55 漆黒の奥に
「……ねむい」
それがあたしの朝の感想である。
昨夜のあたしは先輩が眠るのを見計らってソファへと移動、仮眠も出来ないまま朝を迎え、先輩が目を覚ます前に身支度を整えて学院に登校して現在に至る。
つまり昨夜は全く眠れなかったのだ。
当たり前だ。
未遂とは言え、肌を重ねる展開も有り得たのだから。
そんな事が起きているのに、すやすやと安眠出来るはずもない。
「授業始まるまで寝よっかな……」
早朝の教室はあたし一人である。
自分の机に突っ伏して、重くなっていく瞼を受け入れようか悩み中だ。
いや、しかしなぁ、
であれば教室で寝るなんて悪女的ムーブは控えたいのだが、とは言え眠気にも抗い難く……。
「何してるのよ」
静寂を掻き消すその声は、凛と張り詰めていた。
まどろみの中にいたあたしの意識が引き起こされる。
「いえっ、何もしてませんけどっ」
「どうして何もしないのに、こんな時間から貴女がいるのよ……」
目を見開くと困惑顔の
朝だと言うのに今日もその表情やヘアセット、制服の着こなしに一切の隙がない。
もしかしていつも寝起きからこんなにシャキっとしてるのだろうか。
「そういう千冬さんこそ、どうして朝早いのさ」
「私はいつもこの時間に来てるわよ、一人になれるし静かだから集中出来るの」
意識が高すぎる。
同じ“早朝に起きる”という行為をしているはずなのに、こんなにも正反対の生き様があっていいのだろうか。
「それで、そんな集中を必要としていない貴女がどうしたの?」
そしてあたしの思考も読まれていた。
「あ、いや、ちょっと……」
どこから説明しようかと思ったが、どこを切り取っても人に聞かせるような話じゃない気がする。
「昨夜、何かあったという事ね?」
問いかけられているはずなのに、どこか断定的な口調。
千冬さんは何か物申したい、そんな様子だった。
「いや、特に何かあったというわけじゃ……」
「そして貴女は羽金麗を直視出来ないほどの感情に苛まれ、こうして早朝の教室に逃げ込んだという事ね?」
……う、うう。
ほとんど何も発していないのに心を読まれている。
そして先輩を呼び捨てにしている千冬さんの迫力も凄まじい。
「奪われたのね、貴女の初めてを」
……ああ、やっぱり全然違った。
そうとは知らない千冬さんは、ここにはいないはずの誰かを睨んでいる。
「千冬さん? そんな事は起きてないからね?」
「いいのよ、自分で口にするのは苦しいでしょうから」
「そうじゃなくて」
「それとも貴女自ら望んだということ?」
「いや、望んではいないけどっ」
危うくそんな展開にも成りかけたが、そこはあたしの精神が上回った。
あたしの貞操は守られている。
……守っちゃったなぁ。
良いような悪いような、複雑な心境ではあった。
「あたしは羽金先輩に何も手を出されてないからね?」
「……本当に、何も? 一切やましいと思える行動はなかったというの?」
千冬さんは重ねてあたしに問いかける。
その眼差しに熱を感じるのは、何と言うか……嫉妬というやつでいいのだろうか。
羽金先輩も皆はあたしの事を好きでいてくれていると言ってたしなぁ……。
自惚れだとしたら非常に恥ずかしいけど。
「ほんとほんと。やましい事なんてこれっぽっち……も…」
“なかった”、と言いかけて止まってしまう。
記憶からフラッシュバックしたのは、羽金先輩があたしの足に手を滑らせて、あたしがその頬に唇を重ねた瞬間。
……いや、これくらい可愛いものだ、ノーカウントだ。
と心は主張しているが、口は塞いだまま開かない。
思いと行動が乖離していた。
「やはり、何かあったようね」
「いや、いやいや、そんな本格的な事はなくてお遊びのような事がちょっとあっただけっ」
目つきが鋭くなっていく千冬さんを見て、何とか誤解を解かねばと心が騒ぐ。
しかし、口は空回りを続けるばかり。
「明確に言えないというのが、やましい事の証明よ。全く、羽金麗……どこまでも嫌になる」
苦虫を噛み潰す千冬さん。
でも、その感情はどこから来ているのだろうか。
今まで確しかめる事は避けてきたけど、その感情が何であるのかをはっきりさせる必要があるんじゃないだろうか。
羽金先輩も言っていた、この感情を曖昧にしているから皆との歪みが生まれてしまうのだと。
「千冬さんは、どうしてあたしの事そんなに気にしてくれるの?」
「……え」
千冬さんは目を丸くして、言葉は止んだ。
あたしの問いはそんなに返事に窮するものだったろうか。
「あたしと羽金先輩との間に、何かあったら怒るのはどうして?」
「ど、どうしてって……そ、それは……そ、そう、生徒会として健全な共同生活を送れているのか確かめる為よ。生徒会役員は生徒の見本になるべき存在なんだから……」
取り繕ったように羅列された単語。
そこにさっきまで宿っていた熱量は感じられない。
あたしが確かめたいのは、きっとそこじゃない。
「それじゃあ千冬さんは、羽金先輩とあたし以外の子がリアンだったとしても同じような態度をとったんだね?」
「……そ、それは……」
言葉に詰まる千冬さん。
でもその反応はおかしい。
さっきの理由であれば、誰でも同様に感情を荒立ているはずだ。
でもそうじゃないのなら、そこにある違いは“あたし”という事になる。
「羽金先輩とあたし、どちらが理由なの?」
それを確かめないと。
寝ぼけた頭を振り払い、椅子から立ち上がって千冬さんと目線を合わせる。
揺れている瞳の奥は確かにあたしを捉えていた。
「……その理由を知りたいの?」
千冬さんは唇を強く引き結んで、その問いを繰り返す。
「うん、知りたい」
この物語を変えてしまったのなら、それを知る理由があたしにはある。
それが例えどんな想いを孕んでいたとしても。
「……そう、本当に貴女って愚問を私に問いかけるのね」
呆れたように息を吐く千冬さんに、少しあたしも肩の力を抜く。
……のだが、それが良くなかった。
――ダンッ
と、瞬時に距離を詰めてきた千冬さんに、あたしは反射的に後ろへのけ反る。
「わわっ」
が、背後にあるのは壁で行き場を失う。
その勢いのまま、あたしの横をすり抜けるように千冬さんの右腕が伸びた。
壁を叩く音が耳元に響く。
「……そんなの決まっているでしょう」
千冬さんの髪が放射状に揺らめいて、窓から差し込む朝陽を反射する。
その光は艶を際立たせるけれど、その漆黒は闇を深めていくだけ。
彼女らしいモノクロのコントラスト。
「貴女が好きだから、他に理由があると思って?」
それなのに、その言葉は七色の感情に彩られていて。
あたしの景色を変えてしまうのだ。
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