辿り着いた、人の生存圏
私が幼い頃の記憶、オードル師匠がよく私たちに歌って聴かせた童謡があった。
遥か遠い昔の話。ソルドラス大陸は一度、ソルドラス王の手によって統一されていました。頭脳明晰、一騎当千、皆を導く光を指先に作った男ソルドラス。しかし、ソルドラス王の偉業を一番支えたのは側近の預言者フギニ。フギニはあらゆる敵襲や災害の預言を神から授かり、ソルドラス王に伝えることで危機の全てを予防した。フギニは最後の病床にて、最後の預言を残しました。
人々よ備えろ。遠い未来、半身の黒き人間が巨悪の化身となって大陸を滅ぼす。万の悪しき軍勢を引き連れて大地を均し、全ての町を焼き尽くす。人々よ剣を持ち弓を構えろ、半身の黒き人間が悪魔となりて世界を滅ぼす時へと。
ぱちり、とアニールの目が覚める。馬車の幌の中でいつの間にか眠っていたらしい。エルベンがアニールに気付く。
「おはよう、アニール。オードル師匠がよく歌ってた預言者フギニの伝承の歌を寝言で呟いてたぞ」
気が付かないうちによだれを垂らしていたことに気づいたアニールはよだれを手で拭い、上半身を起こす。
「今になって考えたらさ、これ私が悪魔ってことじゃん? いくら魔王時代よりも古い時代のお話で、大陸中に広まっているとはいえ、なんで師匠はこんなのを私に語ったのかな」
「さあ。師匠はアニールのことを悪魔だと考えてなかったからじゃね、単純に。色んな地域のお話をしてくれてたから、半身火傷が悪魔とかそこまで考えてなかったんだろうな」
「……よく考えたら師匠は単細胞思考だったし、そっか」
三人を乗せた幌馬車は今日も人の住んでいるところを探して進む。
「いまのところはエイジリア王国の王都エイジルに向かって南下してるでいいんだよね、イヴイレス」
御者台に腰かけている背中に対してアニールがそう訊いた。前を見ながらイヴイレスが答える。
「そうだな。まず人を見つけるには、かつて人が多かったとされるところに向かうのが定石だ」
馬車は大きく揺れながら進む。アニールは静かに瞑目しながら、精神を統一する。ーーーそうして、精霊や神の存在を認識できるように集中する。一方で、エルベンは寝ている。
「アニール、呪術の訓練やってんなあ。俺は馬車での精神統一なんか揺れててまるっきり駄目だなあ」
「まだ精霊が見える領域には達してないけどね。エルベンはルダーム・シェルトの書物を読んで呪術をイチから学び直したほうがいいよ。……ん? あの煙は……」
アニールが外を見て首を傾げ、イヴイレスが空を見上げる。どこかの地から空へと煙がたなびいている。
「おい二人とも、人を見つけたぞ! 誰かが火を起こして煙を出している!」
その言葉にエルベンが目覚め、欠伸をしながら起き上がる。アニールが笑顔になって、両手を合わせたりしている。
「準備しとけ、二人とも。よし、建物も見えてきた!」
森が開け、木の柵に囲まれた村が眼前に出てきた。柵の周りを長い槍を持った男が歩き回って、辺りを厳しい目で見まわしている。その男がアニールたちに気付き、槍を構える。
「何者だ。言え。返答次第では生かしてやる」
浅黒い肌の男。イヴイレスの眼で見た彼は、非常に洗練された槍使いであるようだった。イヴイレスは馬車を止め、両手を挙げる。
「俺たちは目的があって旅をしている。危害を加えるつもりはない」
「その目的とは何だ」
浅黒い肌の男はあくまで警戒を解かずに問う。イヴイレスが顎に手を当てて口上を考えているところをアニールが押しのける。———そして、大きい声で答える。
「騎士団設立さ!」
「……は?」
浅黒の男が目を丸くし、それから先ほどより厳しい目になる。
「このご時世を分かっているのか、お前ら? ……いや、この時世だからこそか?」
「そうだ。大陸に秩序を取り戻すべく、つい先々月から活動を始めた」
「……何も言うまい。貴様らの眼に偽りがないのはわかった。だが宿はないぞ?」
「! 滞在を許してくれるのか? 私たちは廃墟でもいいので!」
「……はぁ。分かった。門を開ける、通れ」
浅黒の男は呆れたような溜息をついて、ついてこい、と指でジェスチャーした。
「おい、ウインダムズ! いるんだろ、こっちこい!!」
浅黒の男が誰かの名前を呼んだ。すると、長い槍を持った、肌の白い少年…13歳ほどか…が現れた。
「ひいいっ、お義父さん。こ、このひとたちは」
「旅の人だ。廃墟でも何でもいいから空いてる建物に案内してやれ」
ウインダムズ、と呼ばれた槍の少年は怯えながらアニールたちの馬車に近寄る。
「えっ、ええっと……どうぞ、こちらへ」
目を伏せがちで必要以上に槍を自分の身に引き寄せるウインダムス。
「よろしくね、ウインダムスさん」
警戒心を解かそうとアニールが馬車を降りて同じ目線になり、優しい声音で挨拶する。だが、ウインダムスは目を逸らし、身体をぶるぶる震わせて歩いていってしまう。
怯える少年の背について行きながら門をくぐる。ーーー数十件の家がある。畑は広く、人がいる。
「おぉ……これが故郷以外の村の姿か。初めて見た……!」
エルベンが嘆息する。他二人も物珍しげに村の景色を見回す。
「そ、そんなに珍しい……?」
アニールがすっかり口角の上がった表情になって少年の方を向く。
「だって、自分たちの出た村の他に人が生きてるところなんて無かったんだからな! ああ、どの人も知らない人ばかりだ……」
「そっか、そういうわけなのですね。僕からしたら……あなた方のが珍しいですよ」
少し恐怖心が薄れたのか、ウインダムスが努めて瞳をアニールたちのほうに向けている。村の人達が集まり始め、外からやってきた旅人たちを物珍しそうに見つめている。これに戸惑ったエルベンがウインダムスに人払いをお願いするも、完全に人払いされることはできなかった。
「こっ、ここです……では、僕は仕事があるので」
廃墟に着くや否や、ウインダムスがぴゅーっと走って行ってしまう。二頭の馬を繋げておいて、三人は荷物の整理を始める。みんなの表情はどこか浮ついていて、一所に視線を定めることができていないようだった。エルベンが恐る恐る藁ベッドに触れ、撫でて言う。
「すす、すげぇな、本当に他に村があるなんて……!」
他の二人も頷く。整理が終わると、イヴイレスが立ち上がる。
「情報を集めてくる。他の村と交流があるか、エイジリア王国がいまどうなっているか訊いてくる」
緑の髪を靡かせて出ていく。
「うーん……。俺はここで留守番しとくからアニール、お前も行け。俺は鍛錬しながら待ってる」
「そう? 君は来ないんだ。じゃあ、私も情報収集に」
二人が出て行ったあと、がらんどうの廃墟の中でエルベンが木剣を取り出す。
「さて、まずは1000回」
上段から下段へ、素振りを始める。
「すみません、お話したいです」
イヴイレスがまず向かったのは、浅黒の男だ。村の門を守る衛兵なら、様々な話を聞いていてもおかしくはない。そう判断してのことだ。
「なんだ? そういや名前を聞いていなかったな」
お互いに名前を紹介し合う。浅黒の男はイアグというそうだ。
「で、イヴイレス。話とは何だ」
「いま、私たちはエイジリア王国の王都エイジルを目指しています。それで、王都エイジルまでの道と現状を知りたいのです」
イヴイレスがそう言うと、イアグが「あ~……」と唸りながら頭を掻いて明後日の方向を向いてしまう。
「どうかなされました?」
「あ、いや。ただ気の毒だなって。……十数年前、なんとかこの村がうまくやれるようになった頃に王都の様子を確かめに行った奴がいたんだ。そいつが帰って来て、言うには……」
そこで間が空き、イアグが一呼吸をつけてから言い放つ。
「地獄になってた、そうだ」
イヴイレスの頬に冷や汗が流れる。眉間をしかめ、顎を拳の上に乗せる。
「ん? ちょっと待ってくださいイアグ殿。 たしか私が師匠から聞いた話では王都そのものは侵攻されてないはずですよね? なぜ」
「メシが届かなくなったんだ」
メシが届かなくなった。その言葉だけで、イヴイレスの胸にはストンと落ちるものがあった。ーー農作物が届かなくなり、王都の人々は飢えたというわけだ。
「ああ、そういうことでしたか。……でも十数年前の話ですよね?」
「そうだ。だけどな、あの後も村の外側に魔獣が増えて、野盗もあの頃は増えていたから外に出る者はいなくなった。……確かめたいなら、お前たちが行くんだ」
話は終わりだ、と言わんばかりにイアグがイヴイレスの横を横切る。
「ありがとうございました!」
感謝の言葉に、イアグは手をふるふる振って応えた。
「おぉ、ここか……!」
村で唯一の酒倉。アニールは今、両手で抱えるほどの燻製肉を持ってやって来ているのだ。
「なんだい、余所者のお嬢ちゃんじゃねえか。フギニの伝承の悪魔に似てるが、可愛いから悪魔とは違うか。……ったく、そんなに肉を持ってこられても少ししか酒を飲ましてやれねえよ」
「はは、わかっている。少しだけでも僥倖だ」
今は頭上の空が青黒く地平線近くの空がオレンジ色に染まる黄昏時。仕事を終えた村人たちが今宵の酒を頂こうと酒倉に集まってくる。
「……んん?」
集まってくる村人をよく見てみると、エイジリア王国にはいないであろう獣人族がちらほらいるのが分かる。それに、肌が浅黒いヴェール連合国の人の特徴を持った人もそこそこ。
「あの、そこのお方」
アニールが酒を入れたコップを手に手当たり次第話しかけてみる。その内のひとりから、興味深い話がきけた。
「あん? この村の成り立ち? ……エイジリアに侵攻したはいいが国に帰れなくなっちまったヴェールの兵とエイジリアに元からいた民が一緒になって始めた村だ。最初はお互いに疑心案義だったが、今ではすっかり打ち解けてるな」
村人からその話を聞いたアニールは、酒の水面に自分の顔を映して頷いている。
「それで、ヴェールに帰れなくなったとは?」
「おう、それよ。俺はヴェールの出だが、戦争の後半くらいになるとろくな補給もなくなってきて、兵が戦場に放り出されるだけのことが多くなっていた。馬が途中でバタバタ死んで、本国からはもはや連絡すら来ない。遠い異邦の地に捨てられたんだ、俺たちゃ。歩いたって帰れねえから仕方なく剣を捨てて敵地で地を耕すことにしたんだ」
「そうか。悲惨だったのだな、戦争は」
アニールたちの出身の村の大人たちは三大国に挟まれた亡国の出だから、出身国の違いから来る戦争体験の違いに新鮮味を感じ、同時に悲しさを感じた。
「なんで、争ったのだ? お互いがお互いを滅ぼすくらいまでやらなければいけないはずはなかったのだろ?」
「あー……。うーん。俺は末端だったし世情に疎かったからそこら辺はわかんねえ。そこはどこか他所でもしかつての偉いさんが生きてたら訊いてみてちょ」
「興味深い話をありがとう」
その会話が終わると、アニールはまた別の人に話を聞いた。
「他に人が暮らしている村とかってあります?」
年老いて杖を突いている老人に話を聞いてみる。蓄えたひげを擦り、老人は応える。
「いや。前まではあったんだが」
前まで? アニールはつい、おうむ返し的に反射的に聞き返した。
「この村はかつて二つの村と連絡が取れていたんじゃが、今は無い。……様子を見に行った人の話だと、どうやら滅ぼした相手は人らしい。野盗か、それともかつての軍勢か。とにかく、焼かれた建物があり、物は根こそぎ奪われ、後に残っていたのは獣のエサと化した死骸だけだったそうだ」
「……滅ぼされたのはいつですか」
「さあ、よく覚えてないのう。たしかひとつは十年そこら前と……もうひとつは、おととい、去年あたりかのう」
「充分です。価値のある話が聞けてよかったです」
アニールが深く礼をする。ええんじゃよ、と老人は手を振った。
酒場で聞けた話を伝えに行こうとアニールは廃墟へ急ぐ。その両手に酒の入った二人分のコップを持って。
——————
遊伐者:———かつて、魔獣を狩り野盗を切り伏せ、時には戦火に身を投じることを生業とし、各地を放浪した者たちがいた。根無し草の傭兵紛いの彼らを人びとはこう呼んだ。遊伐者と———
酒:———数少ない娯楽。そして酒そのものも少ない。それでも人は酒を求め、分け合い、コップの底にしか溜まらない量で日々の苦難と戦争の過酷な記憶を忘れる———
呪術:———ルダーム・シェルトという宗教のみに伝わる、魂と精霊(スピリット)と神に関わるための術。——
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