眠れぬ夜は君のせい

名古屋ゆりあ

失って、出会った

つきあっていた恋人に振られた。


その相手は、私の親友だった。


誰もいない昼休みの講義室で、彼と彼女がキスをしていた。


「ーーっく…」


午後の講義は休んだ…と言うか、出たくなかった。


講義に出てしまったら、2人と顔をあわせることになるから休んだ。


それで成績がどうなろうが単位がどうなろうがどうでもよかった。


逃げるように大学を飛び出した私は自分の家の庭にいた。


バラがたくさん咲いているキレイな花園は、私の秘密の場所だ。


今日みたいに1人になりたい日があった時は、ここにきて1人で泣くことが定番だ。


泣いている私を慰めるように、バラの香りが私を落ち着かせてくれるからだ。


今日も、そうだった。


ーーザッ…


その音に顔をあげると、革靴があった。


誰なのだろう?


顔を動かして革靴の主を見ると、私は息を飲んだ。


その瞬間、泣いてたことなんて忘れてしまった。


光の加減によっては茶色に見える黒髪に、丁寧に整った顔立ち、長身のスリムな体型ーースーツ姿の男の人が私の目の前にいた。


ーーこの人は、何者なの…?


そう思って見つめていた瞬間、彼が唇を開いた。


薄くもなく、厚くもなく、ただ形がいい唇だと私は思った。


「まさか、こんなところで早くお会いできるなんて」


「えっ?」


それは、どう言う意味なのだろうか?


「君が萌波ちゃんでしょ?


茅ヶ崎萌波(チガサキモナミ)ちゃん」


彼はそう言った。


ーーどうして、私の名前を知っているの…?


何も言わない私に、彼はクスッと笑った。


「ああ、私の自己紹介がまだだったね。


私は衛藤敦仁(エトウアツヒト)、年齢は、32歳。


身長は182センチで、体重は70キロ」


別に聞いてもいないのに、彼は自分のプロフィールをしゃべっている。


私は泣いていたのも忘れて、ただそれを聞いていた。


「そして」


彼はそこで話を止めて唇を開くと、

「君の婚約者です」

と、言った。


一瞬、私の聞き間違いかと思った…けれど、彼の唇から出てきたのは“コンヤクシャ”の6文字だった。


話についていくことができない。


私の婚約者って…つまり、私はこの人と結婚するって言うことなの?


どうにか解釈をした私に、

「じゃ、私はこれで」


彼――衛藤さんはそう言って背中を見せた。


「えっ、待っ…」


音を立てて、風が急に吹いてきた。


「きゃっ…」


あまりの風の強さに私は思わず目を閉じた。


風がやんで次に目を開けた時、そこに彼の姿はなかった。


  *


衛藤敦仁は若手政治家で、有名政治家の第2世なのだそうだ。


「政治家さん…か」


その後で彼のことが気になって調べた。


調べたって言っても、メイド長に聞いただけである。


彼女は私が彼と出会っていたことに驚いていた。


「お嬢様と衛藤様は明日の夜お会いする予定でしたのに」


明日の夜に彼と会う予定だったと言うその事実に私は驚いた。


お父様ったら、そんなことを一言もおっしゃらなかったのに…。


私が彼女にそのことを告げると、

「お嬢様を驚かせたかったのでしょうね」


フフッと、彼女は笑ったのだった。


驚かせたかったって、お父様は暇なのね…と、私はそう思った。


その日の夜のことだった。


「お嬢様」


メイド長が部屋に入ってきた。


「何ですか?」


内容はわかっているけれど、私は返事をした。


「旦那様がお呼びです」


衛藤さんのことだと、私は思った。


「萌波に会わせたい人がいるんだ」


部屋を訪ねた私に、お父様が言った。


「会わせたい人、ですか?」


それは、衛藤さんのことだろうーー本当は知っているけれど、お父様の前だから言わないことにした。


「衛藤敦仁さんって言う人で、萌波の婚約者なんだ」


「婚約者?」


演技って、結構大変なのね。


そんなことはとっくに知ってる…と、言ってしまいそうになった。


「明日の夜に『エンペラーホテル』で衛藤さんとそのご家族と会う約束をしている。


萌波、いいか?」


そう聞いてきたお父様に、

「ええ」


私は首を縦に振ってうなずいた。

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