切り刻んだ処女作(官能R15リミックス)

森下 巻々

T誌(2018年2月号)魅惑のパソコン先生

作品PR●定年後の趣味にと、パソコン教室に通っている男性。妻とはお見合い、オンナ遊びもしたことのない六十三歳を、そこで教えているのは美女。或る日……。


   *


「一つ質問といいますか、相談にのっていただけますか」

「いいですよ、パソコンに関することですよね?」

 雑居ビルの一室で、ノートパソコンのモニター画面を見ながら、六十三歳の杉作寅雄は猶迷った。

 横の椅子に坐って、杉作を見詰めるパソコン教室講師横井美奈子は美しい。確かこの前、三十歳になったと言っていた彼女には色香が充満しており、上下黒色のパンツ・スーツというキャリア・ウーマン風の姿……。

 杉作は思った。この美しい彼女に向かって、こんな質問をしなければならないとは情けない、と。そして何より、恥ずかしかった。しかし、この場以外に相談できるチャンスはないのだと考え直し、やはり打ち明けることにした。

「そのー、なんですか? 自宅でインターネットをしておりましたら、どうもおかしな操作をしてしまったみたいでですな、お金を払わなならん、とこう出たんですよ。それで、驚いて元に戻そうとしたんですが、どこを押してもそのままで、結局パソコンの電源を切ったんです」

 美奈子は、長い黒髪を右手でかきあげると、

「つまり、インターネットをしてる内に、料金を請求する画面が出て、その表示されているページから移動できなくなったということですね」

「はい」

「会員登録とかしましたか。名前とかクレジットカード番号とか、何か入力したんでしょうか」

「いや、なんにもしとりません」

「パソコンは次、電源を入れたときには元に戻ってたんじゃないですか」

「はい、いつもと変わらん様子でした」

「お金は振り込んでないですよね」

「いや、振り込もうにも、振り込み先をメモせんかったもんで……」

「オーケーです。分かりました」

 少し間ができて、不安を覚えた杉作に美奈子が続けて言った。

「大丈夫ですよ。心配しないで。たぶん、悪徳サイトだったんでしょう。お金を振り込む必要はないし、パソコンだって壊れた訳ではありません」

「うちに請求がこないでしょうか。何やら、そんなことが書いてありましたが」

「個人情報も取られてないから、請求がくることはないですよ」

「ふー、そうですか」

 杉作は安心して息をついた。特に心配していたのが、自宅への請求書の郵送だったからだ。妻に知られては困ると思っていた。こんな話を妻にどうしたらいいのか、想像もできない。

 気が緩んだ彼に、美奈子が言った。

「それにしても……。それにしても、どうしてそんな悪徳サイトに入っちゃったのかしら」

 杉作は、ピクッと躯が動いてしまったのではないかと思うほど動揺した。彼女に相談することを躊躇したのも、そこに触れられるのを恐れたからなのだ。

「それは、そのー……」

「もしかして、こういうことですか」


 杉作は、美奈子の言っていることの意味を理解し、顔が真っ赤になった。彼女は分かっているのだ。先ほど相談した内容が、杉作がインターネットでポルノ映像を見ようとしていたときに起こったことだと。

 彼が何も応答できずにいると、


「大丈夫ですよ、誰も来ません。それに、生徒さんが杉作さんだけだなんて、今日だけですよ」


 確かに、今まで数回講習を受けたが、彼のほかに二、三人の生徒のいるのが常だった。今日は、たまたまキャンセルが続いたらしい……。


   *


 ……杉作は見合い結婚、しかもオンナ遊びもせずにきたから、妻以外の女性を知らなかった……。


   *


 二週間後。

 杉作はワクワクした気分で、或る喫茶店に向かっていた。

 この日、彼は美奈子とともに買い物をする約束になっていたのだ。

 先週のパソコン講習のときに、彼女と生徒皆で世間話をしていたところ、孫の話になったのだった。杉作を含め、生徒たちは既に定年を迎え勤めていた先を退社しているが、なんとか生活できており、孫にも恵まれた人たちだった。パソコン学習は、差し迫った必要というより、趣味だった。

 杉作にも、中学生の女の子の孫がいた。嫁に行った長女の子だ。誕生日の日に何かしてあげたいが、何を贈って良いか分からないのだ、と話したのがきっかけで、美奈子と買い物することになったのだ。パソコン教室は、美奈子が経営しているから、生徒との付き合い方も自由に判断されている。

 約束の会話も教室内で行われたし、妻にもそのことを話したので、街中も堂々と歩けるという訳だった。


 喫茶店に到着すると、角の席に美奈子が坐っていた。

「すみません。お世話になる者が遅れてしまって」

 美奈子は手で制止するようにすると、

「いいえ、私が早く来過ぎてしまったんです」

 青年が初めて就職面接するかのように急に緊張してきた杉作は、席に着くと水を一杯飲んだ。彼女が続ける。

「早速なんですけど、ここを出ましょう」

 今日の美奈子は、Gパン生地のスカートとジャンパーを着ていて、いつもと違う雰囲気である。脚がセクシーだ。

 それに、白色の生地に覆われた胸が大きく膨らんでいる。普段のブラウスやスーツでは隠されてしまっているのだろうか。案外巨乳(ボイン)なのかも知れない。

 喫茶店を出ると、彼女に付いて歩いた。

「いろいろ考えたんですけど、やっぱりお孫さんには音楽CDくらいが、ちょうどいいんじゃないかと思います。音楽の話をなさるって、おっしゃってましたものね」

「はい、それはそうです。ですが、何を言ってるのか訳が分からないんで。音楽で踊ってるらしいんですが……」

「話の感じからすると、たぶん、EDMッていう音楽だと思うんです。……簡単に言うと、コンピューター等で作ったダンスの音楽です」

「音楽もコンピューターですか」

「ええ、そう。まあ、大丈夫ですよ。私も好きだから」

 レコード販売店での買い物は直ぐに終わった。美奈子が、いろいろな曲の入っているCDを選んでくれたから。

 杉作は、短い時間でもデート気分を満喫した。茶色い髪をした若者たちが、美人の美奈子の方を意識しているのが分かるから、優越感のようなものさえ感じることができた。

 加えて、或る意味で嬉しかったのは、店を出るときのアクシデントだ。

 美奈子の方が先に扉を出たところ、或る男が待っていた。年齢は、彼女より少し上かも知れない。

「おい、美奈子。今度は、そんなジジイを相手にしてるのか!」

「ちょっとね、失礼な言い方やめてよ……」

 彼女はそう言って、一呼吸置くと、

「そうよ。こちらが大好きなダーリンよ」

 杉作を引き寄せると、頬にキスをした。

「チッ!」

 相手の男は舌打ちして、レコード販売店に入っていった。

「どなたですか」

 杉作は頬に手を遣りながら訊いた。

「ああ、あの人、前から私に言い寄ってきて困ってたの。これで、あきらめてくれるといいんだけど」

 そして、

「杉作さん、私の部屋に来ませんか。お茶、飲んでいって下さいよ」

「でも、いいんですか、本当に」

「いいの。いいの。今のお礼です。ダーリン!」

 おどけるように言った彼女の笑顔は、とても眩しく、自分が選ばれた人間のように思えて誇らしかった。


   *


 タクシーを拾い、到着した先は住宅街の中にあるアパートだった。それは偶然にも、杉作の孫家族の住所に近い所だった。ここから歩いて行ける距離に、杉作も行ったことのある、大きな公園があるはずだ。

 アパートの桃色の外壁は綺麗で、まだ新しい建物に見える。そのいくつか並んでいるドアの一つを美奈子が開け、杉作を招き入れた。

 四畳半とは言わないが、部屋一つを思い描いていた杉作には意外なほど広かった。

 入って直ぐが台所、そして風呂・トイレのドアの横を通ると、一室目、そして更に奥にもう一室あった。引き戸の間からベッドが見えている。

 敷物やクッションなど、部屋の中は薄い桃色の物に満たされていて、若い女性の甘いにおいがするかのようだ。

「綺麗にしてますね」

「それはそうですよ。まだ、嫁入り前ですよ。自分を磨いておかなきゃ」

「そうか、独身か……」

 杉作は、美人の美奈子が独り身であることに疑問を抱いた。これまで、当たり前のように接してきたのだが。

「日本茶がいいですか。それとも紅茶? コーヒー?」

「えーと、どうしましょうか。先生は、何がお好きなんですか」

「私は紅茶……」

「それでは、紅茶をお願いいたします」

「オーケー。でも、その先生ッていうの教室の外ではやめましょうよ。美奈子ッて呼んで下さい」

 杉作は照れて、

「美奈子さん」

「そうよ。ダーリン」

 彼は、中学生の頃の初恋を思い出した。確かあの頃もこんな気持ちだった、と。

 杉作は、とても幸せな気分で、紅茶を愉しんだ。


   *


「……それじゃあ、奥様とはお見合いなんですね。ずっと、奥様一筋で……」

「つまらない男ですよ」

「私がお茶に誘った気持ちにも気づけないほどにですか」

「え?」


「しかし、あなた。美奈子さんにもいい人がいるんじゃありませんか」

 美奈子は首を横に振る。

「いません」

「本当に?」

「私とは嫌ですか」

「そんなことありません。こんなに美しい方だから疑問に思っただけです」


「……こんなの初めてかも……」


   *


 ……タクシーを呼び、自宅まで送るという美奈子の好意を断って、杉作は歩いた。

 公園まで行ければ、多少は見知った土地なのだ。バス停があるのも知っている。

 プレゼントの入ったビニール袋を片手に、すがすがしい気分で彼は歩いた。

 公園に着いたときには、もう、陽が落ちてきていた。

 ベンチに坐り、美奈子の躯つき、匂い、声を思い出す。

「『こんなの初めて』か……」

 独り言を漏らしたときだった。

「あッ! おじいちゃんだ」

 声のする方を見ると孫と、その母である長女が、自転車を引いて立っていた。

「おー、どうした?」

「どうしたは、こっちよ。お父さん」

「そうだよ、おじいちゃん。何、ニヤニヤしてたの?」

 孫の言葉に、杉作はしどろもどろになりながら、

「いや、何、お前たちに会いに来たんだ」

「だったら、直ぐに家に来ればいいのに」

 不思議そうな顔をする長女。

「だから、その。渡したいものがあるんだよ。今度、誕生日でしょう?」

「えー、ホントに? 私にプレゼントなの?」

 孫は喜びの表情を見せた。

「これだよ。お誕生日おめでとう」

 杉作が、レコード販売店で特別に包装してもらった紙袋を、ビニール袋から出して渡すと、

「ねえ、中見てもいい? ……あーッ、CDだあ。なんで分かったの? これ、ホントに欲しかったの!」

「良かったわねえ。こんなに喜んだ顔見たの初めてかも知れないわ」

 杉作は何気なく言葉を発する。

「初めてか……。今日は初めてがいっぱいあるなあ……」

「えッ、何? おじいちゃん、初めてッてどういう意味?」

「いや、なんだ? おじいちゃんがプレゼントするなんて初めてかも知れないなあーッて思ってな」

「お父さん、そんなことないじゃない。まあ、とにかく、有難う。……おじいちゃんに今度、お返ししなきゃ駄目よ」

 孫に言い聞かせる長女を見ながら、どこかくすぐったいような不思議な気分の杉作であった。

   (「魅惑のパソコン先生」おわり)

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