波浪と動向 4

 夏休みで無人なことが幸いだ。

昇降口に馬が来て、生徒と言い争っていたら事件である。

無人といっても美波のように文化祭準備であったり、進路の相談、何かの用事で校内に来る者もいる。

教員もいるから安心はできない。

馬に憤りを感じている悠馬の肩に腕を回して、教室へと連れていく。

詩織さんは凛花の背後から手を回して進んでいた。


「俺、こんな馬とはバンド組めねえっすよ!」


「まあ、まあ。意見の食い違いだよ」


「私も変態垂れ目小僧とはできないかもー」


「馬のほうが変態だろうが!」


 教室に入った詩織さんの声は張りと輝きが増したように感じた。

教室内を歩き回って「わー、教室懐かしいー!」と、色々な椅子に着席しては起立してを繰り返している。

馬が教室内に存在していることは、あまりに滑稽だけれど、このような場面はB級映画にありそうだと思った。

黒板に残っている『夏は永遠の青春』という文字を詩織さんは見つめている。

ピンク色のチョークを指先で挟んだ彼女は、尾に置かれた『春』の隣に主題より大きな字を綴った。


『大人になっても忘れるなよ!』


 俺も……学生生活を懐かしむ日がくるのだろうか。

そこに存在した時間を思い出として、忘れずに胸に刻むのだろうか。


「とりあえず……ここには、基本的に誰も来ないと思いますから、被り物を取っても大丈夫ですよ」


「うん!」


 馬から人間に戻った詩織さんに、二人はそれぞれの反応を示した。

凛花は馬の時よりも人型の詩織さんに「ひいい……!」と声をあげる。

両手を身体の前に並べて、彼女の顔は伏せていく。

俺は口元に手を当てて下を向いた。

凛花の行動は可愛らしくもあって、奇行とも呼べる動作が俺は好きだ。


「え……マジっすか……きれいな人じゃないっすか!」


 手のひら返しの悠馬は、普段のニヤけた顔に戻る。


「初めましてー、詩織だよ」


「俺、悠馬っす!」


「ゆうまくん? 『ま』は真実の真? なんて書くの? 馬?」


「馬っす!」


「それなら、きみのほうが馬野郎じゃん。呼び方は、変態垂れ目……馬小僧でいいかな?」


「いや、いやそれはやめてほしいっす! 長いっす! ショックっす! 詩織姉さん……その青い目も髪の色も身体も全部エロいっす!」


「きみさー、そういうこと言われて女の子が喜ぶと思っているの?」


 目を細める詩織さんに悠馬はそういうやつです、と言いたかったけれど口には出さなかった。


「ねえ、なんていう名前なの?」


 俺の後ろに隠れている凛花に近付いてきたが、彼女が掴んでいる俺のシャツが皺を寄せて痛がっている。

人見知りの娘がいる父親にでもなった気分だ。


「島崎……凛花……です」


「凛花ちゃん。きれいな名前だねー」


「い……いえ……」


 凛花の顔を覗き込んだ詩織さんは、両手で彼女の頬を挟み込んで、柔らかくて気持ち良いと喜んでいる。  


「ひいい……!」


 凛花は何を恐れているのか、ホラー映画にでてくる声がおかしく思える。

お互いの自己紹介が終わったところで、話を本題に向けていく。

今日までの流れは、詩織さんに昨日話してある。


「とりあえず顧問にできそうな室岡だけど、今日は来ないらしい。さっき職員室で聞いた」


「そうなんすねー、じゃあ今日はなにをするっすか? 詩織姉さんと親睦を深めるとかっすか?」


「それぞれの技量もわからないから、なにか合わせるための曲を決めようかなって」


「そうなんすねー」


「曲を決めたら、各々が練習してバンドで合わせる感じで」


「はい、はーい!」


 小学生が先生に指名されるためのパフォーマンスを詩織さんがした。


「やっぱり学生っていったら、反抗でしょ! パンク!

心の内に秘めた衝動をパンクにぶつける!」


「パンクって! またパンクっすか!」


「なーに? なにか文句あるの?」


「いや、いや! ねえっすよー。島崎もパンク好きだもんな?」


「うん……」


「そうなの? やっぱり凛花ちゃんは見込みあるねー。じゃあ曲は――」


 提案した楽曲は、凛花も好きと言っていた英国のパンクバンドだった。

唸るように歌うボーカルが特徴的で、初期メンバーのベーシストが脱退すると、次に入ったメンバーはベースがほとんど弾けなかった。

それすらもパンクだといわれているし、彼の生き様は映画にもなっていた。

英国の国歌と同じタイトルをつけた楽曲は、王室を批判する内容であって過激である。

当時の時代背景や聴衆の想いはわからないが、それらの行動の取り締まりは、現在よりも厳しかったはずだ。


「えーと、これね」


 詩織さんのスマートフォンから聴こえるのは、錆びついたナイフで熟れた果実を切りつけるような歪んだギターの音だ。

疾走感のあるビートに、独特の歌いまわしが教室に響く。

悠馬は首を傾げて、垂れ目よりも眉毛を下げている。

「これが……パンクっすか」

現代の学校に流してよい音楽ではないのかもしれない。

楽曲が壁に跳ね返って、俺と凛花は軽く身体を揺らしていた。


「――はい、どうかな? とりあえずの練習曲ってことで」


「俺は大丈夫ですよ」


「あ……私も……はい」


「なんかよくわかんねえっすけど、詩織姉さんがやるっていうなら、やりましょう!」


「じゃあ、各々がコピーして合わせるって感じ?でいいのかな、優詩くん」


「そうですね。悠馬は――」


 始めたばかりで譜面が読めないだろうから、耳コピをして、それらしく叩けばよいと進言してみる。

余裕です、と繰り返す彼に不安だけが残った。

とりあえずバンド演奏するためのメンバーは揃った。

この先の課題はあるけれど、メンバーの仲に険悪な雰囲気もないから問題ないだろう。

馬と悠馬が口論している時は、前途多難だと感じたけれど。

リーダーとしての責務は果たせているのか。

俯瞰でみてもわからないが、停滞なく進めるような自信はある。

しかし、机を介してふざけあっている三人を見て、少しばかり自身の髪を触った。


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