焔、ゆらめいて、折々
水神鈴衣菜
第1話
眼前にはただ、名状しがたい色の空が広がるだけだ。
その色は、海も、浜も、私をも飲み込んで、その場を燃やし尽くすように存在した。もしここで息を止めて、自然と一緒になったら、私もその色になれるような気がした。なれたらどれだけ良いかと思った。
私の鼓膜を撫でるのは、風と、波と、私の心臓だけだ。
少しだけ目を空から外して、浜を歩いてみようと思った。私の、枯葉のように細くなってしまった足も、空が燃やしている。このまま燃やし尽くされて、灰になれたら。ぼんやりとそう願うことしか、私にはもうできなかった。
私の鼓膜を撫でるのは、風と、波と、私の心臓。あとは、私の足音だけだ。
足元を見ながら歩いていると、誰かが遺した落書きを見つける。細い枝で書かれたのか、それは決して上手い字とは言えないけれど、美しい思い出の欠片が遺されているように思われてならなかった。それが羨ましくて、私はわざと、その落書きの上を歩いて、美しい思い出に水を差した。少しだけ大きな波が私の足元を攫った。海も美しい思い出が羨ましかったのだろうか。私と同じだ。私はあなたが羨ましいのだが。
私の鼓膜を撫でるのは、風と、波と、私の心臓だけだ。
すっかりこの場所に来た訳を忘れるほどの時間、波間を縫って、足を濡らして、浜を歩いた。絶えず柔らかな風は吹き、絶えず波が打ち寄せる。私の心臓も負けじと、私にその仕事を見せつけるように、存在を証明し続ける。
すっかり止まって、風と、波だけ聞いていたかった。
結局忘れることはできなかった。けれど今日はやめてやろうと思った。長く、決して綺麗とは言えない髪ばかりを風が攫っていく。そのまま私ごと攫ってしまって欲しい。
だが、私の心臓だけは、必死に必死に、生を叫んでいた。阿呆らしい。主が望まぬことを、この体は容易く成してしまう。命は未だ燃えているのだ。空のように。海のように。浜のように。
その色に、私は焔と名付けた。単純明快、理由は説明することもない。
またこの色を見に来よう。そうやってなんとか、命へとその焔を拾って、そうして、いつか風と波だけ聞こえるようになるまで、この色にしがみついていよう。
この思考を、私は何度したことだろうか。
焔色の空に背を向ける。そろそろ、焔にも水が差される頃だろう。そんな様は見たくない。
私という人間の単純さを笑いながら、私は燃えるその場所から遠ざかった。
焔、ゆらめいて、折々 水神鈴衣菜 @riina
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