鶴

 まるで平和に丸っこい鳩を殺して喰らった。

 チッチと小煩い子雀を殺して喰らった。

 三本足の烏を喰った。

 腹は膨れず今宵もまたkuと啼き続ける。


 私はもう、次の使いを待っていなかった。けれども母は使いを寄越す。私はあなたの意向に添えないと、現れる鳥獣を殺めて示して見せたはずだと言うのに、それでも母は便りを寄越すのだ。私は怯えながら日々を過ごした。自分よりも遥かに矮小である存在の来訪が恐ろしくなった。それは私の中身を暴く行為だったからだ。

 私は母を恨んだ。牙を月、月と殴りつけて、裂けた夜空へ威嚇を飛ばす。

 けれども私にはわかっていた。その心が自己欺瞞でしかないということに。

 そして自分が狂獣に堕ち、遂には化生に堕ちているということ、そしてその存在の持つ役割は幸福とは真逆の方向に佇む色であることを。

 それは不幸ではない。幸福の真逆とは、他者の幸福を奪うことである。

 私はこう、息をしているだけで頭の中は真ッ赤に支配されて、居ても立っても居られなくなる。生臭い吐息は高い温度を伴っていて、それ故に常に白く私の表面で渦を巻いた。

 伸びた舌が唆す。次は何を食べようか。

 体毛の全てが流れに逆行して立ち上がる。月光を含んだその様は、まるで朝露を含んだ草叢のようだった。

 酷く喉が渇いていた。血液でしか潤せない乾きが、私の頭を支配した。耳や頬、羽といった、肉の薄いところに通う血が、新たな同胞への期待に紅く燃える。

 全てが煩わしく思われた。行動と思考、その全てが健全なる方角とは異なったところへ奔走していた。視界の早急な遮断が望まれた。

 降り注ぐ時雨の闇に眼を浸す。すると涙と混じって眼窩に滑り落ちた。冷たい泥は血の通わぬ刃物のように、私の感情を刈り取ってゆく。

 孤独の闇の中で、私は丸まった。




 あなたは一体、こんなところで何をしているのですか。

 私の眼は闇に侵されていたものだから、声の主が何者であるかはわからなかった。

 だから私は彼女を鶴と仮定した。鶴は軽い足音で、私に近寄った。

 そうして瞼にぴたりと羽をあてがうと、涼しい声で言った。【おかあさまは心配為されていますよ】

 そんなことはわかっている。

 そう、そんなことは、勘当されたあの日からずっとわかっている。けれども私には一人の男としての意地があったし、母の言い分に反逆できない自分へのいら立ちがあった。

 けれどもあの時だって、私が保っていた意地は男としてのものなんかではなくて、ただ子供っぽい思考に頭がカンカン焼かれていただけであったことを理解していたのだ。

 泥中で私は千回考えた。腐るほど寝かせていた一つの事実に向き合おうとした。

 翡翠色の風景が闇の奥に浮かんでは弾けて消える。あおい野山、せせらぎの小川、輩の声、母のひだまりの笑顔。ぱち、ぱち、簡単な音をたてて景を失ってゆく。

 それを嗚呼泡沫だ、などと心安く眺めていられたのは初めの数舜くらいで、直ぐに耐えられなくなる。

 思考の中、私は駆けだしていた。あらゆる赤に染まった他の全ては眼中になかった。気味の悪いくらい不細工にヒィキュゥと啼いて、けれどもそれを他人に隠すほど外聞を気にしているわけでもない。最早私は化生なのだ。誰の目を気にしたって、何ら意味はない。腕と足を精いっぱいと同時に振った。肌に沿った風が刃物のように尖って、青白い毛が抜け落ちる。

 化生の黒い涎と涙、血と臭い脂を垂れ流し、踏みつけた足で次の一歩を踏みしめた。足元の穢れた澱みが長く伸びてゆく。

 辿り着いた翡翠の泉に私は頭から落ちた。

 雄叫びをあげて、膨れてゆく翡翠の過去、故郷の光景に手を伸ばす。無数の泡が私の爪が触れては弾け、形を失っていった。何度、何度と手を伸ばしその度に破壊する。その様は滑稽なものだった。思考などなく眼前の餌に飛びついてゆく獣、釣り餌に惑わされる雑魚。私は一層涙と涎を振り撒きながら泡に手を伸ばした。弾けた。

 ああ過去とは、思い出とは故郷とは、斯くも脆く柔らかいものなのか。絶叫する思考の中、私はまたも六道の外れに立っていた。目玉の裏が熱く煮える。そうして垂れる溶鉄のような膨らみは、血涙となって流れ出た。

 紅い後悔は水勢となって瞳をころころ転がした。

 瞳に浸した闇は雪がれ、視界はパシと白く光った。夢から覚める心地で帳を持ち上げる。

 鶴がいた。鶴はにこりと

 ひだまりのように微笑んだ。






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