第18話 ルリキュール領へ

 二時間後、エスリンは再びシルビアの部屋に向かった。


「遅いですねエスリン・クリューガ」

「ちゃんと二時間で来たけど?」

「普通は十分前には来るものです。常識を学びなさい」

「なんてこった。ここまでお堅いとは思わなかった。ねえフラウリナ、友達いる?」

「いません。死にました」

「ごめん、私が悪かった」


 そこでシルビアが手を叩いて、試合終了を告げた。


「はいそこまで。それじゃあこれから出るわよ」

「シルビアさん、今回はどこの家に行くんですか?」

「いい質問ね。道中で教えてあげるわ」


 三人は外に待機させていた馬車に乗り込み、出発した。

 約束通り、シルビアは今回監査に入る家について説明を始める。


「今回行くのはパーク・ルリキュール侯爵家よ」

「ルリキュール侯爵。ずいぶんと大物のところですね。……ふっ、エスリン・クリューガは知っているのですかね?」

「なんで一回鼻で笑ったかはともかく……。パーク・ルリキュール侯爵は知っているよ。あの〈微笑みの聖人侯爵〉でしょ?」


 パーク・ルリキュール侯爵。

 齢七十を超える男性で、その性格は穏やかにして慈悲に溢れている。恵まれない家庭には支援をし、身寄りのない子供は自分が経営する孤児院へ連れて行き、食い扶持に困っていたら職業斡旋をする。

 おまけにいつも微笑んでいるため、ルリキュール領民は尊敬と感謝の念を込め、彼を〈微笑みの聖人侯爵〉と呼んでいるのだ。


「確か領民から慕われているって聞いているけど」

「エスリンの言うとおりよ。彼の行いは常に領民のため。中にはルリキュール侯爵を英雄とすら呼ぶ者もいるくらいよ」

「だけど監査は入る、か。何か裏がありそうだとは思っていたけど、やっぱそうなんですね」

「そういうこと。しかもその裏はかなり深い闇よ」


 シルビアは「これを読みなさい」と言い、エスリンへ一枚の資料を渡した。

 エスリンがそれを読み進めると、彼女の頭の中のパーク・ルリキュールという存在が一気に崩壊した。

 なにせ、彼が裏でやっていることがあまりにも過激すぎていた。


「武器の仕入れ、流通、犯罪歴のある者たちを集めて私兵化、殺しの技術を学ばせる訓練施設の建設などなど……」

「驚いた?」

「かなり無茶苦茶やってますね。やってること、完全に戦争の準備じゃないですか」

「そうね。しかもこれに関して、領民たちは割と協力的なんだから笑っちゃうわよね」

「……あぁ、そうか。優しくされているからか」


 彼は善を行うことで、領民の心を優しく騙している。少なくとも、エスリンにはそう見えた。


「適当な領民を捕まえて、パーク侯爵を引きずり出すことは出来ないの?」

「それが出来たら苦労しませんよ」


 フラウリナがスパッと切り捨てる。


「エスリン・クリューガ、貴方も知っての通り、彼は善人として通っています。裏の顔が死の商人だとしても、です。心をしっかりと掴まれた領民が、彼を売るとは思えません」

「フラウリナの考えは正しいと思うわ。恐らく国が介入しても、彼はのらりくらりとやり過ごすでしょうね」

「だから私たち、ですか」

「そういうことよエスリン。ヴェイマーズ家の監査には権力、暴力、情が入る余地はない。淡々と事実を確認していくだけよ」


 三人を乗せた馬車はとうとうルリキュール領に到着しようとしている。



 ◆ ◆ ◆



「来たようですねぇ」


 領内のあちこちに配置している密偵より、速報が届けられた。

 白いヒゲをさすりながら、パーク・ルリキュール侯爵は酒の入ったジョッキを掴む。ゴッ、ゴッ、と気持ちの良い音を立て、パーク侯爵は一息でそれを飲み干してしまった。


「ふふふ。ヴェイマーズ家の監査が入るのは何十年ぶりだろうねぃ」


 パークは応接用の椅子やテーブルの掃除を始める。手慣れた様子で拭き掃除を終えたあと、その上に資料をたっぷりと乗せる。


「現当主殿はどのようにして僕に向かってくるのやら……」


 パークが手を四回叩くと、二人の人間が部屋に入ってきた。


「ご足労いただき、感謝するよ。君たちにはいつも世話になるねぇ」


 その内の一人、初老の男性がククッと笑ってみせる。


「何をいまさら。ルリキュール卿と我らの仲ではございませんか」

「そう言ってくれると安心するよ、スパルス」


 スパルスと呼ばれた男は隣にいた同年代くらいの女性の肩を叩く。


「今回もお任せください。なぁ、カルラ」

「えぇえぇ。大船に乗ったつもりでいてくださいな。我ら〈マレクダー夫妻〉がルリキュール卿の厄介事を片付けてみせますので」

「はっはっはっ。君たち〈マレクダー夫妻〉にはいつもお世話になってるからねぇ。今回も一つ、頼むよ。場所は僕が用意するから」


 嬉しそうに何度も頷いたあと、パーク侯爵は窓際へ寄りかかった。


「ねぇ二人とも。僕が好きな人はどういう人だと思う?」

「そうですねぇ……我らのような殺人にしか使えぬ道具でしょうか?」

「うん、そうだね。あとはそうだなぁ……」


 僅かな間の後、パーク侯爵は口を開いた。


「何も知らないで僕のために頑張ってくれる健気な領民かなぁ」


 彼の口角が釣り上がる。その時の表情は悪魔に近い何かと表現して差し支えないだろう。

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