すみません、これ、このあたりに落ちてたんですけど……」


 目の前に立つと、案外身長が高いのだと気づく。見上げてようやく、見慣れた眠そうな目ではない、ぱっちり開いた快活そうな目と目が合った。


「それ、拾ってくれたの? わざわざ届けてくれてありがとう」

「全然。たまたまだから」


 想像通りの声、テンション、喋り方。にっこりかわいい笑顔は朝から浴びるにはあまりに眩しくて、思わず視線を逸らす。

 冷たい態度になってしまっただろうか。感じの悪いやつだと思われたらどうしよう。そんな風にごちゃごちゃ考えながら、お守りを返した。


「昨日から探してたんだ。ほんとにありがと」

「普通のことをしただけだから……気にしないでくれると、嬉しい」


 お礼をするなんて言われたらたまったものではない。見返りが欲しかったわけではないのだ。私はただ、たまたま持ち主のわかる落とし物を見かけたから拾っただけで、他のものならベンチに置くくらいしかしなかった。それに、もっと使い古されたボロボロのものでも、同じように放置した。

 みどりくんがみどりくんである所以のお守りだから、私は手にとってわざわざ渡しているのだ。


 ただでさえ初対面の人との会話なんて緊張するのに、妙な数秒間の沈黙になんて耐えられるはずもなく。私は後退りして、気合を入れた笑顔を浮かべながら絞り出すように「じゃあ……」と言った。


「うん。朝からありがとう」


 ……とはいえ、この駅から電車に乗るので、そこまで距離は離れない。多少の気まずさを感じながら、私たちは時間を待った。


 *



 さくら駅が最も美しく彩られる時期、春。

 高校生三年目にして、私は落とし物をした。


 今回ばかりは無くしてはいけないものだった。友達とお揃いの水色のぬいぐるみだ。ガチャガチャの景品は取れやすいためストラップの紛失は日常茶飯事だけれど、ぬいぐるみはそう言ってられない。その友達とは今も一番仲が良く、彼女の鞄にはピンクのクマが揺れているのだ。


 登校中に通った道、電車の中、駅のホーム、家の中。探して見たものの、私のクマは見当たらなかった。

 学校の中でもう一度探してみよう。ため息を押し殺しながら、いつも通りの場所で電車を待つ。


 春風に吹かれ揺れる桜の木を消沈しながら眺めている時、誰かに声をかけられた。


「これ、落ちてたよ」


 *


 青年の前に、水色のぬいぐるみが落ちていた。駅のホームにポツリと取り残されたそれは、何度も見た覚えのある代物。拾って、少し躊躇ってから、スクールバッグにしまった。

 帰宅した後、自室でぬいぐるみを取り出して眺めてみる。


「あの人のだ」


 毎朝会うあの人。いつも同じ席に座って、リュックを抱きしめている人。


「朝、会えるかな」


 普段より数分早く家を出ることを決意し、ぬいぐるみが汚れないように小袋に包んで鞄へ入れる。

 その瞬間、青年はなにかに気がついたようにハッと自室の棚へと視線を向けた。


「……あれも一緒に……いや、でも」


 青年は頭を抱えて苦悶の表情を浮かべる。棚の上で丁寧に保管されたそれを、緩慢な動きでつまむ。


「……」


 そして、大事そうにつまんだそれを、そのままぬいぐるみと同じ袋の中にソッと入れ込んだ。


「あー……こんなに前から知ってたなんて、気持ち悪いって思われたらどうしよう」


 ベッドにうつ向けに横たわって呟いた声に活気はなかった。けれどその声には後悔も含まれていなかった。


 青年のスクールバッグには、水色のクマのぬいぐるみに、小さなストラップが入っている。

 四葉のクローバーを模した、緑色のストラップが。


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