22 優しさじゃないかな


「……こ、腰痛い」


 雑草取りは見た目以上に重労働だった。

 中腰姿勢での作業はすぐに腰が悲鳴を上げ始めるのだが、“これはゆずりは柚稀ゆずきのイメージアップ、そして千冬ちふゆさんの副会長就任のため”と、ひたすら自分に言い聞かせ奮闘。

 ボランティア部の活動を終えて皆が解散し寄宿舎に戻っていく中、あたしは近くにあったベンチに腰を据えた。

 手を抜くわけにはいかないと休憩なしでしっかりやり込んだ結果がコレである。


「お疲れ様、頑張ったわね」


 すると、千冬さんがスポーツドリンクのペットボトルを差し出している。

 あたしの為に買ってきてくれたのだろうか?


「くれるの?」


「これであげないとか性格悪すぎるでしょ……」


「あはは……あ、ありがとう……」


 ご厚意に甘えて素直に受け取る。

 自分でも気づいていなかったが、喉が渇いていたようでごくごくと飲んでいった。


「最初は貴女にやる気が感じられないから逆効果かもと危惧したのだけれど、最終的にボランティア部の人よりも熱心にやっていたわね」


「……おかげさまで腰痛いけどね」


 楪柚稀の体は運動を知らないお嬢様仕様のようで、少しの運動ですぐに音を上げるのだ。


「でも、これだけ頑張ったんだからイメージアップにはなったかな?」


「ボランティア部でもない人が一番努力しているのだから引いていたわよ」


「……嘘でしょ」


 報われない努力ってこんな身近にあったんだ。

 正直、これくらいの努力なら実って欲しいんだけど。


「いえ、でも良かったと思うわよ。目立ってはいたから印象には残ったはず、善良な行為をしているのだから悪印象になるはずもないわ」


「あ、そう……なら良かったけど、それなら最初からそう言ってよ。ビックリするじゃん」


 なんて遠回しな言い回しをしてくるんだ、人が悪い。


「……そうね、私はもっと素直に言えたらいいんでしょうね」


 はぁ、と息を吐いて千冬さんは隣に座る。

 肩が当たりそうで、彼女のパーソナルスペースは思っていたより近いなと感じた。


「……千冬さん?」


「ええ、分かっているわ。私は気を張り過ぎている、もっと肩に力を抜けたなら人に慕われるのでしょうけれど」


 急に心境を吐露してくる。

 しかも、普段の彼女には似つかわしくない弱音だった。


「いやいや、この学院の嫌われ者を前に何を言っているのかな、嫌味だよ?」


 この楪柚稀を前に人望ない発言とは。

 もうちょっと人を選びたまえ。


「……それも遠からず、変わるでしょうね」


「ん、そう?」


「ええ、今日見て分かったのだけれど、やはり人は人をよく見ているのね。貴女の熱意を見て、嘲り笑うような人はいなかったもの」


「まぁ……今日はそれが目的だし」


「それに小日向明璃こひなたあかりやルナ・マリーローズとも仲が良いじゃない。あの個性派に好かれるのだから、悪評なんていずれ消えるでしょう」


 明璃あかりちゃんとルナに関しては狙ったものではなく、むしろ百合を見守るために、もう少し距離を取りたい所なのだが……。

 まあ、でも千冬さんから見ても険悪な雰囲気でないのなら追放ルートからは遠ざかるだろうから良い知らせなのかもしれない。


「それに比べて、私は駄目ね。自分一人で息巻いてるばかりで人が遠ざかって行くもの」


 それは涼風千冬すずかぜちふゆの心の闇だった。

 上昇志向が強い彼女は、その姿勢のせいで周囲との軋轢を生みやすい。

 志が高いがゆえに、能力があるゆえに、隙がないゆえに周囲の生徒は彼女を非難することは出来ず、遠ざけてしまう。


「まぁまぁ、千冬さんは出来る子だから仕方ないんだって」


 しかし、それこそが彼女の魅力なのだ。

 完璧であろうとすればするほど、孤独になってしまう。

 そんな人間臭い矛盾がどうあっても孕んでしまうのだ。


「でも本当に出来る人間ならば、羽金麗はがねうららのように慕われるはずでしょ?」


 生徒会長候補の羽金麗はカリスマだ。

 容姿端麗、成績優秀、人望も厚く非の打ち所がない。

 その千冬さんにとっての理想の存在がいる限り、今の自分自身を許す事が出来ない。


「向こうは三年生、千冬さんは一年生じゃん?」


 年齢考えようよ。

 入学して間もないのに、そんな所まで求めていたら果てがない。


「私はそれを言い訳にしたくないのよ」


「十分な理由だと思うんだけど、どうして駄目なの?」


「今の弱い自分を認めてしまったら、今以上の自分になれないもの」


 それは一つの正解かもしれない。

 でも、そんなものは結局一つの正解にしか過ぎない。


「そーいうとこなんじゃない?」


 あたしは、ふーやれやれと息を吐いて肩をすくめる。


「……何よ、随分と軽々しく口にするじゃない」


「そんな張り詰めてるから他の人がそれを察して遠ざかっていくんじゃない?」


「だから、そうならないように私は自分を高めようと……」


「だからね、そういう考え方に囚われてるのが良くないんだよ?」


「……何よそれ」


 千冬さんは思考が数値的な上下で完結しやすい。

 でも人ってもっと多様で柔軟だと思うのだ。


「例えばさ、千冬さんが努力家なのを分かっているから、周りの人は千冬さんをこれ以上疲れさせないようにそっとしてるのかもよ、それって優しさじゃん?」


「……そういう事も、あるのかしら」


「あるある、貴女はヴェリテ女学院の淑女を何だとお思い? 他者を敬い尊ぶ精神、それは時に見守るという慈愛の選択だってあるでしょう」


 誰もが上に立ちたいという人間ばかりではない。 

 その後ろ姿を見守って応援したい人達だっている。

 千冬さんは上しか見ていないから、そういう感覚を忘れてしまうんだと思う。


「だからね、時には周りを見回したらいいんだよ。多分、思ってるより千冬さんの事を見守ってくれてる人は多いと思うよ」


 人間頑張っている時は視野が狭くなりやすい。

 あたしみたいな上昇志向のない人間は、良くも悪くも簡単に俯瞰的になれてしまう。

 これはスタンスの問題でしかない。


 これもまた一つの正解で、無限にある内の回答の一つ。

 縛られる必要はないという事が伝われば、それでいいんだと思う。


「……そうね、貴女の言葉は信用できるわ」


「うんうん、そうでしょそうでしょ」


 いいね、柔和な千冬さんも素敵だよ。

 緩急が人間には大事だからね。


「……ええ、だって今こうして隣に見守ってくれている人がいるんだもの」


「え、あ、うん」


 なんでしょう。

 そんなジッとこちらを見られると照れてしまうのだけど……。

 確かに見守ってるし応援もしてるけど、面と言われると恥ずかしい……。


「貴女の言葉、忘れないわ」


「……あ、うん」


 あれ、刺さり過ぎたか?

 思わず勢いで喋ってたけど。

 何か千冬さんの瞳が……。


「う、うぐっ!!」


「え、ちょっと、楪?」


「こ、腰が……」


「え……そんなに……?」


 中腰姿勢が腰に悪いのは当然だが、実は座っている姿勢は立っている姿勢よりも腰に負担が掛かると聞いた事がある。

 しかも千冬さんとの会話で回旋運動も相まって余計なストレスが腰に掛かっていたらしい。


「ちょ、ちょっと寝かせてもらっていい……?」


 ちなみに腰に一番負荷が掛からないのは寝る姿勢である。

 あたしは千冬さんに立ってもらい、ベンチに横たわる。


「だ、大丈夫……?」


「う、うん……これも千冬さんの生徒会選挙の為だから……」


「そう言われると私が無理矢理させたみたいで罪悪感があるわ……」


「ご、ごめん……そんなつもりじゃないんだけど……」


 あたしのせいで変な空気になってしまった。

 いや、全ては楪柚稀の怠惰のせいだ。

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