次の次の話

こんにちは。前回の話はコンクールに出したいと思っていたのですが、エッセイはダメということで...また新しい話です。

どうぞ。


PS

コンクールには出さないことにしました。


「太陽ってなあ、百億年生きることが出来るんじゃぞ。今は五十億年生きとる。あと五十億年しか生きられんのや。わかるか?あと二分の一や。お前はな。あと五十年は生きれる。この先の道は険しいかもしれんがな、太陽が照らしてくれるんや。夜になれば、太陽が月に反射して照らしてくれる。そして、星もおるから夜でも明るい。だから、いつでも明るく生きいや。いつでも光が照らしてくれるぞ」



私は昔から東京が嫌いだ。ビルで太陽が見えない。夜になれば、街灯が灯っていないところなんてとてもとても暗い。なあ、夜になれば太陽が月を反射してくれるんじゃなかったか。星も私を照らしてくれるじゃなかったか。

私は元々、広島の方に住んどった。だから、都会の方だった。原爆の怖さについてもちっちゃい頃から教えられとった。


ある時、あれは三年生の頃。父さんの転勤で三重に引っ越すことになった。

(ああ、父さんは私ら兄弟のことをなんにもわかっちゃいないな)広島はあんなにも楽しくて、幸せやった。家族五人の父さん、母さん、兄さん、私、くうちゃんと広島の友達のあーちゃんとうーちゃんだけで十分だった。なのになぜ三重に引っ越さなければならないのか。あーちゃんとうーちゃんにはどうやって伝えればいいか。と悩んどった。父さんに聞いてみようと思って相談してみると

「あのなあ、こっちも転勤で忙しいんじゃ。そんなに三重に行きたくなきゃあ。みくはじいちゃんのところに行きゃあいいやろう」

私は黙ることしか出来なかった。兄さんはもう友達に伝えたみたいだった。くうちゃんはまだ三歳だからそんな心配はしなくてもいいだろう。


私は覚悟を決めて、あーちゃんとうーちゃんに言うことにした。

「なあ、あーちゃん、うーちゃん。あのな私引っ越すことになったんや。父さんの転勤でな。三重に引っ越すんや」

あーちゃんは悲しそうな表情に、うーちゃんはビクッと驚いた表情になった。

「それってほんとに引っ越さなあかんの?みーちゃんの父ちゃんだけじゃだめなん?」

うーちゃん、ごめんな。

「それがな、ダメなんや。こっちに残りたきゃあ、原爆にあったじいちゃんのところに行くんやなと言われたんや」

「私はな、前まで長崎におったんや。広島に引っ越す前にな。長崎には母方のばあちゃんがおってな。長崎にも原爆落とされたやろ。広島のじいちゃんと一緒でな、原爆にあったんや。それはそれは厳しかったそう。今回みたいにばあちゃんのところおるか?って聞かれたけど広島に来たんや」

「…ごめんなあ。辛いよな。私も引っ越したことあるから分かるわあ。助けてあげれやんくてごめんなあ」

そういってあーちゃんは自分のことかのように涙を流した。

「ごめん。もう会えやんくなる。近いうちに広島には戻ってくるな。泣かんといてや。こっちまで悲しくなるやろ」

長崎に留まらずに広島に来てよかったな。

「今までありがとな。絶対帰ってきてな」

「また会おな」


「ただいま」

「おかえりみーちゃん」

母さんとくうちゃんが笑顔で迎えてくれた。

「あーちゃんとうーちゃんに言ってきたよ」

「そう。辛いわよね。ごめんね」


三重県の四日市市に引っ越すことになった。コンビナートがあって、夜景が綺麗な街やった。三重に来たってあーちゃんとうーちゃんにメールを送ることにした。三人のグループメールに送ることにした。

<私な、三重県の四日市市にきたで、四月七日が最初の登校日や。四年生になる>

<そうなんやな。うちらは四月八日からや>

<三重県の方が一日早いんやな>

<なんか、都会っていう感じちゃうわ>

<四日市ってコンビナートの街やんな。四大公害の>

<そうや。コンビナートの夜景が綺麗や。明日から登校やからもう寝るわ。おやすみな>

そう打つとコンビナートの夜景を送った。


七日になった。初の登校日。

「なあ、くうちゃん。上手くやって行けると思うか?方言馬鹿にしてくるやつがいそうで怖いんや」

「んあー」

「くうちゃんもきっと大丈夫って言ってるわよ。もう行く時間やない?」

「あっそうや。行ってきます」


学校に着いた。いつも着てる服なのにごわごわする。母さんがまずは職員室に行けって言ってたから、職員室へ行く。


「こんにちは。転校して来た。赤西みくです。母さんに職員室に行けって言われたのできました」

「ああっ、みくちゃんだね。私が四年一組を担当する。泡瀬さきです。一年間よろしくね。早速教室に行こうか」

ここの小学校の名前は海夜小学校。海に夜って書いて〔みよ〕と読む。

「ここが教室ね。早速だけど自己紹介お願いできる?」

「はい。広島から転校してきた赤西みくや。四日市に来る前に方言を抜きたかったけど無理やったわ。よろしくな」

私は方言について話した。後から、なんやその話し方と言われるのが嫌だから。昔からのコンプレックスについて言われるのが嫌だから。

「ねえ、みくちゃん。広島ってどんなところ?」

席に着くと後ろの席の小柄な男の子が話しかけてきた。

「えっとなあ、都会って感じよ。東京よりかははるかに空は見えるんや」

「そっかあ、僕の名前は市村かいだよ。よろしくね」

「私は赤西みくや。よろしくな。いっちーって呼んでもええか?」

「いいけど、僕もみーちゃんって呼ばせて貰うからね」

みーちゃん、みーちゃんか懐かしいな。うーちゃんに呼ばれとったあだ名やな。広島に帰りたい。

(なあ、あーちゃん、うーちゃん、いっちーって言う友達できたで。方言でも馬鹿にされやんかった)

「僕ね、元々東京に住んでいたんだ。東京の都心の方ってさ、ビルとかがさえぎったり、光害とかで空があんまり見えないんだよね。あっ、でも、大きいビルとかでする買い物はとっても楽しいよ」

「そうなんやな。空は見えやんけど楽しいんやな。」

「そうなの。とっても楽しいの。だから、僕は東京からはなれたくなかったんだけどな。東京が好きだったのに」

「…そうなんだ」

私は東京が好きとは思えない。広島のばあちゃんに言われたことがまだ頭に残ってるから。いつかいっちーにも言おう。卒業するときか、考えたくないけれど私かいっちーが引っ越すときに絶対に言う。私の本当の気持ちを。


いっちーと話しているととても楽しかった。いっちー以外にも話しかけられて、隣の席の見川かいなというクール系女子にも話しかけられた。


「みくって好きな食べ物ないん?あと、嫌いな食べ物とか」

「私はにんじんとかアイスクリームが好きやな。嫌いな食べ物はチョコレートとかピーマンや」

「チョコレート嫌いなの?バレンタインチョコどうしような」

バレンタインチョコなんてあげたのは、あーちゃんとみーちゃんぐらいだな。

まあ、今は四月だから一年ぐらい先だけれど。


…考えたくないこととは本当に突然にやってくる。

…いっちーが運動会の前に転校することになった。しかも、いっちーが元住んでいた場所、東京だ。

理由は、『お母さんの転勤』

最初は理解ができなかった。お母さんの転勤だなんて珍しいなと思ったくらいだった。『お母さんの転勤』と先生から聞いた一分後やっと理解した。あと、五日。みんなはもういっちーに視線を集めている。男子たちは「かいいい」といっちーに抱き着いていた。

私はゴクリと喉を鳴らした。

(ついに言う時が来たんや。あの時言えなかった私の本当の気持ちを)


あの時のことを話したくて、私は放課後にいっちーを呼んだ。本当はこんなこと本人には言わずに過ごすのだろうけど、いっちーは違う。なぜか言いたくなる。この気持ちは誰にも分らないと思う。

「…私が最初の登校日に東京が好きって話したよな。あの、私東京が嫌いなんよな」

いっちーからは血の気が引いた気がした。急にこんなこと言われて困惑するにきまってる。

「…昔さ、一年生の時に広島のばあちゃんが亡くなったんよ。亡くなる前になこんなことを言ってきたんや。『太陽ってなあ、百億年生きることが出来るんじゃぞ。今は五十億年生きとる。あと五十億年しか生きられんのや。わかるか?あと二分の一や。お前はな。あと五十年は生きれる。この先の道は険しいかもしれんがな、太陽が照らしてくれるんや。夜になれば、太陽が月に反射して照らしてくれる。そして、星もおるから夜でも明るい。だから、いつでも明るく生きいや。いつでも光が照らしてくれるぞ』ってな。一年生やったからあんまり理解は出来やんかったけれど、心に響いた」

「…いいおばあちゃんだね」

「そうや、そうなんや。でも、二年生に初めて東京の都心に行ったとき、空があんまり見えんかった。ばあちゃんの言葉を信用してここまでやってきたのに裏切られた気持ちになったんや。私はその日はずっと暗い感じやった。光の明るさで今まで元気やったのに東京は、光が届かんくて明るくおられやんかった」

「光は元気の源…か…。太陽はすごいってことだね」

私は涙が出ていた。

(あーちゃんとうーちゃんと別れた時も同じ感じやったな。見送る方が涙を流す。涙を見せると行く方が見送る方よりずっと悲しいはずなのに)

あと、五日。


次の日には、いっちーには内緒で、クラスのみんなでお別れのメッセージを色紙に貼って渡すことになった。私は思い出作りとしていっちーとたくさん話した。たくさんたくさん話した。

あと、四日。

四日目と変わらずたくさん話した。メッセージはたくさん書いた。

あと、三日。

色紙を渡すことになった。いっちーは泣いていた。みんなもつられて泣き出した。でも、私は泣けなかった。覚悟ができたのだろう。

あと、二日。

今日はいっちーに呼び出された。

「今までありがとう。東京は元気でないかもだけど、明るく過ごすよ」

私はここでまた泣いた。覚悟は出来ていたのに。

あと、一日。

最後の日。いっちーに言いたいことがあって呼び出した。

「明るく元気に過ごしてや。疲れた時は息抜きして、私のばあちゃんの言葉を思い出して、太陽を見てな。太陽からは明るくなれるオーラが降ってくるからな」

いっちーは泣きそうな笑顔をした。そして、ニコっと微笑んだ。

「…いっちー。転校してきた時から、好きやった。もし、また四日市市に戻ってきたら付き合ってください」


十七年後。

今は二十五歳。今の私は四日市市にいる。あれからは、父さんの転勤もなく、四日市市で過ごしていた。昔からコンプレックスだった方言も標準語に戻ってきた。広島に戻って、あーちゃんとうーちゃんに会ったりもした。いい高校に行って、いい大学にも行って、昔からの夢の教師にもなれた。

でも、まだ叶っていないものがある。

『あの日の返事』

あの日の私は次に会ったときに返事をして欲しいと頼んだ。あの日以来、いっちーとは会えていない。

今日は六月十四日。休日で、ショッピングモールに足を運んでいた。そして、椅子に座りながらコーヒーを飲んでいると、生活用雑貨店にいっちーらしき人が立っていた。私に気づくと私の前に来た。

「久しぶり。みーちゃんだよね?」

「久しぶり。みくだよ。いっちーだよね?」

「そうだよ。今日は『あの日の返事』を言いに来た。僕も好きだった。付き合ってください」

やっと返事を貰えた。やっと、やっと。

「はい。もちろん」

周りにいた人たちからは拍手があがった。いっちーは顔が赤くなっている。

私は母さんたちに「早く結婚してな」と言われるのを無視してよかったと思っている。なぜなら、今、たった今、長年の恋が叶ったから。


私といっちーは付き合ってから二年後に結婚した。付き合った六月十四日と同じ日にプロポーズをされた。もちろん返事は「はい」


結婚してからは東京に引っ越した。東京は二年生の時に行った時より居心地がよかった。都心から離れた一軒家を買ったため、太陽の光があって、明るくいられた。ばあちゃんの言葉を心に入れながら、生きたい。

いっちーと人生の最後の瞬間まで幸せに生きれますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る