教えたがりな天使
一人の天使が、腕を組んで天国から人間の世界を見つめている。
彼の名は、オラシオ。生まれて間もない若い天使だ。
「なんて愚かなんだ!」
これが、オラシオの口癖だった。
天使たちには、役目があった。それは、人間を守護すること。一人の人間につき、一人の天使が割り振られるのだった。
オラシオの担当は、日本人の米村 愛理という若い女の子だった。
愛理は、とても傲慢な性格をしていた。美しく綺麗な女の子だったが、それをいつも鼻にかけていた。
「愛理、あんたみたいなゴミと付き合うわけないじゃーん」
気に入らない男の子から告白されると、そうやって嘲笑し、罵っていた。
「ぐうう!愛理め!またあんなことを!」
オラシオはいつも、そんな傲慢な愛理に怒っていた。
「愛理をなんとかしなければ!」
彼女の性格を更正したいと思ったオラシオは、下界に降り、愛理を叱ろうと考えた。
「下界へ行くのかい?オラシオ」
すると、周りの先輩天使たちが、彼にそう問いかけた。それに対して、オラシオは言った。
「ええ、愛理を叱り、本当の愛の道へと導かねばなりません」
「ふふふ、そうか」
「先輩方も、一緒に行きませんか?人の世界へ降りて、我々みんなで愛を説けば、きっと人間の世界は良くなります」
しかし、オラシオがそう言っても、先輩天使たちはみんな口許に微笑を湛えながら、首を横に振った。
そして、人間の世界に向かって手を合わせて、祈りを捧げた。
「これでいいんだ、オラシオ」
「え?」
「祈るだけでいいんだ」
「……………………」
無論、オラシオには全くピンとこない。むしろ、内心憤りすら感じていた。
(見守る役目を与えられたのなら、導いてやるべきじゃないのか?祈るだけだなんて、先輩方も薄情な方々だ……)
結局彼は、一人で人間界に行くことにした。そこで、天使のトップであるザドキエルの元へ尋ねた。
「ザドキエル様、人間の世界へ行く許可を下さい。私の担当である米村 愛理を導き、成長させたいのです」
ザドキエルは優しく微笑みながら、うなずいた。
「そうか、オラシオ。やりたいと思うなら、やってご覧なさい」
許しを貰えたオラシオは、早速人間の世界へ降り立ち、人間の街へと向かっていった。
たくさんの人で溢れかえる都会。
そんな中で、オラシオは愛理を見つけた。携帯を片手に持ち、機嫌が悪そうに叫んでいた。
「だからさー、早く仕送り送ってよね!金欠なんだからさ!大学生は金がいんの!え?バイト?やだよめんどくさい」
携帯をブチリと切って、「バイトとか絶対いや。ママから金もらえんのにやるわけないじゃん」などと、ぶつぶつ文句を垂れている。
(酷い!金を工面してらっているのに、あの横柄な態度!愛理め、歳を重ねる度に傲慢になる!)
オラシオは彼女の前に立ちはだかり、声高らかに言った。
「愛理よ、聴きなさい。私はお前を見守っていた天使だ。お前には、愛が何かを教えなければならない」
「……………………」
「傲慢な態度を改めて、真の真心を知りなさい。でなければ、いつか本当の孤独がやって来るぞ」
「……………………」
しかし、それはものの見事にスルーされた。
「あ、あれ?愛理!ちゃんと聴きなさい!」
何度も愛理へ声をかけるが、振り向くどころか声に反応すらしていない。
「聴こえていないフリ?それにしては、様子が変だ」
オラシオは愛理以外の者にも声をかけてみた。なんと誰も反応しない。
それどころか、オラシオは人間世界の誰にも姿を確認してもらえず、オラシオ自身も何も手に触れることができなかった。
「困った……人間には天使が見えないのか。先輩方もザドキエル様も、なぜそこを教えてくださらなかったのだ……」
そのことに気がついた彼は、がっくりと肩を落として嘆いた。
「……ええい、くそ。腐っていても仕方あるまい。何かしら人間に干渉する方法があるはずだ」
気を取り直したオラシオは、とりあえず愛理の後についていきながら、作戦を練ることにした。
……愛理は大学生になって、その横柄な性格にさらに拍車がかかっていた。
友人のファッションをダサいと言って笑い、人にご飯を奢らせ、電車や店の中でも平気で大声で話す。
その度に、彼氏や友人は注意をしてくれるのだが、愛理は全く話をきかなかった。
(愛理め……愛を教える以前の問題だ!最低限の礼儀すら守れていない!愛理を成長させねば!なにがなんでも、接触しなければ……!)
だが、やはりオラシオの姿は愛理には見えず、声も届かない。
様々な方法をオラシオは試してみた。
テレパシーを使ったり、寝ている夢の中に入り込んだり、天使が見える者を探したり、幽霊にポルターガイストを頼んでみたり……
だが、テレパシーはもちろん通じることなく、夢の中に入り込んでも姿は見えない。
天使が見えるのは赤ん坊だけだったし、幽霊に至ってはオラシオが近寄った瞬間に、天使の浄化パワーであっさり天に召された。
(天使は……どう足掻いても人間に干渉できないのか……)
オラシオがひどく落胆している中、事件は起きた。
「お前マジでいい加減にしろ!!なんでもかんでも自分の思い通りにいくと思うなよ!!」
声を荒げたのは、愛理の彼氏だった。
その時は、愛理とその彼氏、そして友人たち数人で、愛理の誕生日パーティーを行なっていた。
友人たちが愛理へプレゼントやケーキを渡してあげるが、彼女はいつも通りの横柄な態度で、「えーなにこのバッグ?形ダサくない?」だの、「モンブラン私嫌い~。駅前のチョコケーキ買ってきてよ。私チョコが好き」だの、酷い文句の連続だった。
そんな愛理に、彼氏はとうとう怒鳴ったのだ。
無論、友人たちも不機嫌そうにしている。
「もういいわ。お前みたいなやつを祝おうだなんてどうかしてた」
そう捨て台詞を吐いて、彼氏は出ていった。
それに続いて、友人たちもみないなくなった。
愛理は呆然としていた。今までの彼女は、そんな対応をされたことがなかったのだ。
いつも甘やかされて育ってきた。人が自分に優しくするなんて、当たり前だと思っていた。
だが、とうとう彼女は、それが当たり前でないことを思い知らされたのだった。
「は?ね、ねぇ、ちょっと!!帰ってきてよ!!ねえ!!」
かんしゃくを起こした子供のように、彼女は叫ぶ。
だが、返事はひとつもない。
愛理はそこらじゅうに八つ当たりしまくり、皿だの茶碗だのが飛び散った。
そしてそのまま、ふてくされて布団の中に逃げ込んだ。
……それから数日が過ぎた。
彼氏や友人たちにメールしても、やはり返事はない。大学で顔を合わせても、みんな愛理を無視した。彼女は完全に孤立してしまった。
散らかった部屋の隅に、膝を抱えて座っていた。
「何これ……。もう誰も、私の誕生日祝ってくれないわけ……?」
ぽつりと呟いた独り言を、オラシオだけが聴いていた。
(……彼女は、自滅した。自分の横柄な性格が災いして、結果、最悪な状態になった。私が彼女を導けることができたなら……きっとこうはならなかった。くそっ、愛理……だから言ったじゃないか……)
彼女の自業自得ではあるが、やはり長年見守ってきただけの情がオラシオにはあった。
(天使は……こうして自滅していく人間を、ただ眺めるしかできないのか?愛理の成長を……少しも手助けできないのか?)
オラシオがそう思っていたその時、インターホンが鳴った。
愛理が玄関に出てみると、それは宅配便だった。中身は、実家からの送り物だった。
彼女は段ボールを開けて、中を覗くと、保冷剤に包まれた小さなチョコケーキが入っていた。
「チョ、チョコ……ケーキ?」
そのケーキには、薄い板チョコが頭に乗っていて、そこにホワイトチョコで文字が書いてあった。
『Happy Birthday』
「…………」
愛理は、しばらくそのケーキを凝視していた。何も言わず、少しも動かず、ただ黙ってそれを見つめていた。
そして、小さなフォークを取るために、ようやく動いた。台所にあるフォークを手にし、そのチョコケーキを口にした。
その瞬間、唇を震わせて、彼女は泣いた。最初はうるうる程度だった瞳が、いつしか滝のように溢れ出していた。
「う、うう……ううう……」
「……………………」
オラシオは、その様子を黙って見つめていた。
愛理はチョコケーキを食べ終わると、携帯を手に取って、電話をかけた。その相手は、母親だった。
『もしもし?』
「あ、あの……ママ」
『あら?愛理、どうしたの急に』
「そ、その……今、届いたよ。ケーキ」
『あら、ほんと?あなたの誕生日にはちょっと遅かったわね、ごめんなさいね』
「い、いや、別に……」
『そのケーキが、どうかしたの?』
「……ママ」
『うん?』
「……ありが、と」
愛理は、産まれて初めて、その言葉を口にした。愛理の母親は『ええ?なによ改まって』と、困惑しつつも嬉しそうな声色だった。
「……………………」
その様子を見つめていたオラシオは、少しだけ彼女の頭を撫でた。下界の物には触れられない、自分のことは気づかれないと知りながら、それでもオラシオは彼女を撫でた。
そして、くるりと振り返り、天使の世界へと帰っていった。
「……おや、オラシオ。お帰りなさい」
彼を出迎えたのは、ザドキエルだった。
「ただいま戻りました、ザドキエル様」
「どうだい?人間を成長させられたかね?」
「……いえ。私は」
──何もできなかった、と言おうとして、彼は止めた。
そして、少し間を開けてから、改めてこう言った。
「何も、する必要はありませんでした」
それを聞いたザドキエルは、嬉しそうに微笑んだ。
オラシオも、どこかすっきりとした顔をしていた。
人間界では、愛理が大学で彼氏や友人たちに頭を下げているのが見えた。
それを見たオラシオは、ふっと優しい笑顔を見せて、他の天使と同じように、手を合わせて祈りを始めた。
「これでいいんだ」
彼は一言、そう呟いた。
おしまい
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