10代から20代の時に書いた詩(21)

天川裕司

10代から20代の時に書いた詩(21)

「出産」

今日、7/14(月)、テストは好調だった。友達の一人に間が悪かった奴が一人いたが、どうにかなるだろう、となだめた。そして、またある友達のかわりに入ったアルバイトのシフト、一緒に入った奴が面白いことを言っていた。―――“母親は自分の子供を自分の子供だ、と主張できる。だが父親は証拠がない。―――”その違いについて(正統派に)論ぜよ、との出題(テスト)。久しぶりだ。こんなかんじの類題は。その時は私も一緒に考えた。確かに父親にはその証拠がない。人間はミスを犯す。父さんが犯さなくても、母さんが。母さんが犯してなくても、医者が。唯一確かなのは神。でもこの人間界では神の意志に沿わないことが沢山起こっている。もしかすると私は…、あり得ることである。親が違う、ということ。こんな簡単な(あえて言う)現実の先ですら、私(人間)はわからないでいる。面白いことだ。父親の仕草に、その昔私があれだけ似ていると言われていたのに。


彼の口癖だった、〝確かに〟。


そう、始めから決まっていた。僕の書き連ねている事は感想に過ぎない。始めから決まっていた事だ。


「〝自分らしさ〟とは」

思う事が自分。潜在能力がまだ97%残っているからこれは自分らしくない、等とは言えない。〝自分らしさ〟とはその時、その時。人間である、という条件の下(もと)で、その自分も成り立っている。無い物強請りから逃れられない。そして孤独では居続けられない。お婆ちゃんの荷物を今日は持ってあげたが、明日は持たない。疲れたから。その疲れは時の流れから来る。そして唯一、仮定して〝自分らしさ〟を言うとすれば、〝一番目の悩み〟だろう。それがその時の〝自分らしさ〟である。


潜在能力など〝無い〟と考えていい。使おうと思って使えないのだから。それは能力などではない。偶然だ。


俺が本音を言うと、皆嫌うだろう。寂しくなるんだ。一度孤独に落ちると、この以前(まえ)みたいに中々這い戻れない。生きる事が震えるほど困難になるんだ。だから、人前であれ以来本音を吐かないようにした。


今度生まれ変わったら、もっと背の高い、恰好良い男に成るのさ。

性格も厄介じゃない性格に。その今度も、そうまんざら遠くはないんだ。


「愛する者」

誰か、無報酬で俺を愛してくれる奴は居ないのか。一方的にこの俺の不条理な生を愛してくれる奴は居ないのか。子供と言われる。皆、そうだ、と言う。だがそんなもの不条理な生の上での決め事に過ぎない。親でさえ、精神的な支えには成り切れない。それは、親子だからだ。俺を愛してくれる者、神しか居ない。神よ、あなたの愛が生きているという事に存在しているだが、形で見えない。まだ形で見得ないのだ。死んだ後でも愛してくれますか?これがこの世への正直な価値観です。


「又、一偏の愛」

日髙のり子…不思議な人だ。会った事もないのに、ラジオで声を聞いているだけで、幸せな気分になれた。ずっと聞いていた僕だからか、その事は素直に嬉しい。〝ナウシカ〟の雰囲気に少し似ていて、母性愛の強い人だ。〝不思議な人〟、今の僕にはそれしか言えない。明日を、この世間で生きるから。


7月18日(金)

今日から休みだ。第一日目。この夏、もう何度かこんな繰り返しをして来た。20日か。まだそんな数か。今度の夏もまた何もなく過ごすのか。いや、とことん生きてやる。僕の運命のこの道を、一人ででも生き抜いてやる。それしか他に無い。


「本性」

どうしてもまだ本性を現した儘で生活が出来ない。いや、そんな事、一生出来ないものなのか。


「傷跡」

頭の後ろの傷に膿が堪り、悪化して行く毎日。その傷に手を遣ればその指に水のような膿がしがみ付いている。取ろうとしても取れそうにない。やがて厭になって、寝込むと、また頭の後ろの傷を気にして仰向けには寝る事が出来ない。この傷を自分で治せない儘、明日へと持ち運ぶのだ。


若者の生活が何かいけないみたいだ。母親を見てるとそう思う。


一編の欲も失くしてしまいたい。


素直に生きる、という事がいつしか、欲望に任せて生きる事になる。その中に真実は無い。無いのだが、この世では在る事になる。そして結果待ちの世間なのだ。僕はこれまで、誰かと一緒に居た事はない。でもどうしようもなく寂しさを覚え、神に一緒に居てくれと叫んだ。この一生が終わって、僕がこの世とは別の場所に行っても、神の傍(そば)で在りますように、と。最終的な幸福を祈った。一人で居る事が、この世の中でこれほど辛い事とは、人間(ひと)で在る事が不意に悲しく思えた。


「僕」

そう、意地だ。僕が生涯、辛いとは分かっていても独り身を守ろうとしたのは。友達とはこういうもの…女とはこういうもの…。


何処にも出て行きたくない。別に虐められてもないし、取り分け嫌な奴も居ない。でも、どこか臆病になっている。両親を思うと、この世間で問題は起こせない。どうして、そこまで考える必要があるのか、と問うが、結局のところ生きるという事は僕にとってそういうサバイバルなのだ。しかし、サバイバル・ゲームじゃない。現実だ。ゲームをする事によって勝手にルールを作ってしまう、それが両親を思うと出来ない事なのだ。僕には理性があるのだろう。詰り、他人(ひと)と居たくないのだ。人間が憎くて、殺したくて、哀しくて、しょうがない。自分も人間なのに、何故その人間という誕生に感謝出来ないのか。この汚れた世間が、すべてを無にした。神の傍(そば)まで行って祈ろうとする度、横からこの世の悪が出て来て、邪魔をする。くそったれの悪だ。男も女も同じに、楽しく、悩みの無い生涯を送りたいと心から願っている。その行き先が一理、流行なのだ。何を唄ってても、結局言う事は同じ。生まれて来た事を不条理と思わず感謝しよう、と。僕は個人として、この世間の〝素直さ〟の延長に我慢出来ない。どうしても我慢して、その流れに成る事が出来ない。そんな他人(ひと)の為に生きようとも思いたくないのだ。善人とは自分の為に生きられない人の事を言う。両親の為に生きているのだ。だからある意味、両親が亡くなれば強くなれる。


「信仰」

悪事を行なって、見られることが嫌だ、としても、した事には変わり無し。お前の言う神様からは、全てを見られているのだから。人間性。この世間の人間、結局は自分なのだ。


優しくなれる時もあるのに、何故この世と人間を憎まなければならないのか。正直に言って、こういう世間にされた神様を恨んでしまう。


「氷」

孤独が唯の孤独じゃないように、神様に祈りたい。孤独の中に幸福があればそれに気付くように生きてみたい。


何もしたい事が無い。将来の仕事、食って行かなきゃ生きられない。その為の金儲け。ちゃんとした所に就職、結局そう言う幸せが現実の幸せなのだ。どこの世界も同じだ、と人は言う。そうなのだろう。態々逆らわなくてもいい。言う事さえ聞いていればいいんだ。僕はまた厄介な性格だ。こんなので世間に生きていけない事くらい分かっている。もう一人の僕が泣いている。でも泣いてちゃいけないと他方の僕が抑え付ける。いつからか、こういう性格になってしまった。必然なのだろう。神がこう運ばれたのかも知れない。ただ在るのは、今のこの自分なのだ。


誰にも打ち明けたくない。笑わせるかも知れないが、誰とも口を聞きたくない。喋る事が出来るのに、喋りたくないとは哀しい事。無口の仲間が集まっても何も喋る事は無いのだ。誰にも今までの心を打ち明けたくない。幸せに成れないかも知れないが、誰とも口を利きたくない。意地張りな人生で十分だ。


母親には本当の事を話せない。狂うのは父親ではなく母親だからだ。


「もうこの世には居ない理想の愛する人」

俺の作り上げたあの娘は、他人(ひと)より狂う事がなく、いつも、狂い掛けた俺を包み込んでくれる。昨年に建てたパークハウスの中で、俺達二人は永遠の愛を誓い合った。俺は自然にあいつの全てを奪い、あいつは俺から全てを奪った。そして、その奪い合った二つの愛は、永遠の安心さによって輝いた。


もう、ちゃっちいこの世じゃないんだよ。(笑)へへっ、さまーみろ!(笑)


唄ってる時だけが、女の事を忘れられる時なんだ。女の事を完全に忘れてしまいたい。そんなの死んだ後くらいか。ちきしょう。


〝奇麗な薔薇には棘がある〟誰かが言った言葉なのだが、僕にはあの人が言った言葉なんだ。

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10代から20代の時に書いた詩(21) 天川裕司 @tenkawayuji

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