第四章 花火と疑惑
花火と疑惑 1
夏休みは止まることなどなくて、あっという間に過ぎていった。
週に三回ほどの全体練習を設けて、楽曲のアレンジは成虫へと向かう。
夏休みも残り一週間ほどだ。
俺の歌詞は手つかずで、詩織さんが適当な英語で歌う。
美波と凛花の歌詞は完成とはいかないまでも、まとまってきている。
悠馬のドラムも上達速度が早いから、当初の不安を消して進んでいく。
それでも、凛花の要望と悠馬の自尊心は衝突する時があった。
「……サビ前の……ドラム……もっとタイトに……」
「うるせえよ……! 直前のベースがベンベンうるせえから、引っ張られんだよ!」
「……言い訳……ばっかり」
表情を悠馬に見せない凛花は、親指の第一関節で弦をリズミカルに叩いている。
「言い訳じゃねえよ!」
「――へ、へたな……くせに」
「ああ!? 大体、細かいことまで気にするなんて……お前、パンクじゃねえなー!」
顎を上げて見下す悠馬の目を眼鏡の中から睨み返す。
初めて見る、怒りを含んだ凛花の目だった。
「パンク……だもん……」
「パンクじゃねえーよ! お前のどこがパンクなんだよ! バーカ!」
シンバルを叩く猿のおもちゃの動きを真似して、凛花の睨む目と心情を嘲笑っている。
さらに両足も交互に上げて踊り狂った。
ヘイ! ヘイ! ヘイ!と、掛け声も忘れていない。
子供かよ……。
「お前はパンクじゃねえーんだよ!」
「パンクだもん……」
「パンクじゃないでーす! パンクじゃありませーん!」
「パンクだもん……!」
最後の抵抗をした後で、眼鏡の奥から涙がポロポロと流れ始めた。
美波が優しく彼女の身体を抱き寄せて、悠馬に非難の目を向けている。
彼にとって一番有効な攻撃だ。
「いや……違うんすよ。ほら、コミュニケーションつうか……」
切り干し大根のように萎びていく悠馬は、前に出した両手の動きで美波の怒りを抑えようとする。
この夏休み期間、俺は二人のやりとりを止めないことが多くなっていた。
凛花は自身の考えを言うことが苦手な女の子だ。
しかし、音楽のことは積極的に発言しているから、普段の生活もそうなれば良いと思っていた。
悠馬と言い合える、戦えるほどになれば、これからの生活にも役立つのではないか。
以前にも感じた父親の心境だ。
いつの間にか姿を消していた詩織さんが部室へと戻ってきた。
両手を背後に回して全員に笑顔を向けている。
「はい、はい、注目! 今日は早めに練習を切り上げよー!」
隠していた両手を前に突き出すと、手には花火大会と書かれたチラシを持っている。
チラシは四つの角が欠損しているから、どこかに貼ってあったものを剥がしてきたのではないか。
「花火大会、みんなで行こうよ! 楽しみだねー」
俺たちに見せた面を翻して、夜空に花が咲いた絵を愛おしく眺めている。
「――その前に、金本くんは島崎さんに謝って」
「ええ……なんで俺だけなんすか。こいつが先にケンカ売ってきたんすよ?」
「――じゃあ、お互いに謝りましょう。ほら、島崎さんも」
美波に腰を押された凛花、悠馬は美波の
向き合うといっても、凛花は下を向いているし、悠馬は口腔内で舌を転がして、視線を合わせようとしない。
「――ほら、二人とも」
両手で空中を扇いで互いの謝罪を促している。
二人の中間に立つ美波の姿は、優しげな保育士に見えた。
「わ……悪かった。もっと……丁寧に叩くからよ」
口を尖らせて、悠馬は縮れ毛に指を通過させる。
唇は飛び出したまま、上下左右を彷徨っていた。
「……私……謝らない……」
「はあ……!? お前、俺が謝ったのに!」
「悪いと……思ってないから……謝らない……」
小さい身体を震わして反抗する姿は、怒気と勇気を持ち合わせている。
俺は二人の間に声を投げかけた。
「まあ、気持ちが乗らない謝罪なんてしなくていいよ」
一歩近付いた後、対面にいる美波と目が合う。
「外村くん……社会で、その考え通用しないわ。たとえ否がなくても謝らないといけないことだってあるよ、きっと」
俺の意見に対して呆れた声を出して、美波は腰に手を添えた。
「――俺たち学生じゃん。学生の時くらい……自分に素直でもいいんじゃない?」
「私は、島崎さんのことが心配だから……」
性格は違うが、他人と関わることが苦手な凛花に自身を重ねているのだろうか。
「わかってるよ。俺たちが卒業した後のことも……考えてるんでしょ」
「――そんなことはないわ。ただ、頼れる人がいないのは辛いと思うから。そうじゃない人もいるけど……」
そんなことあるじゃん、と俺が心の中で呟いたと同時に、室内には手を打ち鳴らす音が二回響いた。
「はい、はい。争うことも時には大事だけど、ケンカは終わり。花火大会! 行こうよー、みんなで。仲直りもできるよー」
仲直りは有耶無耶のままで、詩織さんの提案にのって花火大会へ行くことになった。
美波と凛花が浴衣のことを話し始めて「えー、私は浴衣ないよー」と、ホテルに滞在している詩織さんは肩を落として口を開けている。
練習が終わって機材などを片付けていると、室岡が部室へと入ってきた。
両手に白い袋を下げている。
最近、室岡は部室に姿を現す。
部室の隅に置いたパイプ椅子に座って、俺たちの演奏に耳を傾けていた。
瞬きをろくにしない彼の黒い瞳に、恐怖や不信を感じていたのは俺だけじゃないはずだ。
顧問という立ち位置や行動は一つも求めていなかったが、俺たちの生演奏を聴いた初めての人物である。
しかし、女子三人が目当てで来ているのだろう。
俺は勝手にそう思っていた。
彼は黒い丸テーブルの上に白い袋を二つ乗せる。
片方の袋の外側には、無数の水滴が主張していた。
「これ、差し入れだ」
誰の顔を見ることもなく、白衣の裾が緩徐な蛇のように動いていた。
眉間に皺を寄せて目を見開くという動きを繰り返す、その姿は完全に不審者である。
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