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 さらに数週間経って、エルヴィスがくだんの香水の成分分析を終えたころ、オーエンの方にも大きな進展があった。国境警備に配置されていた兵が交替のために戻ってきたという。アーロム帝国に他国との境界が二か所あり、片方は巨大な森林の中にあるが、もう片方は平地に存在する。

 平地の方は隣国と接している地点のため、人員を配置して人の流れを監視させているが、森林の国境は人員を配置せず、年に一度の頻度で強化される防護魔術によって守られていた。

 今回国境警備を担当していたのはオーエンが可愛がっていた年若いアルファの青年・ジーンであり、半年にわたる赴任の帰還後すぐにオーエンのもとへ「話しておきたいことがある」と言って顔を出しに来たらしい。一緒に話を聞きたい、と申し出たエルヴィスにオーエンは一も二もなくうなずいた。

「あれ、お二人そろってどうしたんですか? 僕が離れている間に一緒に暮らし始めたんです?」

 二人が住居を分けているのはジーンも知っていた。王族に籍のあるエルヴィスに砕けた話し方をするのは〈天〉の宮廷魔術師とオーエンをのぞくと彼だけだ。

「違う。わたしもおまえに訊きたいことがあって来た」

「そういうことだ。残念ながら、暮らしは変わっていない」

「なーんだ、つまらないですねえ」

 他人の生活を面白がるな、とジーンを軽く叱って、オーエンは話を本筋に戻した。

「それで、俺に話したいことってなんだ?」

「他の人には言わないほしいことなんです。……あ、エルヴィス様は別です。お二人の間でお話されるには構わないのでそのまま聞いてください」

 他言無用の話であれば、と椅子から腰を浮かしかけたエルヴィスをジーンは制した。ジーンは緊張した面持ちのまま、すうっと息を吸って、一気に吐き出すように喋った。

「――実は先月、隣国からの侵入者を取り逃がしているんです」

「なんだって?」

 今度はオーエンが椅子から立ち上がり、勢い余って椅子を倒した。その音に驚いたジーンが「ごめんなさい!」と言いながら防御姿勢を取る。エルヴィスはやれやれ、とつぶやきながらオーエンが倒した椅子を引き起こした。

「オーエン、落ち着け」

「……ああ。悪い、ジーン。それで?」

「すぐに報告をしようと進言したんですけど、その……できなくて」

 オーエンはすぐに今回の国境警備隊長が誰かを思い出した。出世を第一に考え、自分や部下の失態を晒すことをひどく嫌う男である。オーエンはジーンが濁した言葉の先を悟った。おそらく失態が公になるのを拒否したのだろう。

「状況は理解した。取り逃がした侵入者は何人だった?」

「三人です」

「顔は見たか?」

「はい。昼間なのにフードを目深にかぶっていたのでおかしいなと思ってなるべく顔を覚えるようにしていました」

「いい判断だ」

 オーエンに褒められたジーンは先ほどまでの表情とは打って変わって、嬉しそうに口元をほころばせた。

 エルヴィスはジーンの前に一枚の紙を置いた。王とともに会食に出た際に撮影されたオメガの側室の写真である。

「……そのうち一人は、こんな顔ではなかったか」

 国境警備に出ていたジーンはまだ、王に側室が増えたことを知らない。写真を見たジーンは驚いたように目を見開いた。

「そうですよ、三人の中にいた一人ですけど……なんで、宮廷内にいるんです?」

「それについては追々オーエンが説明する」

「俺かよ」

 至極当然な質問をするジーンをオーエンに押し付け、エルヴィスは考える。隣国から国境警備の目をかいくぐって帝国内に侵入し、王の側室の座に即刻収まったオメガの男。動きが不穏すぎる、と感じた。

「あ、あと最後に。三人のうち一人がこれを落としていったんです。僕は隣国の言葉は話せても文字は読めないので、持って帰ってくるだけになってしまったんですけど」

 ジーンが差し出した小さな紙をのぞきこんだオーエンは「なんでこれを最初に出さないんだ!」と大声を出した。

「そんなこと言われても僕には重要性がわからないんですってば!」

 オーエンがひったくった紙をエルヴィスも横からのぞきこんだが、書かれている文字を見てすぐに険しい顔をした。

「……そんなにやばいことが書いてあるんですか?」

「本国の宮廷の警護体制、国全体にかかっている防護魔術の仕組み、金採掘に利用されている魔術、海水を真水にする魔術の調査をするようにという文字が書かれている。が、非常に読みにくい」

 ただでさえ小さい紙に四つの指示を詰めこんであった。外交を担うかもしれない、と宮廷教育で隣国の言葉の読み書きも叩きこまれたエルヴィスとオーエンだからこそ読めた文字だった。そして、この紙に書かれていた内容は、側室のオメガが隣国から侵入した諜報員であることを決定づけた。

「例えば戦をしかけるとして、最初の二つはわかるんですけど、後の二つはなんで知りたいんでしょうね」

 解読された内容を聞いたジーンが首を傾げる。その疑問にはエルヴィスが答えた。

「戦を仕掛けて勝ったときにその技術を知るものが誰もいませんでした、ではせっかく戦をしかけても意味がないからだろうな。そもそも本国に戦を仕掛ける国が欲するものは金資源以外にない。あとは海洋に溢れるほどにある水だろうか。だが、それも真水にしなければ利用価値のないものだ」

 以前は金を巡る国同士の争いも多かったが、いくつもの戦いに勝利したアーロム帝国は絶対的な経済力で諸国を黙らせる力を持つようになった。そして平和な時代が長く続き、いつしか争うための魔術よりも暮らしや産業の補助(資源採掘、彫金技術などに関連するものがほとんどだ)をする魔術が発展していった。戦闘魔術の開発はいつしか時代遅れとされ、最後に研究成果が発表されたのはエルヴィスたちがまだ子供だったころだ。現時点で隣国と争えば、間違いなく防戦一方を強いられ、最悪の事態――亡国も免れないだろう。

「ジーン」

「はい?」

「今日聞いたことはすべて忘れて帰れ。国境警備でのことも全部だ。賢いお前なら、この意味がわかるな?」

 オーエンに言われたジーンはきょとん、とした顔をしたのち、表情を引き締めた。

「はい。……ありがとうございます」

 頭を下げるジーンにオーエンは首を横に振った。彼がもたらした情報のおかげでようやく動くことができる。部屋を辞そうとしたジーンをエルヴィスが引き留めた。

「早く帰りたいだろうにわざわざ顔を出してくれて助かった。みやげだ。二人で食べるといい」

 ジーンは手渡された包みの中が菓子だと知ると、笑顔になった。

「ありがとうございます。……ただあいつ、食べるかな」

 ジーンにも伴侶となったオメガの青年がいる。口数が多くないうえにお世辞にも愛想がいいとは言えないため、ジーンも彼に苦労しているようだった。エルヴィスは苦笑しつつ告げてやる。

「おまえがいない半年の間、寂しそうだった。寂しくさせたことに対して謝罪をして茶に誘えばいい」

「そんなにうまくいきますかねえ」

 ジーンは半信半疑だったが、帰宅が遅くなってさらに番にへそを曲げられては困る、と言って帰っていった。

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