エスリン・クリューガ~無敵の女殺し屋が凛々しすぎる女貴族に拾われてメイドになる話~

右助

第1話 エスリン・クリューガ

 〈焔眼えんがん〉。殺し屋界隈の最強を挙げろと言われたら、まずこの名が出てくる。

 全ての経歴が謎の存在。しかし、確実に存在する。


 その正体は、どこにでもいるような、普通の少女だった。


 しかし、不幸なことに、少女には名前が無かった。

 ただひたすら頼まれるままに人を殺す道具に、名前はいらないからだ。

 無気力に、無感動に、無情に、剣を振るのみ。

 ある意味、順風満帆な少女の人生。



「やーめた」



 しかし、少女はある日、突然殺し屋稼業を辞めた。

 きっかけは少女にとって、生涯最後の殺し。

 標的はとある貴族の母娘。行き倒れのフリをし、母娘の家に入れてもらい、そこで殺す。

 簡単なはずだった。だが、少女の誤算は、そこで人の暖かさを知ったこと。


 だが少女は依頼通り、殺した。


 その時点で、彼女は無意識に疲れてしまっていた。

 圧倒的な善に照らされてしまったからか、それとも元々持っていた性質なのか。

 そこから彼女は、五年先まである殺しの依頼を全てキャンセル。新たな食い扶持を求め、彼女は地元である王都を徘徊することになった。


「てきとーな仕事でもして、生きるか」


 とは言え、簡単に仕事が見つかるはずもない。

 少女の目的は生活出来る最低限の小銭を稼ぎ、屋根のある建物の中で眠ることだ。

 だが、いきなり現れた怪しい少女を受け入れてくれるところなど、なかった。


「こんなことなら、ちょっぴりでもお金を貯めておくべきだったな」


 そこで少女は一度立ち止まり、来た道を戻った。

 その先は路地裏。そこには、綺麗な銀髪の少女と、それを囲む男たちがいた。


「シルビア・ヴェイマーズだな。裏でお前の首に相当な金がつけられているのは知っているな? 俺達と来てもらおうか」

「……このシルビア・ヴェイマーズの身柄を押さえるのに、たった五人? 舐められたものね」


 ――ヴェイマーズ侯爵家。

 その家名を、少女は知っていた。


 〈蟻地獄のヴェイマーズ〉。

 裏の世界ではとある噂が流れていた。

 ヴェイマーズ家の人間に手を出した者は例外なく姿を消す、と。


 少女は関わるべきかどうか、悩んだ。


「うーん……」


 少女の見立てでは、それなりに荒事に慣れてそうな五人。

 この時点で、彼女は知らないフリをするべきだった。

 今後のことを考えるなら、少しでも上流階級と接点を持たないのが一番だ。そうすることで、何もない平穏な日々を過ごせるのだから。



「あんた達、何してるの。治安部隊に見つかったら、即逮捕だよ」



 だが、少女は飛び込んでいた。

 これは決して正義感から来る行動ではない。自分が嫌な思いをしないための行動だ。


「ちっ。邪魔だな、消せ」

「不運だな、お嬢ちゃん」


 男の一人が少女へ近づいてくる。刃物を握る力は一切緩んでいない。

 男の殺意は明白だった。


「待って。それは後悔するよ」

「命乞いするくらいなら、最初から姿を見せるな」

 

 哀れ。少女は男に殺されてしまいましたとさ。――普通の人間なら、それで終わっていた。

 だが、少女は違っていた。


 血に濡れる少女はそこにはなく、代わりに白目をむき、地面に倒れ伏す男がそこにいた。


「後悔するのはそっちになるよ、って言いたかったの。さ、次は誰?」

「……先にこいつをやるぞ。一人はシルビア・ヴェイマーズから目を離すな」


 一対三。数の有利を押し付けるべく、男たちは少女の三方を囲み、一斉に攻撃を仕掛ける。

 対する少女は冷静だった。


「!」


 ヴェイマーズ家当主であるシルビアの眼前で、光速の攻防が繰り広げられた。


 少女はまず、後方の男の腕を叩き、顎を打つ。

 次に左の男。刃物を握った指を折り、鳩尾に肘を入れる。

 最後に右の男。跳躍し、背後に回り込み、首を締め上げ、意識を刈り取る。


「こ、こいつ!」


 残った男が少女へ突撃する。

 胸に根付くプロ根性が、男を動かしていた。

 しかし、少女が男の側頭部に蹴りを食らわせる方が速かった。


「ふぅ。おーい生きてる?」


 生死を確認する少女の背後に、シルビアが立つ。


「何故殺さないの? 貴方の腕なら容易たやすいでしょうに」

「殺しはちょっと前からやらないことにしたの。だから殺さない」

「たまたま出くわしたとはいえ、貴方の命を狙ってきたのよ。それでも?」

「それでも。その代わり、死なない程度にボコボコにはするけどね」

「そう」


 沈黙が流れる。

 やがて、シルビアはこう聞いた。


「貴方の名は?」

「無し。そんな贅沢品、もらえなかったんだよね」


 名が無い。その言葉に、シルビアはすぐに、この黒髪の少女が訳アリだと理解する。

 今ならば、何も無かったことに出来る。このまま別れれば、もう会うこともあるまい。

 しかし、シルビアはこの出会いに何らかの意味を見出したかった。


「そう、なら幸運ね。そんな贅沢品が今日、手に入るのだから」

「それってどういう――」

エスリン・・・・

「え」


 シルビアは力強く、そして凛々しく宣言した。



「エスリン・クリューガ。貴方は今日からこの私、シルビア・ヴェイマーズのメイドになるのよ」



 突然の情報量に、少女は理解が追いつかない。

 だが、〈エスリン・クリューガ〉という名前だけは、強烈に少女の胸に突き刺さっていた。


「出会い頭のナンパにしては、情熱的過ぎない?」


 軽口を叩く少女――エスリン。

 しかし、与えられた名前に対して胸が高鳴っていたのは、確かな事実だ。

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