殻にこもる

夜如ふる

殻にこもる

 彩夏が卵になった。


 朝学校に着くと、ちょうど小柄な人が一人、すっぽり入るんじゃないかという大きさの卵が、一つ前の机の上にころりと佇んでいた。

 それは、窓から入ってきた風で揺れたが、すぐに、ピタ、と止まった。意思を感じさせるその動きは、この卵の中には彩夏が小さくなって入っているんじゃないかと思わせる。


 彩夏は、良くも悪くも目立つタイプで、悪い噂も多い。華やかな見た目で、仲間も多く、自分に自信があるようで、多くの人が憧れと恐怖が混ざった目で彼女を見る。

 席が前後になってからも、彼女と話したことは無い。こちらから話しかける勇気もなければ、あちらから話しかける理由もないのだから。


 昨日、告白に失敗したらしい。


 どこからか聞こえてきたそれが、彼女が卵になってしまった理由か。

 敵などいないような振る舞いをする彼女が、小さく脆い存在になってしまうとは、どれほど手酷く振られたのだろう。いや、自信があったからこそ砕かれ、崩れてしまったのか。


 いつも一緒にいる子たちが、殻をつついたり、声高らかにはしゃいだりしている。ボスがいなくなったその集団は、一層棘が増したようだ。

 その間、卵はぴくりとも動かなかった。



 昼休み、教室のあちらこちらからさりげない視線を浴びはするものの、何を話しかけても反応がない卵に近づく人はいなくなった。

 彼女がいない教室は心なしか静かで、ちょうど卵一つ分の空白ができたようだった。


「ねえ、この卵さ、割れたらどうなると思う?」


 目の前で弁当の包みを開ける真由が聞く。


「彩夏が出てくると思うなぁ。出てこなかったらどこ行っちゃったのってなるよね」


「もし彩夏が出てきたとしてさ、生まれ変わってたら面白くない?めっちゃ上品でおとなしくなってたりして」


「それありだね」


 卵に目をやりながら、くすくすと笑う。


 不意に、がらがら、とドアが開く音がして、一人の男子生徒が顔を覗かせる。


「井川、いる?」


 ドアの近くでメイクを直していた女の子たちが、きゃあきゃあとはしゃぎ出し、「彩夏なら卵になったよ」とこちらを指さす。


 男子生徒はこちらへ歩いてきて、卵の前にしゃがむと話しかけ始めた。


「やっぱり考え直したんだけど、いいよ、付き合っても。付き合おうよ」


 叫びかける声と、息を飲む音がし、小馬鹿にしたように肩を震わせる姿が見える。


 卵は、ピクリともしない。


「昨日はごめん。今更なんだよって思うかもしれないけど、やっぱり俺、井川が好きだ」


 好きだったはずの相手からの告白にも、卵はなんの反応も示さない。


「返事くらいしてくれよ」


 そう言うと、男子生徒は立ち上がり、卵に手をかけて揺らした。


 すると、彼が思ったより卵は重かったのか。卵がぐらりとバランスを崩し、机からはみ出す。


「あぶない!」


 誰かが叫んだがもう遅い。


 卵は完全にバランスを崩し、落ちる。

 ぐしゃり、と音を立てて、ヒビが入った。

 バツの悪そうな顔をした男子生徒が、手を伸ばそうとすると、卵がかすかに動いた。


 すると、ぴきぴき、とヒビが割れ始め、一瞬にして卵がバラバラになった。


 教室中の生徒が息を飲んで見つめる中、卵から一人の少女が顔を覗かせる。


「ああ井川、よかった」


 男子生徒が抱き寄せようとすると、彩夏は驚いた顔をしてその手を避けた。

 そのままぐるりと教室を見回すと、一番近くにいた私に近づき、耳元で言った。


「彼、誰?初対面で触ろうとしてくるとかありえないんだけど」

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殻にこもる 夜如ふる @huru_2

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