アガサ山の洋館

「あれが、雫の別荘か?」


 森の木々の隙間から大きな洋館が見える。その洋館は鬱蒼とした森の中にある不自然なほどの人工物だった。


 そして、その異様さはそれだけではなく、その洋館が岩の孤島の上に浮かんでいることだ。


 岩の孤島とは、大きな岩の柱の上にその洋館が建っており、その岩の柱を囲うように、幅30mほどの穴が空いている。その穴は底が見えないほど深かった。


 ゆえに、陸の孤島と呼ばれている。


 なぜそのような場所に洋館を建てたのかと言いたくなるが、どうやら最初はそのような場所ではなかったらしい。


 最初は普通の場所に建てられた洋館だったが、3年前、洋館の周りの岸壁が崩れ落ち、奇跡的に洋館だけが残ったようだ。証拠に剛先輩が4年前と3年前の日付の洋館の様子が写った写真を見せてくれた。


 確かに、4年前は岩がちな平原に洋館が建っていたが、3年前は打って変わって、洋館は穴に囲われてしまっていた。


「あんなことあるんだね? 洋館の場所だけ綺麗に残るなんて。」

「家は地盤が強い所に立てるから、洋館だけ残ることも起こりえるのかもな。」

 「……殺人事件とか起こりそうね?」


 来実は縁起でもないことを言う。来実は他の登山サークルのメンバーを待ちぼうけて、唇にリップクリームを塗っていた。来実は1年中リップクリームを塗っているが、夏でも唇が乾燥するんだろうか?


「そんなのは小説や映画の中だけだろ?」

「でも、あの洋館をつなぐ吊り橋は、あれだけなんでしょ?


 なら、その橋が落とされちゃえば、クローズドサークルの出来上がりよ。」

「あとは、1人ずつが殺されて行って、最後には誰にもいなくなるってことか?」

「アガサ山だけに?」


 司と来実はそれを聞いて大笑いする。


「そんな訳ないわね。」

「いや、本当にそうか? 


 手紙の内容を見たら、あり得ないとは言い切れないだろう。」

「確かにね。


 1年前に自殺した人間からの招待状はミステリーの導入としてはばっちりね。」

「こらこら! 二人ともいちゃついてないで、早く洋館の鍵開けてくれない?


 久しぶりの夏山は、暑くて敵わないわ!」


 樹里が2人をせかすように注意した。司と来実は、樹里の言葉を聞いて、再び歩き始め、洋館の吊り橋の方へと向かった。


「確かにそうだな。」

「いいの? 別荘に入ったら死んじゃうかもよ?」

「大丈夫、今の時代はこれがあるからな。」


 司はそう言って、ポケットの中からスマホを取り出した。


「もし、吊り橋が落ちたなら、このスマホですぐに110だ。


 もちろんこの山でも、圏外になる心配はない。アガサ山の山頂近くに電波塔があるから、この山でも電波は4本立っているだろう?」


 そう言われると、来実はポケットのスマホを取り出して、電源を点ける。


「確かに! 私も電波が4本立ってる!」

「だから、あの岩の孤島に閉じ込められたとしても、すぐに助けを呼ぶことができる。」


 司と来実がそんなことを話していると、吊り橋の前まで着いた。吊り橋は木と縄で出来ており、風が吹くと、ゆらゆらと揺れていた。


「この登山サークルに高所恐怖症の人間がいなくて良かったわね。」

「いたら、登山サークルに入ってないよ。」

「それもそうね。」


 そう言って、司が吊り橋を渡ろうとした時、後ろから大声が聞こえた。


「ちょっと待て! 渡るな!」


 剛の声がアガサ山に響き渡る。司はその声を聞いて、吊り橋に乗せようとした足をひっこめた。


「なんですか? 剛先輩?」


 剛は息を切らしながら、説明を始めた。


「はあ、はあ……、伝えるのを忘れてた。その吊り橋は1人ずつ渡ってくれ!


 別荘の鍵を雫の爺さんからもらった時に、そう言われていたんだ。吊り橋はこの1年誰も通っていないらしい。普通は5,6人渡っても大丈夫なんだが、念のため1人ずつ渡って欲しいそうだ。」

「なるほど。」


 司はそう言って、吊り橋に足をかける。


「ちょ、ちょっと! 怖くないわけ?」

「大丈夫、大丈夫。このくらいのスリルはどうってことないさ。」


 司はそう言って、吊り橋の上で足踏みをする。


「分かった。特攻隊長はお前に任せよう。この鍵を渡しておく。


 吊り橋を渡り切ったら、鍵を先に開けておいてくれ。雫の爺さんが言うには、この鍵が別荘の鍵か分からないそうなんだ。


 爺さんは半年前に、雫の部屋の整理をしていた時に見つけたそうなんだが、どうにも昔見た別荘の鍵と少し違うそうなんだ。


 だが、鍵には、【アガサ山別荘】と書かれたキーホルダーが付けられていたから、おそらくは別荘の鍵であっているだろうとのことだ。」

「じゃあ、別荘が開かなければ、このまま下山ってわけ?」

「いや、おそらく、これが別荘の鍵だと思う。」

「なんでそう思うの?」

「一時期、雫は鍵を改造するのにはまってたときあっただろう?」

「ああ、登山サークルの部室の鍵も改造されたことあったわね。」

「だから、多分、その一環で、別荘の鍵を変えたんじゃないか?


 別荘は築70年建つ洋館だから、その分鍵も古くなっていたから、雫が取り替えたんじゃないかな?」

「まあ、とりあえず、鍵が合うか確認すればいいんだろう。」


 司はそう言って、吊り橋の上をバタバタと走り出した。吊り橋は司が足を付けた方に、ゆらゆらと揺れた。


「気を付けろよ! それで落ちたらどうするんだ!」


 剛は本気の口調で注意した。しかし、司には聞こえていなかったのか、吊り橋を駆け抜けていった。


「やっぱり、司の心臓は毛むくじゃらですね。」

「あっ、雄馬。」


 雄馬はリュックを吊り橋の前に置いた。


「まさか、荷物持ちが5着とはな。やっぱり、圭人とそれに付き添ってる美空がべべか?」

「そうですね。


 ですが、2人ももうすぐ来ますよ。僕もさっき2人を追い抜きましたからね。」

「そうか、遭難して内容で良かったよ。」

「まあ、何度か怪しい時はありましたけどね。」

「一度も警察、消防のお世話になってないからセーフだ。」

「いづれはお世話になっていたでしょうけどね。」

「ああ、だから、1年前にサークルが停止されたことは良かったのかもしれないな!」


 剛がそう言うと、皆が一斉に黙り込む。


「……剛。それはないでしょ。 雫が死んだことが良かったみたいに言わないで。」


 樹里が怒りを込めて、そう言った。和やかな空気から一気に緊張が走る。


「……ごめん、配慮が足りなかった。」


 剛はそう言って、黙り込んだ。


「おーい! 渡り切ったぞー! 皆も来いよー!」


 嫌な静寂を破ったのは、吊り橋を渡り切った司の声だった。こちら側の話を聞いていなかった司は、元気よくこちらに手を振っている。


「司ー! まずは別荘の鍵があってるか確かめてー!」


 来実がそのように大声を上げると、それを聞いた司は洋館の扉の鍵を開けるような動作をした。すると、洋館の扉が開いたようで、扉の奥に洋館の中が見える。

 

「……そんなに、結構きれいだよ。すぐに使えそうな雰囲気だよ。」


 司はそう叫んだ。


「司がそう言っても、1年使ってないから、掃除は必須でしょうね。」


 樹里がそう言った。


「まじかよ。すぐに横になりたい気分なのに……。」


 雄馬はそう言って、荷物のそばに座り込んだ。


「僕も今すぐ横になりたい気分ですよ。」


 その声を聞いた皆が振り返ると、そこには圭人と美空がいた。圭人はぜいぜいと息を切らしている。


「お、意外と早く着いたな。圭人も登山早くなったんじゃないか?」

「皆さんこそ、遅くなったんじゃないですか? まだ雄馬の息も切れたまんまじゃないですか?」

「確かにな。


 ……じゃあ、全員そろったし、洋館の鍵も開いたし、行こうか!」


 剛はそう言った後、真っ先に吊り橋へと進んだ。


「1人ずつだからな。俺の後ろに来るんじゃないぞ!」


 剛はそう言って、ゆっくりと吊り橋の上を歩いていった。


「向島先輩、ああ言うところ真面目だから、私達が2人で渡ろうものなら、こっぴどく叱られるでしょうね。」

「ああ、リーダーの言ったことを守れないと、山で死ぬぞ!って言っている怒り顔が想像できるな。


 司が走って壊れなかったんだから大丈夫だろうにな。」


 雄馬がそう言い終わると、剛は吊り橋を渡り終えていた。そして、雄馬が荷物を抱えて、吊り橋に足をかけた。


「荷物持ちは先についておいた方がいいだろう。」


 雄馬はそう言って、吊り橋を渡っていった。


「あの3人の男どもは、レディファーストを知らないようね。


 ……次誰行く?」


 樹里がそう言うと、圭人が手を挙げて話始める。


「僕は最後でお願いします。


 やっぱり、久しぶりの登山は体に応えたので、少し休憩してから、吊り橋を渡ります。」

「そう。」


 そして、順番はじゃんけんで決めることになり、樹里、来実、美空、圭人の順番で渡ることになった。


 よって、樹里、来実、美空と吊り橋を1人ずつ渡っていった。


「後は、圭人だけか?」

「そうだね。」


 そう言って、来実が圭人に向かって手を振ると、重い腰を上げて、吊り橋を渡り始めた。


 そして、圭人が吊り橋の真ん中に来た時、急に雄馬が叫んだ。


「圭人! 引き返せ!」

「ちょっと、何言って……。」


 樹里がそう言おうとした時だった。


 岸を繋いでいる吊り橋のロープの片方がするりとほどけ落ちる。


 すると、吊り橋が片方に傾き、圭人が吊り橋から振り落とされる。しかし、落ちるすんでの所で、吊り橋の橋げたを掴む。


 全員が良かったと思った瞬間だった。


 無情にも吊り橋を繋ぐもう一方のロープがほどける。


 すると、支えの無くなった吊り橋は谷底に落ちていき、橋げたを掴んでいた圭人は吊り橋から手を離れる。


 全員が落下する圭人の体を見つめていた。


 そして、圭人は光の届かない奈落の底へと消えていった。



 圭人の断末魔が崖に反響した後、肉と骨が破裂する乾いた音が遅れて聞こえてきた。

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