トカレスカ騎士団
観測者エルネード
—起動ー
「……これで、156日連続で死亡者を出さなくて済んだ。これで明後日は気持ちよく出られるかな」
村を襲おうとした鱗の生えた虎の群れが血と肉片の雨になって降り注ぐ中に、彼女がいる。顔から足まで左半身すべてがかつての火傷のせいで今も爛れている彼女が。青く長い髪を赤い雨で染め、燃えるような色の瞳で真っすぐを見ている彼女が。どこまでも広がる青い草原の中で彼女はゆっくりと剣を鞘に納める。
「よし、さて歌を歌うか。……♪獣仕留めらば歌歌え 剣磨き 矢数えて弓を直せ 傷をオトギリソウの塗薬で塞げ 誉れ高き狩人を褒め称えよ♪」
「あ、いたいた。アニールさん。……相変わらずですね、その腕前。もうすぐ出て行っちゃうんだから、村を襲う魔獣は僕らに任せればいいのに」
アニールが歌っていると、背の低い草の広がる草原の彼方から、武装した村の子供たちが出てくる。全員まだ体は小さいが、村の大人から一通り狩りの腕前は習っており、一人前の腕前だ。
「そうだな。だが、明後日には出るんだ。これが私の育った村にできる最後の置き土産さ」
「……やっぱり、まだ諦めていないんです? エルベンさんとイヴイレスさんもあなたについていくって言っているけど……あなたの言っていることはただの妄想でしかないですよ」
アニール、と呼ばれた左半身火傷の女は、振り返って子供たちを見る。
「そう思うのも無理はない。……だけど、私はもう人類社会が滅んでしまったこの大陸を再興させるというこの目標を変えられないんだ。曲げられないんだ。もう心は決まっているのだから」
子供たちの横を通り過ぎて、アニールは遠い空の雲を見上げながら前を歩く。
「たとえ誰も信じてなくたって、叶えてみせる。……この大陸に平和をもたらしてみせる」
ひとりで、そうつぶやきながら。
エイアスという惑星の、ソルドラス大陸。剣と魔法の時代、その大陸には三つの大国がありました。エイジリア王国、ヴェール連合国、フォルモ帝国。この三大国は周辺の小国をそれぞれの勢力圏に収めながら互いに睨み合っていました
ある日、突然として戦争は始まりました。大陸を分けた三大国が互いに血で血を洗い、剣と魔法で破壊の爪痕を重ねていきました。いつしかブレーキのかけ時を失った戦争は戦争の終わりを知らぬままに終わり、三大国はすべてが滅びました。混乱した戦いで勢力図が入りに入り乱れ、沢山の人々が亡くなり、残った僅かな人々は燃え燻る田畑を捨てて争いのない地を探し求めました。
自然は人類には冷酷でした。国が滅んだことで抑えの聞かなくなった魔獣たちが地上に栄え、剣の向けどころを失った兵士くずれ達は生きるために略奪を繰り返す野盗となって大陸中に浸透しました。僅かに生き残った人々は魔獣に喰われて野盗に奪われる日常の中で肩身を寄せ合いながら息を殺して生き延び、逃げに逃げた先の見知らぬ土地で一から土を耕さねばならないのでした。
国も都も街もほとんど全てが滅んだ世界の中にあって、希望溢れる未来を摑もうとしている人がいました。その名をアニール・トカレスカといいました。
翌日の朝、まだ日も出ていないうちにアニールが起床する。今まで育って来た家で起きて過ごして寝る最後の日である。お世辞にも立派とは言えないようなボロ屋である。山脈に隠れた太陽が空を蘇芳に染めている下で、アニールは家の庭に視線を落とす。何度も何度も稽古を重ねて踏み固め、汗と鼻水が染み込んだ土だ。そこで十五になる同じ歳の茶髪の少年が素振りをしている。
「バカ、エルベン。明日は出発するんだから稽古しないでよ。出る前から疲れてどうするの」
「起きたか、アニール。オードル師匠の教えだろ、毎日欠かさずにやれってな。それに回数は五百に減らしてある。今は四五六回目だからすぐ終わるって。……それより、イヴイレスとレイアスさんが墓参りに行ってるから、アニールも行ってきたら?」
「そうか。無理しないでね」
布団を抜け出して、アニールはぼさぼさなままの髪を梳きながら村の共同墓地に向かう。霧の立ち込める薄明けの中、岩に文字を彫っただけの簡素な墓が並べられている。その一角で、緑色の長髪の少年ととんがりハットを被った魔女レイアスの二人が墓に向かって手を合わせている。
「ここにいたんだ。私も、オードル師匠に報告することがあるからいい?」
アニールに気付いた二人が振り返る。魔女レイアスは顔の皺が深く髪も白髪が殆どだ。だが足腰は未だに健在で村の子供たちに魔法を教えている。そしてこの魔女は、アニールとエルベンとイヴイレスの三人が赤ん坊の孤児だったのを引き取って、実の息子とこの三人をオードル・フラガラハと共に今日まで育ててきたのだ。
アニールが、『大陸最強の遊伐者にして我らの守護者たる英雄オードル・フラガラハ、ここに眠る』と刻まれた墓の前で屈んで手を合わせる。
「私達、今日でこの村を出ていくよ。村のみんなには反対されたけど、私はもう行くって決めてるから。必ずこの大陸に秩序を取り戻して、そしたら戻って来るから待っててね。……この夢を、この目標を応援してくれたのはオードル師匠だけだったなぁ」
アニールは思い出す。まだ三歳の幼かった頃の、強くて偉大なオードル師匠の姿を。自分が成長していくにつれて反対に病に犯されて衰弱していくオードル師匠を。昨年、今際の際のオードル師匠の細い腕を。
「ふん、もう行くのか。あんた達に魔法を教えたのは自衛のためで、そんなことをさせるためじゃなかったんだがね」
「すみません、レイアスお義母さん。ですが、外の世界を知らず魔獣に襲われてばかりの生活も辛いでしょう。僕はアニールの理念に共感しました。だから共に行きます。……今までありがとうございました」
緑の長髪の少年、イヴイレスが頭を下げる。アニールも、ありがとうございました、と言って頭を下げる。魔女は、フン、と鼻を鳴らして背を見せ、顔だけ振り返る。
「何も果たさずに死んだりおめおめと戻ってきたら許さないよ」
厳しくも優しい声が二人の背筋を正す。
「はい、必ず秩序を取り戻してきます」
「アニールを支え、結果を出してみせます」
覚悟の決まった、きりりとした顔つきになる二人。そこへ朝練を終えて汗だくになったエルベンがやって来る。場の張り詰めた空気に触れたのかエルベンは寄る辺なく視線をうろうろさせた。
「あんたはどうだい? エルベン」
レイアスに言われて、エルベンも姿勢を正す。
「アニールの言った理想に俺も憧れた。でも俺はどうすれば秩序ある世界を掴めるかわからないから、ただひたすらアニールの目の前を切り開いて道を作ることしかできねえ。だから俺はアニールの剣になるべく専念するさ」
「そうかい。私が腹を痛めて産んだユニールは武者修行とか言ってどこかへ出て行っちまったし、これでみんないなくなってしまうのかい」
「アニールの言った理想に俺も憧れた。でも俺はどうすれば秩序ある世界を掴めるかわからないから、ただひたすらアニールの目の前を切り開いて道を作ってやるさ。これでどうだい、お義母さん」
魔女は顔すらも背けて、そのまま突っ立っている。アニール達はその姿を見て、申し訳なさげにお互いの視線を交わし合う。
「……明日出るんだったな。今晩はご馳走にする。準備を手伝っておいで」
レイアスがそう言って、三人は魔女の背中を追う。その晩の鍋をつつく4人は、笑顔が少なく顔を伏せがちであった。
「♪霧の立ち込めし時、足を止めよ 周りを見よ 獣の牙にかかることなかれ♪ ♪未知の果実、切りて汁を舌に乗せよ 痺れらば獣を仕留める麻痺薬、身体の不変なれば今日明日の糧 腹下さば捨てよ♪」
翌朝、朝露の霧が立ち込めるなかでアニールは村に伝わる宗教ルダーム・シェルトの歌【千歌】を歌いながら馬車に物を詰め込む。誰よりも早起きして村はずれに来たアニールは、昨日に処理をした魔獣の燻製肉を馬車に積んでいく。それが終わると、村の中心地に向かう。途中で起きたばかりでまだ瞳の細いイヴイレスとエルベンに会う。
「アニール。俺たち仲間だろ、一人だけで準備はないだろ」
「ごめんごめん、でも二人のお休みを邪魔したくなかったし、なにより私がこの村のみんなと挨拶する時間を少しでも増やしたくて早起きしちゃったからさ」
不満気なエルベンを慰めるアニール。イヴイレスは彼女の言葉を聞いて村の方を振り返る。生活の煙が立ち始めている。
「そうか。今日で最後だもんな」
イヴイレスの言葉に彼女がこくり、と頷く。アニールの後を2人がついていく。
木造の骨組みに布をかぶせたテント状の建物が並んでいる道を歩いていると、顔見知った大人たちが次々と彼らの家を出てきた。アニール達が来るのを待っていたようである。
「レイアスさんちの3人、あたしんちの漬物持っていきなはれ」
「辛くなったらいつでも戻ってくるんだぞー!」
「外は魔獣だらけじゃ、気を付けるんじゃよ」
次々にアニール達に言葉が投げかけられ、貰い物が増える。大人たちの集まりに3人がもみくちゃになる中で、アニールだけがしっかりと大人たちの顔を記憶に焼き付けようとしている。
(私は知っている。この人たちとて、本当に心の底から私の理想を応援してくれているわけじゃない。それでも、私にとってこの村の人たちはたいせつな人たちだから、ちゃんと覚えていよう)
「ふん、すっかり人気者じゃな、アニール」
その声の主は村長だった。この人こそアニールたち3人の第3の親といってもよい人である。
「果たせもせぬ理想を抱えて、魔獣と野盗の跋扈する外の世界で死ぬ気は変わらぬか」
その一言で、空気が静かになる。3人に集まっていた大人たちが後ずさり、3人の周りに空間ができる。アニールが何か言おうとした瞬間、すかさずエルベンとイヴイレスの2人がアニールをかばうようにして村長の前に立ちふさがる。
「やってみなけりゃわからねえだろう! だいたい、師匠からの最終試験で外で1か月過ごせたこともあるんだからな!」
「それに過去より伝わる様々な英雄譚や歴史物語から伝え聞くように、魔獣が蔓延る外の世界を開拓してきた人間の物語は枚挙にいとまがない。彼らにできて僕たちにできない道理はない」
それぞれの言葉を言いきった二人の間を通り抜けて、アニールが村長の前に立つ。
「それに、私の眼には既に私の理想が焼き付いている。私の足を止めることはもう、誰にも叶わない。……だから、ごめんなさい」
村長にはたくさん世話になった記憶が彼女の脳裏を駆け巡る。理想に進み続けることしかできない彼女は、村長の気持ちに応えられないことに後ろめたさを感じる。その気持ちを見抜いたのか、村長が命を下す。
「では、お前ら3人を永久追放刑に処す。この村を愛せぬというのなら、さっさと出ていくがいい。そして、この村に益する偉大な人間にでもならぬ限りは戻ってくることを許さぬ」
「……! はい、頑張ってまいります」
アニールたちは深々と頭を村長に向かって下げる。しばらくそうしたのち、言葉を交わさないままその場を去る。村はずれに止めてあった馬車に乗り込むと、まずイヴイレスが手綱を取って馬を操り、彼らの家の前に停める。彼らの義母のレイアスが、じっと立ったまま待っていた。3人が馬車を下り、彼らの義母の前に並び立つ。ちょうど、空のほとんどを雲が覆い始めたころだ。
「湿っぽいね、なんだか。別に私はあんたらのいう理想を信じてもいない。かといって止める気もない。私が信じているのは、あんたら自身さ。ほら、さっさと行きな。追放刑に処されたんだろう」
「「「はい、いってきます、おかあさん」」」
3人の瞳に力が入る。見送ってくれた人々の思い、義母の想い、それらを背負って3人は馬車に乗り込む。3人はもう義母を振り返らない。村の方を振り返らない。ただただ前の方を向いて、村から、義母から遠ざかってゆく。その姿が見えなくなっても、魔女レイアスはずっと立っていた。
2か月後。
「……ここも外れか。 まったく、いつになったら人のいるところが見つかるのか」
村のあった形跡の残る所で、イヴイレスが建物の残骸を拾って言った。彼が残骸をどけてみると、複数の白骨が露わになった。
「そう簡単にはいかないだろうな、エルベン。それほどまでにかつての戦争は凄まじかったのだろうな。もう十数年は経つというのに、本当に人の姿がどこにもいない」
イヴイレスがそういって、落ち着いて周囲を見回し分析する。
「ここは、どうやらアクスベアに襲われて壊滅したようだ。……戦争による兵士の人手不足で防げる戦力がなかったのだな」
「そのアクスベアが来たみたいだよ」
周囲を警戒していたアニールがその背に携えたツーハンデッドソードを構え、森の中から現れた魔獣アクスベアに剣を向ける。
「アニール。疲れてないのか?」
「心配なく、イヴイレス」
イヴイレスがアニールに心配して声をかけるも、彼女はそんな心配を杞憂にするかのように進み出、藪から出てきたアクスベアの前に立ってツーハンデッドソードを抜く。
アクスベア。魔力行使獣個体、略して魔獣のひとつ。動物の中でも魔力の行使が出来る比較的少ない種を魔獣と呼ぶ。
アニールがツーハンデッドソードを両手で構える。
アクスベアが立ち上がる。
瞬間、アクスベアが空間を裂いた。魔力で増強された強靭な前脚で、アニールの立っていた空間を。
剣がアクスベアの前脚を斬り上げた。空間を裂いた前脚を。アニールが姿勢を低くして空間裂きを避け、剣を返して斬り上げたのだ。
グオオオオォォオオォオ! アクスベアが絶叫しながら残った前脚で裂こうとする。既に残った前脚も宙を舞っていた。アニールを咬もうとした口が頭もろとも上から下へ真っ二つに裂けた。鉄色の軌道が、アクスベアの斬られた断面を滑らかに滑っていった。アクスベアの巨体が、ずしん、と地に伏せて動かなくなる。
「なんだ、疲れてねぇじゃん」
エルベンが軽口を叩いた。息切れひとつしないアニールがナイフを取り出して倒した魔獣の身に切っ先を入れようとする。
「今晩の飯にするぞ。エルベン、イヴイレス、手伝え!」
二人の男も参加し、三人掛かりで巨体を解体する。
夜、食べきれなかった分の肉を燻製にしながら三人が夜空を見上げる。そのうち、最初に口を開いたのはアニールだった。
「それにしても、こうして旅をしていると私たちが赤ちゃんのころに大国間の絶滅戦争で大陸の文明が滅んだという、大人たちから聞いた話が、現実味を伴って我が身に迫ってくる感じがするね」
その言葉につられて、エルベンが眼差しをアニールに向ける。
「ああ、だからこそお前が村を出ようって言ったんじゃないか。この世界をなんとかしたいとか言って」
コホン、とイヴイレスが咳払いをする。
「話に聞いてわかってはいたが、こうして旅に出ると改めて我々の歩こうとする道が大変だと身にしみて分かるな。ーーーでも、もう引き下がれない」
自らを戒めるように険しい顔で言ったイヴイレスの肩に、ポン、と手を置いてアニールが立ち上がる。
「大丈夫、必ずやり遂げられる。騎士団を作って、この大陸に秩序を取り戻してやる。エルベン・シエジウム、イヴイレス・シャンダル、そしてこの私、アニール・トカレスカの三人ならきっとやり遂げられる」
そう宣誓する彼女、アニール・トカレスカの瞳は、闇夜を晴らす太陽が如く燃え盛っていた。
「だな。怖気づいてる場合じゃねえな、イヴイレス」
「ああ。もう覚悟を決めてきているんだ、ちゃんと前を向くさ」
男二人も立ち上がり、三人で掌を重ねる。
「「「我らが騎士団、必ずや大陸に秩序を齎そうぞ!!!」」」
天に挑戦の始まりを告げるように、三人共に拳を空高く挙げた。
刮目せよ。海を越え空を越え時を越える物語が今始まる。理の終着地点までへと語り継がれる英雄譚が今ここに始まるのだ。
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アニール・トカレスカ:——後の世にて彼女の名を聞かぬ者はない、絶滅戦争の後の世を始めた偉人。万人に英雄を問えば万人が彼女と答える、唯一無二の騎士——
絶滅戦争:——かつて、ソルドラス大陸には3つの大国があった。愚かにも争い合った三国は終戦の機を逃し、だらだらと血で血を洗い合った果てに魔獣と野盗の跋扈にて崩壊した。後の歴史家に問うても、正しく戦争の終わった日を答えられる者はいない——
3つの大国:——西の輝かしきエイジリア王国、北の極寒にして剛健たるフォルモ皇国、東の荒々しき民集うヴェール連合国。大陸を3つに分けた勢力が、かつてはたしかにそこにあった——
ルダーム・シェルト:ーール・ラール国及びラール民族に古くより伝わる宗教。数多の精霊と神と調和する考え方。【歌教】を中心とした教義であり、他の神や精霊と調和する宗教。
千の歌が伝わっており、千の歌を元にした教義【歌教】が編まれている。【歌教】はあくまで千の歌を分かりやすくしたものであり、千の歌が歌えないと宗教的な地位のある者になれない。千の歌のほかには【滅天人話】が語り継がれている。
ルダーム・シェルトでは過去に生きた者の知恵が歌に乗り、今を生きる者の力になるーー
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