サンタクロースの来ない家

下東 良雄

前編 親の気持ち

「大変申し訳ございませんでした……」

「父親がいないから子どものしつけもろくにできてないんでしょ! これだから片親の家庭は! やっぱりあなたも学が無さそうね! 低学歴の母親はお詫びの仕方も知らないの!? 土下座しなさいよ! 土下座!」

「…………」


 息子のヒカルが小学校でケンカをしてしまい、相手を怪我させてしまった。膝を擦り剥いただけのようだったが、怪我をさせたのは事実なので、母親として相手先の家へお詫びに訪れた。それで今この状況だ。玄関先で相手の母親に怒鳴り散らされ、偏見に満ちた暴言吐かれた上に土下座まで強要された。ヒステリックに怒りを撒き散らす相手を前に、もう仕方ないので土下座をして謝ろうとした。


「いい加減にしなさい、もういいだろう。あなたも土下座なんてしなくていい」


 顔を上げると、奥から先方の父親が出てきた。

 私に土下座を強要しようとする母親を止めに出てきたようだ。


「あなたは黙ってて! 私に逆らうっていうの! 安月給のくせに!」


 暴言を吐き続ける母親を無視して、私に微笑みかける父親。


「もう十分誠意は伝わりました。大怪我したわけではありませんし、子ども同士のケンカに親が出張るのはよくありません。もうお引き取りいただいて結構です」

「なっ! 勝手に話を終わらせないで! 私は損害賠償を……!」

「早く行ってください。わざわざお越しいただき、ありがとうございました」


 暴れる母親を制止する父親に改めて深く頭を下げて、先方宅を出た。玄関の扉の向こうからは、母親が怒鳴り散らしている声が外まではっきりと聞こえた。私は、もう一度玄関に向かって深く頭を下げて、その場を離れた。


 ポコン ポコン


 チャットアプリのメッセージの着信音だ。トートバッグからスマートフォンを取り出して、グループチャットのメッセージを確認する。


『アカリさん、大丈夫だった? 今日はお休みにしておくかい?』

『無理しないでね、アカリさん』


 パート先のお弁当屋さんの店長さんと奥さんだった。

 本当に優しいおふたりで、いつも私と息子を気遣ってくださっている。


『お気遣いありがとうございます。大丈夫ですので、今からお店へ向かいます』


 おふたりに返信。

 ヒカルは今日も学童に預けてある。

 私はパート先のお弁当屋さんへ急いだ。


 こんな生活も、もう五年になる。

 夫の度重なる浮気で離婚したものの、両親を早くに亡くして施設で育った私には保証人になってくれるようなひとも無く、中卒という学歴の無さに加え、胸を張れるような職歴や資格も無い。無い無い尽くしで、さらに幼い子どもを抱えた三十路女を雇用する会社はどこにも無かった。

 離婚後、職を探しながら安いビジネスホテルを転々とする生活に、微々たる慰謝料は早くも底を尽き始める。


「アンタ、大丈夫かい?」


 赤ん坊を抱え、あてもなく商店街を歩いていた私に声を掛けてくれたのが、お弁当屋さんの店長の奥さんだった。このまま放っておいたら、この母子は間違いなく死を選ぶと、直感的にそう感じたらしい。

 お弁当屋さんは夫婦ふたりで切り盛りしており、とにかく人手不足で大変な状況だったらしく、良ければウチで働かないかと誘っていただいた。渡りに船だった。さらに、商店街の外れにあるアパートの大家さんが商店街の会長さんということで、ご夫婦が保証人となって部屋を借りることができた。この時、ひとの情けの暖かさに私は号泣し、ご夫婦は私と息子を抱きしめてくれた。そして、号泣する私に抱かれた息子がキャッキャと楽しそうに笑っていたを今でもはっきりと覚えている。


 あれから五年、ただひたすら働いてきた。元夫からの養育費の支払いは離婚後三ヶ月で止まり、その後は連絡が取れなくなったため、何のあてにもならない。とにかく自分が稼ぐしかないのだ。

 お弁当屋さんで子どもを連れてフルタイムで働き、隙間の時間があれば、お弁当屋さんの店長夫妻やアパートの大家さんにヒカルを預けて、単発でオフィスビルの清掃や工事現場での交通整理の仕事をこなした。疲弊していく身体に心が折れそうになったことは何度もあったけど、どんどん大きく育っていくヒカルを見るとそんな疲れは吹き飛んだ。この子のためなら何だってやってみせる、そんな風に考えていた。

 しかし、給料の安いパートでは、いくら働いても贅沢はできない。人並みの生活は送れているものの、裕福だとは決して言えない状況だ。

 それでもヒカルのためにと、何とか踏ん張ってきた。


 でも、今回のヒカルのケンカで、私は心が折れた。


 ヒカルのケンカの原因は『クリスマスプレゼント』だった。

 学校の友だちはみんな持っているゲーム機。高額なおもちゃだけに「サンタさんから貰う」ことが多いようだ。しかし、このゲーム機をヒカルだけが持っていなかった。そんなヒカルに友だちが言ったらしい。


『お母さんが工事現場で働いているような変な家にはサンタさんは来ない。の家はおかしい家だって、な家にはサンタさんは来ないって、お母さんが言ってた。だから、ヒカルの家にはサンタさんが来ないんだ』


 その言葉に怒ったヒカルとその友だちが大喧嘩。相手に怪我をさせてしまったのだ。


 ウチにはサンタクロースが来ない。

 クリスマスにはスーパーで買ってきたチキンとケーキ、それにちょっとしたお菓子を食べ、サンタさんの赤い帽子をかぶった私がヒカルにプレゼントを渡していた。でも、ゲーム機のような高額なプレゼントを買う余裕はなかった。


「ウチにはサンタさん来ないのかなぁ」


 ヒカルの言葉に胸を痛めつつ、「サンタさんは忙しいからね」、「来年は来るかもしれないね」と誤魔化していた。それでいいと思っていた。これからもそうしていこうと思っていた。


 でも、今回現実を知った。

 私はヒカルに我慢を強いて、ずっとみじめな思いをさせていたのだ。みんなが持っているものを自分だけ持っていないなんて、子どもの世界で言えば仲間外れにされたっておかしくない状況だ。それでもヒカルは文句一つ言わず、そんな辛い状況を耐え忍んできたのだ。


 頑張って働いている? 必死で踏ん張っている?

 全部自己満足だ。私はヒカルのことを正面から見ていなかった。必死で働く可哀想な自分に酔いしれていたのだ。

 お弁当屋さんへ向かいながら、私は溢れる涙を止められなかった。


 私は、母親失格だ。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――ヒカルの授業参観日


 私は他の親御さんたちと共に小学校の教室の後ろに並んでいた。

 どのお父さんも、どのお母さんも、ビシッとした小綺麗な格好をしている。対する私はヨレヨレのスーツ。シワは伸ばしてきたけれど、何だか気後れする。

 先日お詫びにいった家の母親は、私を指差して取り巻きらしい他の母親とくすくす笑っていた。もうどうでもいい。

 ヒカルが後ろを向いて私に手を振った。私も笑顔で小さく手を振り、それに応える。


 教壇の先生がパンパンと手を叩き、生徒たちを前へ向かせた。


「今日は皆さんに書いてもらった作文『将来の夢』をひとりずつ読んでもらいます。皆さん、後ろにいるご家族が聞こえるように、大きな声で、元気良く読んでください」

「はーい!」


 将来の夢……ヒカルはどんな将来を夢見ているのだろう。ヒカルの夢を全力で応援してあげたい。でも、私という存在がヒカルの邪魔になっていないだろうか。夢を叶えるときの障害にならないだろうか。私の心を期待と不安の両方が覆う。


 順番に読まれていく『将来の夢』。


 そして、ヒカルの順番がやってきた。

 ヒカルは席を立ち、自分が書いた原稿用紙を読み始めた。

 心に秘めていた思いを乗せて――



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