59 想いが反発して
「ちょ、ちょっと落ち着こうね
ココアには精神安定効果やストレスを和らげる効果があると言われているのに、目の前の主人公は瞳に闘志を宿してしまっている。
何とヒロインからあたしを奪おうと言うのである。
いまさらだが、本来ならヒロインを奪うべきなのに。
「落ち着けませんっ、やっぱり納得いきませんから柚稀ちゃんが
「だからって争ったりするのは穏便じゃないよね?」
羽金先輩とのリアンは他の火種になりかねないから解決したいとは思っている。
思っているが、羽金先輩の好意も踏みにじりたくはない。
そして主人公とヒロインが争う事を望んでもいない。
何をどの視点から見てもあたしが八方ふさがりのようにも感じるが、今はそれを無視しておく。
「いいえ、
「よしっ、ヴェリテ女学院の生徒心得を思い出そうねー?」
はい復習 “博愛の心を以て隣人を尊ぶべし” だったねっ!
闘争とは対極の理念を持つのがヴェリテ女学院の乙女たちなのです。
「転入したばかりなので忘れちゃいました」
「言い訳に迷いがないっ」
そんな転入生のアドバンテージの利用の仕方があるとは思わなかった。
「でも、実際の所は柚稀ちゃんはどう思ってるんですか?」
「……え、どうとは」
声のトーンが下がり、真面目な口調で聞かれて思わず身構える。
「
「それは……」
確かに、そういう訳にも行かない。
いや、あたしが羽金先輩の好意を受け取る決断をするのなら、それもアリなのだろうけど。
でもそうなると少なくとも千冬さんを裏切る形になってしまうわけで。
じゃあ、あたしは千冬さんを裏切れるかと言うと、そんな事も出来なくて……。
「なんでわたしがいるのに他の女の子の事、そんなに真剣に考えてるんですかっ!?」
「理不尽!?」
そっちから羽金先輩の名前出したよねっ。
千冬さんは派生して考えちゃったのは、あたしだけどさっ。
「そんなに悩んじゃうくらい羽金先輩の事が気になるっていう事ですかっ」
「いや、気にならざるを得ない状況って言うか……」
一緒の部屋でアレだけ好意を伝えられたら、気にしない方が無理だ。
「何ですか、もしかしてそんな気になるような事されたんですかっ!?」
……け、結局のところ会話はこの方向に戻って来てしまう。
どうあっても話題を反らす事は不可能なのだろうか。
「い、いや……ちょっとだけ体を触られただけで……」
「ええっ、リアンってそういう事をするための仲なんですかっ」
い、いや……本来は違うとは思うけど。
そうなる事もあるよねっていう……。
「なんだか変態です、不健全ですっ」
「……そ、そうだよね」
それについて返す言葉はない。
「とにかくはっきりして下さいっ。柚稀ちゃんはわたしと羽金さん、どちらのリアンを望んでいるんですかっ」
「……いや、そんな選択肢選べないよっ」
どちらにも恋愛感情が絡んでしまうのなら、あたしはどちらか一方を選ぶ事なんて出来るわけがない。
あたしせいで誰かを不幸にはしたくない。
「でも、分かってもいるはずです。このままずっと曖昧で中途半端な状態は続けられませんよ」
……そ、それはそうなのかもしれないけど。
主人公がこの葛藤を言葉にすると重みというか説得力が違う。
「むしろ後にズルズル伸ばせばその分、柚稀ちゃんも苦しむ事になります」
「……うん」
「ですから、今すぐ決めてくださいっ」
「それはあまりに早いよねっ!?」
即結即行動できるほど、簡単な事案ではない。
後伸ばしにしているだけかもしれないけど、誰も傷つかない選択肢だってあるかもしれないんだ。
「そうですよねっ、わたしですよねっ」
「話を聞く気はあるかなっ!?」
最後は力づくというのも主人公補正があればどうにかなるのかもしれないが。
あたしにはそうも上手くいかないようだ。
気持ちは揺らいだままで、決断を下せるほど固まっていない。
だから、もう少し時間が必要なんだと思う。
「むーっ」
「ほ……頬を膨らませても駄目だよ」
むむっ、とリスのように不満オーラを放ちだす明璃ちゃんだが、それに屈する事が出来る程これは簡単な話ではない。
「わたしのこと選んでくれないのなら結構ですっ。それでしたら早く柚稀ちゃんのリアンさんの所へ行ったらどうでしょうかっ」
そ、そう言われると立つ鳥跡を濁しすぎ……というか。
不満爆発の明璃ちゃんを残して行くのは気が引ける……っていうのも、あたしのワガママである事も分かっているのだけど。
「……あ、あの、もうちょっと平和的な解決策があるんじゃないかなぁ……?」
「ありませんっ、わたしを選ぶか選ばないか答えは二つに一つです。そして選んで下さらないのならリアンさんのいるお部屋に戻って頂いて結構ですっ」
もう明璃ちゃんの中では腹が決まった話のようで。
断定的な口調で言い切ると、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまうのだった。
これはもう話を聞いてくれる雰囲気じゃないよね……。
羽金さんを選ぶと決めた訳ではないけれど、決断を出せない今は退散するしかない。
明璃ちゃんからすれば納得いかないだろうけど……今は我慢してもらおう。
あたしはそう決めて、席を立った。
「……そういうつもりじゃないけど、部屋には戻らないといけないから戻るね」
心苦しさのせいか、足は重い。
それでも皆の方がきっとこれ以上に重く感じているだろうから、そんな事は口には出せないけれど。
無言の部屋では自分の足音がよく響いた。
扉の前でドアノブを握る、それを回そうとして一瞬思い留まる。
挨拶くらいはして部屋を出ようかと思い、息を吸った瞬間。
「――柚稀ちゃんっ」
背中に抱き着かれる感触。
わたしの背後に迫っていた明璃ちゃんが、その勢いのまま抱き着いていた。
「わっ、え、えっと……明璃ちゃん?」
「ごめんなさい、困らせたいわけじゃなかったんです。ただ、わたしは柚稀ちゃんと一緒にいたいと思ってるだけなんです」
明璃ちゃんの腕があたしのお腹に回って、その額を背中に押し当てられているのが分かる。
「……うん、分かってるよ」
「ですから、ワガママかもしれないですけど嫌いにはならないで欲しいです。わたしは柚稀ちゃんと一緒になりたいだけなんです」
ワガママなのはあたしの方だから、そんな事を気にする必要はないのに。
「わたしはその柚稀ちゃんを幼馴染として……ていうのは勿論ですけど、純粋に好きなんです。その……人として。だから、ずっと一緒にいたいんです」
背中越しに伝わる声は、その体の温かさを一緒に運んでくる。
彼女らしい優しい告白。
これだけの物を与えてもらっているのに、今すぐ応えられない自分自身がひどく空虚だった。
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