第18話 報酬に悩まされる女子高生
成昌によって自分に憑依していた妖狐が封印されてから二日後。
文香は意気揚々と学校へ向かっていた。
心なしか、その表情は晴れ晴れとしたものになっているように感じられる。
――安倍の言ってた通り、ほんとに悪夢を見ないで快眠できた! いやぁ、睡眠って大事だね、ほんとに
ここしばらくの間で昨晩は一番深く、最高品質の眠りを味わうことができたことに、そんな感想を心中で漏らしている。
自分が行った『天使さま』が原因であり、ある意味では自業自得であったとはいえ、睡眠に悩まされていた文香は眠りの大切さを実感できたのだ。
そんな感想も抱きたくなるというものだろう。
とはいえ、一つの問題が解決できたが、文香はもう一つ、解決しなければならない問題があった。
――自販機のジュースとかでも大丈夫って言ってたけど、今回はあんな濃厚な経験もしちゃったし、安倍も結構、体力と気力を使ったっぽいし……お弁当のおかずでも渡したほうがいいのかなぁ?
ばたばたしていたとはいえ、文香はいまだ成昌に報酬を渡せていない。
一応、現金を要求されることはないのだが、自動販売機のジュースを一本か、食堂のおかず類を一品奢ることを要求される。
どちらのコースを選ぶか、何を奢るかは成昌が相談に応じているため、まだ慌てる時間ではない。
文香はそう思っているのだが、成昌との付き合いが浅いため、成昌がどの程度まで待ってくれるのかはわからないため、少々、焦っている部分はある。
――できれば桔梗にそのあたりのことも相談出来たらよかったんだけどなぁ
安心して眠ってしまっていたことと、日曜だからという理由で一応、気を使って連絡をしていなかったため、桔梗にそのあたりのことを聞いたり相談したりしていなかった。
今日、桔梗に会ったらそのあたりのことを相談しようか。
そう考えていると、文香の肩に誰かが触れて、声をかけてきた。
「おはよう、文香」
「おはよう、佐奈。だいぶ長かったみたいだけど、もういいの?」
振り返ると、そこには交通事故で入院していた佐奈の姿があった。
検査入院ということで入院日数はそこまで長くないはずだったのだが、なぜか先週は顔を出さなかった。
あっさりとした態度ではあるが、これでも文香はかなり心配していたのだ。
もっとも、心配されている本人は。
「うん。検査入院自体はすぐに終わったんだけど、親に『念のため自宅療養しろ』って言われて、結局、先週は学校に来れなかったのよ」
頬を膨らませ、いかにも不満そうな顔をしながら返してきた。
よほど、両親の過保護具合に嫌気がさしていたのか、それとも信用してくれていないことに対する不満がたまっていたのか。
その後も佐奈は自宅療養中、自分が両親にまるで赤ん坊か小学生のように扱われていたことに対し、愚痴をこぼしていた。
その愚痴を文香が黙って聞いていると。
「おはよう。文香、佐奈」
「おはようさん」
背後から桔梗と成昌の声が聞こえてきた。
文香と佐奈は同時に振り返り、二人に挨拶を交わすと、成昌はそのままさっさと校門の方へと向かっていってしまう。
聞いておきたいことがあった文香は、成昌を追いかけようとしたが、桔梗に呼び止められてしまい、向かうことができなかった。
「文香、あれからどう?」
「快眠も快眠! もうね、すっごく久しぶりに『寝たなぁっ!』って気分になったよ!」
「そう。ならよかった。佐奈のほうは何か変なことは起きなかった?」
「うん。桔梗さんが渡してくれたお守りのおかげかも」
そう返しながら、佐奈は「厄除」と書かれた青いお守り袋を取り出す。
そのお守り袋に見覚えがあった文香は、顔を近づけてまじまじとそのお守り袋を見つめ。
「もしかして、これって安倍が作ったお守り?」
お守り袋を指さしながら、桔梗に問いかけた。
その問いかけに、桔梗はうなずいて返す。
さらに、そのお守りが先日、佐奈が検査入院していたときに、成昌が手渡したものだということも話してくれた。
「お守りの効果かわからないけど、お出かけしたときも怖い思いしないで済んだし、安倍くんにはお礼言った方がいいかな?」
「まぁ、お礼は言った方がいいかも? 一応、成昌が作ったものっていうのは事実だし」
「……え、てかちょっと待って? あいつ、あの後すぐにこれ作ったの?」
桔梗の言葉に、文香は目を丸くしながら問いかける。
佐奈が手にしているお守り袋は、小さなきんちゃく袋に糸で「厄除」という文字を縫っているもの。
言い方はおかしいかもしれないが、神社で販売されているようなお守り袋には見えないが、裁縫をすることが滅多にない文香には、成昌が作ったようなお守り袋を作る自信がない。
裁縫や料理、掃除洗濯といった、昭和や平成初期の時代には『女の仕事』とされてきたため、男子には縁遠い技能なのだが、それを手作りしてしまう成昌の技能の高さになぜか負けたという感情が強く出てくる。
そのことに気づいたのか。
「大丈夫、わたしも成昌ほど上手に作れることはないから」
と耳打ちしてくるのだが、慰めどころかとどめを刺された気分になり、余計に落ち込んでしまった。
そんな文香の様子に、佐奈は苦笑を浮かべていたが。
「あ。そろそろ、行かないと遅刻になっちゃうよ?」
予鈴が鳴り始めていることに気づき、校門の方を指さしながら指摘してくる。
遅刻すると後々、面倒なことになると思い、文香たちは急いで校門へと向かった。
どうにか朝礼前に教室に入ることができた文香たちは、何か特別なことがあるわけでもなく、普段通りに授業を受けて、普段通りに休み時間にクラスメイト達と団らんして過ごしていた。
その間、文香が成昌と接触することはなく、昼休みになってようやく。
「……安倍に渡すお礼、何にするか忘れてた……」
成昌へのお礼を何にすればつり合いが取れるだろうか、その相談を桔梗にすることを忘れていたことに気づいた。
正直、お守りをもらうだけであれば自販機のジュースを一本、奢るくらいでどうにかできると聞いていたのだが、今回は原因となっていた妖を落とし、封印までしている。
そこまでしたという話は聞いたことがないし、奢るといっても、最低限、いくらのものを奢ったのかもわからない。
指標となる話がないため、どうすればいいか桔梗に聞くつもりだったが。
――つい、いつも通り過ごしてしまったぁ……もう昼休みじゃん! なにやってんのよ、わたし!
悪夢と寝不足から解放されたという喜びから、普段通りの日常を謳歌したくなってしまい、思わず忘れてしまっていた。
近くには桔梗もいたため、聞こうと思えばいつでも聞くことができた状況ではあったのだが、そのことに気づいていながらも、相談を先延ばしにしてしまった責任はひとえに文香にある。
――いまからでも間に合うかな? 最悪、今日じゃなくても明日とか、今週中とか、期限がわかればそれなりの用意は……
それをわかっているから、どうやって挽回するか、今からでも間に合うのか、必死に思考をフル回転させていた。
文香がそんな状態に陥っていることを知ってか知らずか、桔梗が文香に近づいてくる。
「どしたの? 机に突っ伏しちゃって」
「あぁ、うん……安倍に支払う報酬、どうしようか考えてなかった」
「あぁ……まぁ、食堂のおかず一品じゃ足りないかもしれないのは確かかなぁ」
「え、まじ……?」
「まじ。向こう一週間、自販機のジュース一本奢るくらいのつもりでいたほうがいいかも」
そう返しながら、桔梗は文香にそのわけを説明してくれた。
どうやら一昨日、文香に憑りついた妖狐を祓うために様々なものを用意したらしく、その中でも破損してしまった数珠や文香の足に据えたお灸と紙は、それなりにお金がかかったのだという。
むろん、高校生が支払うことができるギリギリの範囲ではあったそうだが、そうする必要があったからとはいえ、数珠は壊れてしまったし、妖狐を文香の身体から追い出したあとで起きた大乱闘の後片付けの労力を考慮すると、普段以上の報酬を払う必要があるというのが桔梗の見解だ。
「よかったね、文香。成昌の報酬支払額、トップに君臨できたよ」
「笑いながら変なこと言うな! というか、何よその嬉しくもなんともないトップは!」
くすくすと笑いながら茶化してくる桔梗に、文香は少し涙目になって反論していた。
だが、ここで桔梗に八つ当たりしても解決する問題ではないことは文香もわかっていたからか。
「真面目な話、一回で支払い完了できる方法はないかな?」
「う~ん。ないこともない、かも?」
「あるの⁈」
桔梗の言葉に、文香はやや前のめりになり、その真偽を確かめようとする。
その様子に、桔梗は両手を前にかざし、文香に落ち着くように仕草で頼むと、さすがに食い気味だったかと反省したのか、文香も少し、落ち着きを取り戻す。
だが、本題は忘れておらず。
「で、どんなことなの? 安倍に渡す報酬を一回で終わらせる方法って」
「食堂の定食とかメインメニューを一つ奢る。ただそれだけ」
「……いや、割と選択肢の幅が広くて困るな!」
言うは易いが行うは難い、という言葉が文香の心にしみわたっていく。
北桜沢高校の食堂にはが丼ものや定食、麺類など、メインを張ることができるメニューが多数存在している。
当然、値段にピンキリが存在しており、どれを奢ることが妥当なのかを考えなければならない。
成昌の好物を奢ればそれで大丈夫、というわけではないことは、文香でも想像はつく。
いや、むしろそうであったほうが文香としても気持ちが楽だ。
値段で決めてはいない、という話を聞いたことはあるのだが、報酬という形を取っているとはいえ、お礼であることに変わりはないのだ。
お財布事情をかんがみて安いものを選んでも帰って失礼というもの。
となれば、それなりに高いメニューを選ばなければならないのだが、『それなり』と思われる価格帯のメニューは幅が広い。
「うちの学食で何奢ればいいっての? 安倍が好きなメニューとかで大丈夫なの?」
「全然、問題ないと思うよ? 成昌はあれで好きなものには正直だし」
「まじ?」
「まじもまじ。牛丼とか唐揚げ定食とか醤油ラーメンとかのメニュー見てるとき、なんというかこう、『食べたいなぁ』って感情が顔に出てたもん」
桔梗の表情から、その話が嘘ではないことを文香は察し、それならば、と早速財布をつかんで食堂へ向かおうとする。
だが、その動きは桔梗に止められてしまった。
「あ、でも今日はわたしが作ったお弁当食べてくれるって言ってたから、お礼ならまた今度にしたほうがいいと思うよ?」
「って、それを先に言ってよ! なるべく早く、貸し借りはなしにしたいのに!」
「いやぁ……ごめんごめん」
文香の言葉に、桔梗は苦笑を浮かべながら、今までそのことを話さなかった言い訳をしてくる。
どうやら、文香が事件を解決してすぐに報酬を支払おうとしていたとは思っていなかったらしい。
今までも、誠実な性格をしている同級生や先輩たちは一週間以内に報酬の支払いを行っていたが、それ以外は一か月以上待っても報酬を払わない、ということが多かったのだという。
別に報酬の支払いがなかったからといって、成昌は取り立てるつもりもないし、放置している。
それをいいことに、支払いをせずに逃げている人間が多いのだという。
だが、文香の場合。
「そりゃ、目の前であんなもの見せられたら、さすがに報酬の支払いはちゃんとしないとって思うでしょ? 何より、わたしは屑人間になり下がるつもりはないし」
いつぞや、桔梗から言われた言葉が胸にしみているらしい。
言われた言葉を言われたまま返すと、桔梗は笑みを浮かべ。
「なら、明日あたり牛丼奢るらしいって伝えておくけど、それでいい?」
「大丈夫。むしろメニューしてくれてありがとう」
「あ、わたしにはジュース一本でいいからね?」
「って、あんたもかい!」
「あら? だって文香に情報渡したし、相談にだって乗ったじゃない?」
なにより、と文香は笑みを浮かべながら桔梗との距離を詰める。
「佐奈に渡したお守りの分の報酬。これでチャラってことにしといてあげるから」
佐奈が入院していた時、成昌は確かに文香に対し、佐奈に渡すお守りの分も文香に請求すると伝えていた。
そのことを忘れていたわけではないのだが、こんな形でその分を請求されるとは思っていなかった文香は。
「なんかちょっとずるい!」
と文句を漏らしていた。
その文句を、からからと笑みを浮かべて受け流し、桔梗は文香と一緒に自販機の前へと向かっていく。
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