食人教室
恵満
第1話 羽川ハルカ
永い間、夢を見ていた。ねっとりとした暗闇の中を果てしなく落下し続けるような……そんな悪夢である。
目が覚めたハルカはクリーム色の壁に四方を囲まれていた。立っている場所には見覚えがある。通っている高校の中庭に違いない。
寒気を覚えて背後を振り返ると『異岩』が聳え立っていた。形は薔薇の棘に似ているが大きさは数千倍あり、高さは2階に届くほど。地面から飛び出ているのはほんの一部で、本体は地面深くまで埋まっている。
校舎を建てる際に砕こうとしたが工事の作業員が怪我したり、破砕を決めた役人が急死を遂げたことから「異岩は呪われている」と噂され、避けるように中庭が作られたという。
だから『異岩』にはしめ縄がされ、小さな祠まで建てられていた。
ハルカは来歴を思い出した後、中庭から出ようとした。自分がこんな場所にいる理由が分からない。記憶を辿ってみても数分前まで何をしていたのかまったく覚えていなかった。
上履きのまま中庭に出てしまったらしく、屋内へ続く引き戸を開けて校舎内に戻る。泥落としのマットに対して入念に爪先を擦り付けながら周囲を確認した。
昇降口には誰もいない。そこから東西に長く伸びる廊下にも人は見当たらなかった。妙に暗いのだが見通せないほどではなく、窓の外からは淡い光が入ってきて室内を照らしている。蛍光灯とはまた違った明るさで、昼と夜をちょうど同じだけ混ぜたかのような感じだ。
あまりにも静かだ。ハルカが戸惑っていると「こんにちは」と声をかけられる。身体を強張らせていると下駄箱の後ろから見知らぬ女子生徒が姿を現す。ハルカと同じブレザーの制服だが顔に見覚えはない。挨拶は返さず、ジッと観察する。
「そんなに怖い顔しないで。あなた、見ない顔ね。何年何組?」
「……」
「私は江崎エリ。2年A組でクラス委員をしてるの」
嘘だ、と喉元まで言葉が出かかった。何故ならハルカも2年A組に所属している。クラス委員は男子生徒で、目の前の少女とは別人だ。
「あなた、名前は?」
黙ったままハルカが踵を返すとエリは遮るように立ち塞がる。
エリは口角を持ち上げて笑顔を作ってはいたものの、声のトーンを一段低くした。
「ねぇ、私の話ちゃんと聞いてる? もしかして無視してる?」
「……」
「話しかけているのに無視しないで!」
「っ!!」
エリが手を伸ばしてハルカの肩を掴もうとした瞬間、ハルカは凄まじい速度で反応してその手を叩き落とした。乾いた音が静かな校舎に鳴り響くとエリは呆然として自分の手を見つめる。勢いよく叩かれたせいで指が赤く腫れ上がっていた。
険悪な空気が流れる中、ハルカはあくまで攻撃的な姿勢を崩さない。いかにも素人っぽい構えを作ってエリと対峙している。
「あなた……!!」
「おっと、そこまでだ!」
近くの教室から飛び出してきた小さな影がハルカとエリの間に割って入り、手を広げて制する。ブレザーの制服の上には白衣を着た、見るからに科学部といった風体の少女である。童顔の割に力強い視線で交互に2人を諌めてきた。
ハルカは特徴的なこの少女にも見覚えがない。生徒には違いなさそうだが。
「江崎さん。キミは中庭から出てくる人に説明する役目だった筈だ。なんでケンカになってしまうんだい?」
「私が悪いというの? この人が……!」
「ストップ! キミは全く悪くないが、ボクが話そう! だから落ち着いてくれ!」
白衣の少女は頬に汗をかきながらエリを宥める。
2人のやり取りを眺めていたハルカは目を細めた。腰は落としてすぐにでも逃げ出せる体勢を作る。その上で耳だけは傾けた。白衣の少女は多少だが信用できそうに思える。
「ボクは新見ニィナ。キミも、このI沢高校の生徒だろう。こんなナリだが一応は2年生だ」
「……」
「やはりボクのことも知らないという顔だね。それが普通の反応だから安心してくれ」
「……普通?」
「そう。ここでは誰も互いのことを知らない。おっと、そろそろ本題に入ろう。端的に言ってしまえばボクらは閉じ込められた。この校舎からは簡単には出られそうにない。だから協力して欲しい」
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