ティール港町にて
トカレスカ騎士団がティール港町にて正式に旗揚げをして、まず行ったのは騎士団メンバーの秘密を港町の人々と共有することだった。
「天使ってマジか……伝説の存在じゃなかったんだ」
「レイザさんって光の民なんだ。あまり見ない種族だなぁ」
それぞれが口々にユーア・パステルスとレイザ・ティアーラを珍しがる。町中で日中に翼を伸ばしたユーア・パステルスはそれまで窮屈だった翼をほぐすようにはためかせている。
「翼……翼のついてる種族っていたんやね……」
「なんかみんなの視線が変。翼ってそんなに珍しいんだ……」
ユーアと町人たちそれぞれが新鮮な反応をしている間をエルベンがひとまず隔てる。
「騎士団の掟として、種族差別や出自差別は許さない。罰則などはそちらティール港町の正式な議会が発足するまでは暫定的に謹慎罰とする。分かったな?」
うぅ、と町人たちが後ずさる。
「あぁ、ユーアやレイザは珍しいからそれなりに珍しがっても仕方ないんだ。要は悪いことをするなってだけ言いたかったんだ」
エルベンが町人たちとなんとか折り合いをつける裏で、デボは他の町人たちから睨まれている。
「あの野盗の仲間だったやつだろ。今更俺たちを守るだなんて、信じられるか」
険悪な空気を察したアルメジアとウインダムスが割って入る。
「確かに思う所はあると思います。彼が野盗時代に犯した罪があれば、その分罰するのはいいでしょう。ですが、それを超えた罰などは許されません」
「それに、デボ君は私を助けてくれた。みんなだってデボ君は誰も殺してないって知ってるでしょう? あの野盗達からはデボ君のことをチキン野郎って呼ばれてたけど、罪のない人を殺さない精神性こそ立派だったわ」
騎士団メンバーとティール港町の町人の間でちょっとした軋轢が生まれるのをアニールとイヴイレスは見ている。アニールは自分の顔の火傷痕をなぞり、イヴイレスに話しかける。
「……今はまだこの町を守った恩で保っているようなものだが、この先彼らに対して騎士団の活躍を見せなければ不信感ばかりが積もるだろうな」
「同感だ。我々に必要なのは野盗に堕ちない心と、騎士団の方向性を見定める戦略眼だ。アニール、これから何をしたい」
「……イヴイレス、ティール港町周辺の情報を集めてきて。連絡の途絶えた街や村の情報はない? もしあれば調査に赴き、なければ魔獣を討伐して人類の生存圏を広める。それでいい?」
「分かった。当面はそれでいこう。……あと、僕はナルグ氏と話して騎士団に加わってくれる人を引っ張ってくる」
騎士団は町から暫定的に二階建ての空き家を割り当てられた。騎士団はそこを本部として、寝泊まりや事務などをそこで行うことにした。
夜、卓を囲んで騎士団メンバー総員での会議が始まる。
「僕から報告が一つある。町から4人ほど騎士団に加わってくれる者がいる。明日、騎士団の志や方針を話して正式に加入してもらうかどうか決める。その時はアニールとエルベン、協力してくれないか」
「分かった、イヴイレス。この会議が終わったら3人で詰めよう」
「ああ、そうしようアニール。……それで、皆にはティール港町周辺について情報収集をお願いしたが、何か有力な情報はあったか?」
はい、とレイザが手を挙げる。
「私は大陸中を巡って情報を集めていた。その過程でティール港町の北にあるメドゥーエク街には人が居住しているのを確認した。だが、野盗”鼠衆会”が支配していて入るのを断念した。ティール港町からは馬車で6,7日かかる」
アルトが先程まで下げていた頭を起こしてレイザを見る。視線に気づいたレイザは彼から少し目をそらすように顔を動かす。
「鼠衆会……前に戦ったな。6、7日か。しっかり準備すれば遠くはないが、途中の魔獣をしっかり排除せねば進軍はできない距離だな。町の人達はなんて言っている?」
『それは俺から話そう。メドゥーエク街はかつての戦争で最も戦場に近かった街だ。幸い街自体は街人の防衛意識が高くなんとか守り抜けられてはいたが、メドゥーエク街周辺の状態はとても酷かったそうだ。そのせいもあってか、ティールの方からメドゥーエクに行こうとするものはいない。多分向こうもこちらの状況は知らないだろう。だがそうか、向こうも今は野盗に支配されているのだな。向こうの街に昔から住み続けている者が残っているかどうかが焦点だな』
ウインダムスに翻訳してもらいながらデボが冷静に話す。
「うん、それは私も思っていた。無罪の人がいるかいないかで油の瓶を投げつけて燃やして無差別に殺す殲滅戦にするか、あくまで野盗だけを倒して制圧するだけに留まるか違うからね」
アニールは少し歪んだ表情で心の内を明かす。殲滅戦の内容を聞いた一部のメンバーは、その内容に内心怯んだ。アニールは、自分の鼓動が加速して身体中に戦いへの熱が広がっていることに無自覚でいる。
「まあ待てアニール。ティール港町の議会と話してメドゥーエク街への対応を決めてからでも戦を考えるのは遅くないだろう? 今は街が存続しているという情報があるだけでも収穫だ」
珍しくエルベンが論理的にアニールを諭す。彼の言葉を聞いてアニールは、そうかそうだな、と頷いてそれ以上話の展開をしなかった。
「さて。今日のところはお開きだ。明日からは本格的に騎士団としての活動が始まる。町の全体図と町周辺の魔獣の頒布と傾向の把握、ティール港町との話し合いなどやることは沢山あるぞ」
その場の一同が立ち上がって各々お休みの言葉を交わし合い、それぞれの寝室に戻る。その場に残ったのはアニールとエルベン、イヴイレスの三人である。
「それで二人共、明日採用する四人の町人のことだが……」
「待ったイヴイレス。その前に俺からアニールに一言言わなきゃならねえ」
そのエルベンの眼は鋭い。まるでアニールの心を突き刺すような視線を送っている。
「何を慌ててるんだ、アニール。まるで今すぐにでも野盗と戦いたいみたい……いや、滅ぼしたいみたいだ。その気持ち自体は共感できるが、お前、その為に周りを巻き込んで突っ走ろうとする性質だったか?」
言われてみて、ハ、とアニールが気付く。彼女の心の内側に、秩序を害するもの全てへの激しい嫌悪感があることに。それらを潰すためなら何だって厭わない残酷で苛烈な戦意があることに。アニールは項垂れて、エルベンに苦笑を向ける。
「……エルベンの言う通りだ。野盗と戦うたびに、心の中で炎が大きくなるんだ。最初は小さな篝火だったのが、今では大きな木組みに燃え盛る炎になっているんだ。……冷静になれるよう努めるよ」
「そうしとけ。誰もお前が戦にのめり込むのを見たくない」
「そういうことなら話は明朝にしよう。今日のところは休んで心を落ち着けよう」
イヴイレスがそう提案し、その場はお開きになった。騎士団のメンバーが集まって寝る寮室の、安っぽく薄汚れた布にアニールは横たわり、目を閉じた。
何処かも分からない空間の中、アニールが目の前の”敵”を斬り倒す。突き殺す。無数の”敵”がアニールの目の前に立ちはだかる。彼らが誰なのかはアニールには分からないが、秩序と平和に仇なす者だとはっきりわかっている。だからアニールは斬り倒す。突き殺す。裂き殺す。殴り殺す。踏み殺す。いつしかアニールは血塗れで骸の上に立つ。
「はははは……これだけ殺せば秩序と平和が……!」
笑いそうになり、口を押さえるアニール。だが笑みは止まらない。ーーーふと、アニールが骸の山の上から下を見下ろす。アニールの耳に、誰かが泣く声が届いたのだ。
「誰だ、誰が泣いている……?」
骸の山を下りて、アニールが泣き声に近づく。
ーーーそこにいたのは、もう一人のアニールだった。
「! あ、貴女は……」
血に塗れたアニールがもう一人のアニールを指さして驚く。もう一人のアニールは涙をこらえて、怒ったような表情で血塗れたアニールに向き合う。
「……”脱ぎ捨てたはずの古い私”が何故ここにいる?」
血塗れたアニールがそう言って、さっきまで泣いていた方のアニールに近づく。
「……あのね、”血に塗れた新しい私”、貴女に私を任せたのは、貴女の方が私より強いからなの」
「……だから”古い私”は私の手を握ったのだろう?」
”古いアニール”がこくりと頷き、続ける。
「でも、私が貴女に”アニール・トカレスカ”を任せたのは人殺しをさせる為じゃない。世界が今よりもっともっと幸せになってほしいからだよ?! それなのに、貴女は人の道を踏み外そうとしている……!」
正確な指摘をされて、”血塗れた新しいアニール”が後退る。
「忘れないで。人殺しは飽くまで理想への過程。貴女はその先に秩序と平和の世界を創るんでしょ? 秩序と平和の世界のために何が必要か、もう一度よく考えてみてーーー」
”古いアニール”が”新しいアニール”にそう訴えたところで世界が明るくなり、光りに包まれるーーー
「……さっきまで見たのは夢か」
陽が差し込む寮室、まだ皆が寝ている中でアニールひとりだけが起きた。
「血塗れたアニールが……私だった……」
自らの手を見る。そこに一瞬、手が血に塗れる錯覚がする。
「秩序と平和の世界のために何が必要か……」
”古いアニール”に言われたことをアニールは反芻する。それからその場を立って、寮室を出る。そのまま建物を出て潮風を感じに港に立つ。太陽の光が海面に光の道を作っている。その風景を見て、アニールが何かに気づいたように瞳を大きくする。
「……そうか、私は道を敷く者でなければいけないな」
殺すだけではいけない。人々のために、彼らが生きて発展できる未来を選ぶ。それがアニールの胸の中に芽生えた答えだった。
「アニール、もう大丈夫なのか?」
背後からエルベンの声がする。アニールは振り返り、穏やかな顔で彼に向き合う。
「うん。イヴイレスも交えて話しましょ」
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