ケニアの白い砂
九月ソナタ
1
「ロンドンに来た時に思ったわ、愛って何なんだろうって」
そう言ったのはジーナだった。
イギリス人のジーナとは、主人の仕事の関係でアフリカに住んでいる時に、ある社交クラブで知り合った。長い雨季には、アメリカの友達は国に帰ってしまい、行くところもない。当時はCNNでさえ、米大使館に行かなければ見られなかったし、音楽を聴こうにも、屋根を叩さんばかりに叩く雨の音が邪魔した。その音ときたら、コンサート最中の咳どころの騒ぎではない。
同じ居残り組のジーナとわたしは、なんとなく気が合い、訪問し合うようになった。初めはブリッジの手の打ち合わせという名目だったと思う。
ジーナはこのカードゲームがとてもうまく、いろんな手、いわゆるコンベンションというのをたくさん知っていた。ブリッジのコンベンションというのはパートナーのほうも知らないと全く役立たずで、打ち合せが必要なのだった。
イギリス人だから、子供の頃からカードと親しんでいたのかと訊いたことがある。
「ブローディなカードなんかさわったこともなかったわ。おお、ラビッシュ」
ジーナは口が悪く、直訳したら誤解されそうな辛辣な言葉を口にした。でも、プロディやラビッシュはイギリス人の口癖だから、そこの部分に特別な意味はない。
カードを覚えたのはアフリカに来てからだと言っていた。彼女はここにくる前に、アフリカの別の国、スーダンに住んでいたのだった。
わたしは昼寝しかすることのない運転手のためにも、出かける場所を見つけなければならなかったから、行先はジーナのところと決まっていて、車に乗ると、ガーナ人の運転手は「ミセス・トンプソンのところですね」と自動的にハンドルを回すようになっていった。あの頃のナイジェリアは外国人がひとりで外出することは危険で、自分で運転していた女性は、アフリカ育ちのベルギー人のバネッサくらいだった。
わたしが訪ねて行かない日には、ジーナがやって来た。やはり、使用人からの息抜きと運転手に仕事を与えるために。黒い車が門をはいってくると、メイドのアンが太った身体をゆすりながら飛んできて、「マダムのベストフレンドが来ました」と、なぜか得意そうに報告するのだった。
そして、そう、乾季の頃には、わたし達はとても親しくなっていたのだった。
「駅を出たとたん、意地悪みたいに空が急に暗くなって、雨になった。その時の私は、スーツケースふたつだけを持って、故郷から出てきたところ。上を見ると、細長い水滴が私に向かって突き刺さるみたいに落ちてきていた。その冷たい雨を見ながら、私って、運とか、愛とか、幸せとか、そういうものには縁のないんだって、つくづく思ったわ」
いつも陽気で、強気で、時には辛らつなジーナが、別の表情を見せたあの日。わたし達の内なる何かがつながったあの日、あの時。どちらが線香花火で、どちらがマッチの火なのかはわからないけれど、ふたりの心が、闇夜の小さな花火みたいにぱちぱちと輝いた。敵愾心という意味ではなくて、きれいに咲いたという意味。
それから、もう十年以上もたってしまった。
アフリカで別れてから、何度か手紙を交換したけれど、お互いに居場所が変っていくうちに、連絡も途絶えた。
わたしが今日、突然、ある日のことを思い出したのは、久しぶりのこの雨のせいなのだろうか。長雨は「眺め」というそうだけれど、本当に、雨はいろんな思いを連れてくる。
高校で「つひにゆく道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは思はざりしを」という古今集の歌を習った時のことをわたしはよく覚えている。
いつか人は死ぬということは知っていたけれど、それが今日明日のことだとは思わなかった、という歌。「死」もそうだけれど、「老い」もそう。自分はまだ若いと思っていても、それは観覧車の回転のように、頂点にいるのは一瞬で、すぐに下る。人は、そんなふうに、すぐに老いて、死を迎えるのだろう。
その時のわたしはまだ若く、時間と夢だけはたっぷりとあった。時間は元旦の朝に大晦日を考えるようなもので、「老い」のことは、そのうちに考えればいいと思った。
少しくらい若さを浪費したところで、それは海の水のように減らない。まあ、とにかく、しばらくは大丈夫だと思う時を何度か通過しているうちに、いつ頂点だったのかも気づかないまま、年月の観覧車は確実に下っていく。
「昨日今日とは思はざりしを」である。
わたしは数年前に愛する人々をたて続けに亡くし、アメリカでひとりになった。その悲しみは深くて、決して癒えることはないだろうと思われた。でも、心の傷も身体の傷に似ていて、その傷痕は決して消えることはないけれど、当時の痛みは、日常の中では、感じないでいられる。時に、竜巻のように現れて、心臓をきりきりとえぐるけれど。
世界の中で、わたしだけが夫や母を亡くしたわけではない。つまり、人はたいてい、こういう悲しみは抱いて生きているわけで、人間とは強いな、と思ったら、今度は大病をした。夫が呼んでいるのかもしれないと思った。わたしがいなくては退屈なのかしらね。与えられた人生というのは、ここまでだったのか。コレデオシマイ・・・か。子供の殺から外国に行ってみたいと思っていたが、そこに住んで、そこで死ぬことになるとは思わなかったなあ。でも、どこで死んでも、同じことだと、一応、覚悟を決めた。
そうしていたら、ワンマンなディレクターの脚本変更みたいに健康が回復し始めて、気がついたら、以前よりも元気になって、あちこち歩き回っている自分がいた。歩くと、世界が広がっていく。さらにさらにと距離を広げると、先に伸びる影みたいに、範囲が広がっていく。この世界は限界のない所らしい。それも心しだいだ、ということがとてもおかしい。たいていのことはある程度は知っていると思っていたのに、実は知らないことばかりだった。もし、あの時、この世を去っていたら、何も知らないままだったなあ、と自分でも呆然とすることがある。
このことを一番に告げたい人がそばにいないということは悲しい。でも、うれしい。
ジーナも言っていたのだけれど、本当に、人生というのは、終ったと思った時に、再び始まるもののようだ。
ジーナの思い出は、雨の中、突然の客のように訪れた。
「思い出」というのは不思議だ。
ことが思い出の領域にはいると、それは完璧な物語になってしまう。それは美術館に飾られた名画のように、筆の間違いかもしれない一点でも、もともとそこにあるべきもののように見える。
どんな一言も、すべてそこにあるべきで、みんな意味があるように思える。
ねえ、ジーナ、あなたはあの日のことを覚えていますか。あの雨季の真っ最中、屋根を叩く雨音に対抗するよいに声を枯らして、役者みたいに笑ったり、鼻をすすりあげたりしながら話してくれたことを。
あれは、わたしが「一番幸せを感じた瞬間はいつ」と質問したのがきっかけだったわね。
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