第3話
ポロネイア王国とバーランド王国を繋ぐ国境の関所。
両国が共同で管理するこの場所に、ペトラは馬車で運ばれてきた。
当然のように物を運ぶ為の馬車で、連結されているのは客車でなく荷台だ。
ペトラの所持品は最低限にすら満たない。
荷物は数日分の携帯食のみで、金銭や宝石の類は一切ない。
服も煌びやかなドレスではなくなり、黄ばんだ布の服を着ている。
絶世の美女と謳われていた頃の面影は残っていなかった。
「忘れ物はないな? 後で思い出しても取りに戻ることはできないぞ。お前は国外追放の身だ。二度とポロネイア王国には入国できぬ。もっとも、この場で思い出されてもどうすることもできないのだがな」
「大丈夫です」
「ならさっさと荷台から下りて進め」
関所を通ってバーランド王国の国土へ向かう。
(まさかこんな形でバーランド王国へ行くことになるなんて……)
ペトラはこれまで、何度も外国へ行きたいと訴えてきた。
様々な国を旅行して、その国ならではの文化に触れてみたい、と。
だが、公爵令嬢という立場から、なかなか他国へは行けなかった。
今までは願っても行けなかった他所の国。
それが今では願っていないのに行かされる。
不思議なものだ。
「ちょっと待ちな」
兵士が背後からペトラに話しかけた。
無精髭を生え散らかした男だ。
彼はポロネイア王国側の兵長――現場のトップ――である。
「ポロネイア王国に戻りたくないか?」
「そんなことができるのですか?」
男は「できるさ」とニヤリ。
「ただ、ここは人の目があって話しづらい。詳しく知りたいならついてきてくれ。その方法を教えるし、手助けもしよう」
ペトラにとって、男の提案は僥倖だった。
バーランド王国でどう生きようか途方に暮れていたからだ。
ポロネイア王国であれば、多少は勝手が分かる。
だからペトラは、縋るように男の後ろへ続いた。
「この辺でいいか」
兵舎の裏で男が止まった。
すごく狭い場所で、周囲に人はいない。
「王国に戻る方法は単純だ。俺が兵士に命令すればいい。兵士というのは上の命令には絶対服従だから、刃向かう者はいない。俺達が『バーランド王国へ行った』と言えば、王都の兵士は捜索しないだろう。バーランド側の兵士に至っては管轄外のことなので知らぬ存ぜぬで関わろうとしない」
「でも、町で見かけられるのでは……」
「公爵令嬢様が庶民に扮しているなどと思う者はいないさ。それにその格好だ。公爵令嬢様だと思う奴がまずいるかも疑わしい。仮に何か言われても他人の空似で押し通せば問題ないだろう」
たしかにその通りだ、とペトラは思った。
「で、ですが、本当に助けていただいてよろしいのですか? ご迷惑をおかけすることにならないでしょうか?」
「そりゃあ、迷惑はかかるよ。バレたらクビじゃ済まない。もしかすると国家反逆罪に問われるかもしれない。普通なら助けてやる義理なんてないさ。公爵様は俺達の給料を減らしこそすれ、優遇してはくださらなかったわけだしな」
「じゃ、じゃあ、どうして……」
「タダじゃないからさ」
「えっ、それって、どういう……」
固まるペトラ。
男は下卑た笑みを浮かべた。
「リスクを冒す見返りに、気持ち良くしてくれってことさ」
男はペトラの手首を掴むと、自分の股間へ近づけていく。
そこでペトラは、ようやく、男が何を考えているのかが分かった。
「やめてください!」
慌てて男の手を振り払うペトラ。
今まで穏やかだった男の表情が一気に険しくなる。
「此処で俺に奉仕すれば国外追放を免れるんだ。悪い話じゃねぇだろ。どうせ王子様には何度もやってきたんだろ。それに他の男にだってやったんだろ。だからお前はここにいるんだ。今さら淑女ぶってんじゃねぇよ」
「違います! 私はやっていません!」
ペトラは男を押し飛ばし、人の多い表の道へ走る。
「捕まえろ! 逃げようとしているぞ!」
彼女の背後から、兵長の声が響く。
周辺の兵士達が気づき、ペトラは瞬く間に捕まった。
「世の中を甘く見やがって。いつまで貴族のつもりでいるんだよ」
兵長はペトラの前に立つと、思いっきりペトラの頬をぶった。
「お前はもう公爵家の人間じゃない! ただの一般人だ! 自覚しろ!」
兵長はペトラの胸ぐらを掴みながら怒鳴る。
それから「追放しろ」と部下の兵士に命じた。
「二度と戻ってくるんじゃねぇぞ。俺達はお前の親父が大嫌いなんだ」
ペトラはバーランド王国側の門まで連れて行かれ、投げ捨てられる。
立ち上がろうとしたところ、地味な布の鞄が顔面に投げつけられた。
今の彼女に与えられた唯一の所持品だ。
ペトラは鞄を持って立ち上がる。
紐を肩から斜めに掛けて、バーランド王国の兵士に話しかけた。
「あの、近くに集落とかありませんか?」
「ありますよ。この先を真っ直ぐに進んだ所です。結構な距離ですが」
兵士が笑顔で応える。
バーランド王国に属する兵士だから対応がいい。
「よろしければそこまでお送りしましょうか?」
ペトラは「お願いします」と言いたかった。
しかし、彼女にはその言葉を言うことができなかった。
先ほど兵長を信じようとして怖い思いをしたところだから。
目の前の男がバーランドの兵士だと分かっていても不安だった。
「いえ、自分で、歩きます」
「そうですか。ではお気を付けて」
「はい」
トボトボと舗装された道を歩くペトラ。
「何で私がこんな目に……」
ペトラの目から一筋の涙がこぼれる。
そうなると、もはや止めることは出来なかった。
我慢の糸がプツンと切れ、彼女は1人で泣きじゃくるのだった。
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