【ショートショート】あなたの一時間をください

@talevoyager

あなたの一時間をください(1)

男は退屈な仕事を繰り返す毎日を送っていた。大学時代、就職活動をするに当たって、男は楽にお金を稼げる仕事を希望した。男の希望は叶い、特別なスキルはいらない、ただ言われた通りに作業をするだけの簡単な仕事に就くことができた。毎日退屈な仕事に耐えるだけでよい。入社して数年、男は仕事を通して成長を感じたことなどなかった。お金を稼ぐために時間を売る。男の仕事を表すとしたら、この表現が適切だった。


ある日のこと、男は仕事を終え、家に帰っていた。今日は何を食べようか。今日は疲れたから、ゆっくりと風呂にでも浸かって休もう。そんなことを考えながら家に向かっていると、いつもの道が工事をしていた。男は、『迂回してください』と書かれた看板を見つけ、仕方なく遠回りして家に帰ることにした。


「この道を通れば、家へと帰れそうだな。」


男が見知らぬ道に入ると、ポツンと置かれた自動販売機が一つ、目に入った。こんな路地裏にあるなんて珍しい。何かおもしろい物でも売っているのだろうか。男は少しだけ覗いてみることにした。


男が自動販売機の正面に立つと、大きな販促ポップが目に入った。ポップには、大きな字で『あなたの一時間をください』と書かれている。そして、肝心の商品はというと、中身の見えない色とりどりのカプセルだった。カプセルには『幸せな1時間』、『ノリノリな1時間』、『ボーっとできる1時間』、『笑える1時間』などと小さな字で印字されていた。


「『あなたの一時間をください』という文言も、中身の見えないカプセルも何もかもが怪しい。カプセルに一体何が入っているというのだ。」


男は新手の詐欺や違法品の類かもしれないと警戒したが、商品自体は大して高くない。物は試しだ、と好奇心から『幸せな1時間』を買ってみることにした。もしつまらない結果に終わったとしても、友人と飲むときの笑い話ぐらいにはなるだろう。


お金を入れてボタンを押すと、赤いカプセルが出てきた。男はカプセルを手に取り、その場で開けてみた。その瞬間、男は不思議な感覚に包まれた。


気が付くと男は家にいた。家と言ってもいつもの自分のアパートではない。大きな一戸建て。こんな家に住んだことはないのだが、ここは自分の家に違いないという確信があった。男は今、理想の住まいで妻や子供たちと過ごしている。何をするでもないが、皆と家でくつろぎながら、リビングで笑い合う。心は幸せで満ち足りていた。


カプセルの中身は確かに幸せな時間だった。いるはずのない妻子との楽しい時間はあっという間に過ぎ、突然現実に引き戻された。気が付くと、男は自動販売機の前で立ち尽くしていた。俺は白昼夢でも見ていたのだろうか。男がそう思いながら、腕時計を確認すると1時間が経っていた。


男は仕事が終わると、すぐにあの自動販売機に向かった。昨日はあれから家に帰ったが、あの『幸せな1時間』がずっと頭から離れなかった。もう一度あの幸せを味わいたい。あれは、つまらない仕事よりもずっと価値のある1時間だ。


昨日の路地裏に着くと、男はためらうことなく、自動販売機でカプセルを買った。今度は『幸せな1時間』だけでなく、『ノリノリな1時間』、『ボーっとできる1時間』などいくつかの商品を購入してみた。今日は家に帰ってカプセルを開けよう。もしカプセルを開けた後の1時間もの間、夢遊病患者のように意識なく立ち尽くしていたとしたら大問題だ。男は大量のカプセルを抱えながら、家に向かった。


男がすべてのカプセルを開け終わったのは0時過ぎだった。明日の仕事に備えてもう寝ないといけない時間だったが、どのカプセルも素晴らしく、もっと買っておくべきだったと後悔した。


男はしぶしぶ布団に入り、明日も自動販売機に行こうと考えながら眠りについた。

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