第3話 カクリヨの街並み

 カクリヨの大通りは、まるで縁日のようだった。


 至るところに吊るされている赤い提灯がそう感じさせるのかもしれない。

 夕焼け空を見上げると、見慣れないものがあった。


「あっ! 電車……」

「ああ、モノレールだね」


 ひしめき合うように建つビルや家屋の間を縫うように、モノレールが走っている。


「あれがカクリヨの列車だよ。ここの列車は空を飛ぶ」

「すごい……」

「ほらほら、上ばかり見ていると転ぶよ」

「は、はい」

「君、とても人目を引くから気をつけて」


 舗装されていない道を歩くのは子供の時以来で、あやめは何度かつまずいて転びそうになった。そのたびに龍彦が「おっと!」と支えてくれた。お茶も淹れられないわりには、とてもまめまめしい性格の人のようだ。

 行き交う人々も商売をしている人も、色々な姿形をしている。

 耳の生えたもの、ツノの生えたもの、まるっきり二足歩行の爬虫類っぽいもの……カクリヨの住民、あやかしの姿をちらちらと見ながらあやめは興奮していた。


(すごい、私……本当に異界にきちゃったんだ)


 物語の中に入ってしまったような錯覚に、胸をときめかせた。

 帝都駅では不気味な影法師だった人影もあやかし達だったらしい。龍彦が使ってくれためくらましの符のおかげで、カクリヨの様子が鮮明に視認できるようになったらしかった。


「ふふ、あまりキョロキョロするとまた転ぶよ」

「ごめんなさい、珍しくて」

「怖くはない? 慣れないと気味悪く感じるものだけど」

「はい、あの……そうですね。怖くないです」


 自分でも、不思議だった。

 奇異にうつるカクリヨの風景に、あやめは恐怖を感じていない。


「そりゃよかった。めくらましの符も万能じゃないからね。効果は……カクリヨにいる間くらいは持ってくれるはずだよ」


 もうすこし、カクリヨを楽しみたい気分だ。

 非日常なんてあやめの生活にはなかったものだから。

 この思いがけない冒険を、満喫したい。

 なんだか、浮ついた気分だった。

 ふと空を見上げて、違和感を覚える。


「あの、龍彦さん」

「なんだい?」

「空が……ずっと夕焼けです」


 モノレールが悠々と茜色の空を縫う。

 あやめがカクリヨに迷い込んでから、少なくとも一時間ほどは経っているはずだ。それなのに、最初に見上げたのと同じ夕焼け空が続いている。いくらなんでも、そろそろ夜が訪れてもおかしくない。

 龍彦が「よく気づいたね」と微笑みを深くする。


「カクリヨの時間はね、ずっと夕暮れなんだよ」

「ずっと……?」

「そう。この世界は時が止まっている。基本的には、ずっと夕焼け空なんだ。昼と夜のあわいがずっと続く。夜になることも稀にあるけど、それはカクリヨにとってはちょっとした緊急事態だよ。夕焼け空こそが日常なんだよね……ほら、ウツシヨでは逢魔が刻っていうでしょ」


 たしかに、夕方五時ごろを「逢魔が刻」と呼ぶ。

 この世ならざる、魔と出会う時。


「夕暮れ時にはウツシヨとカクリヨの境目が曖昧になるんだろうね。空は繋がっているんだ」

「なんだかロマンチックですね」

「そりゃどうも……僕はこの空が好きなんだ。曖昧で、美しくて、優しい空だろう」


 空、か。

 あやめは改めて、カクリヨの空を見上げる。こうして空を見上げるのは久しぶりだ。ずっと下を見て過ごしていた気がする。脇役は空なんて見上げてはいけないのだと、そう思いながら。


「さて、この辺りが現場って聞いたけど」


 龍彦が立ち止まったのは、帝都駅にほど近い路地だった。

 狭い路地にひしめき合うように小さな店が並んでいる。頭上に揺れているのと似た赤提灯に書かれている文字を見るに、居酒屋のようだった。

 不思議なことに、カクリヨの文字はウツシヨのものとよく似ていた。ところどころ異なるところはあるが、脳内で補完して読める程度にはわりとちゃんと日本語だ。

 路地には美味しい匂いのする香ばしい煙が白く立ち込めている。脂の焼ける、あの独特の甘い匂い。焼き鳥だろうか。店からは楽しそうな笑い声が聞こえる。


「ここに、妖魔が」


 あやかしだってそれなりに見た目は怖い。妖魔ともなればかなり恐ろしい見た目をしているに違いない。

 こんな狭い場所で遭遇したらと思うと、背筋がぞわっとする。


「ついでにウツシヨに帰る裂け目もあるかも」


 龍彦が言った。

 裂け目というのは、いつも同じ場所にあるわけではないらしい。

 あちこちに綻びのように出現しては、しばらく経つと消えてしまう。カクリヨからウツシヨへの帰り道は、その裂け目を探すのが一番手っ取り早いそうだ。


「君は不思議な子だね」

「はい?」

「全然、帰りたいって言わない」


 龍彦にじっと見つめられて、あやめは思わず俯いた。

 失業したこと、ずっと脇役の人生なこと、実家とも疎遠で親しい人も身近にいない生活なこと……初対面の龍彦にそんな話をしていいのかどうか、わからない。


「あの、えっと」

「おーい、龍彦!」


 あやめが口ごもっていると、急に威勢のいい声が響いた。


「え?」

「龍彦ぉ! 遅いじゃねぇか、待ちくたびれたぜ」

「おっと、この声は」

「こっちだこっち、上だよ!」


 少し掠れた男の声が龍彦を読んでいる。

 「上?」とあやめが空を見上げると、飲み屋の二階から男が手を振っていた。

 おーい、と声をはりあげている。


「こっちこっち! ったくよぉ、待ちくたびれちまったから、先に聞き込み調査してたぜ!」

「本当に聞き込みかい? 飲んだくれてるだけじゃないだろうね、鉄夜くん」

「おいおい。人聞きが悪いじゃねぇか……よっと!」

「きゃっ!」


 鉄夜と呼ばれた男は、お猪口と徳利を片手でまとめて持ったままひょいっと二階から飛び降りてきた。

 すと、と軽い音を立ててあやめと龍彦の間に着地する。しなやかな獣のような身のこなしだ。

 鉄夜は龍彦と同じくらいの年齢に見える。背格好もだいたい同じで、極めて人間に近い見た目をしている。少し変わったところといえば、髪の色だろう。鉄夜の癖の強い黒髪は、前髪の一部が真っ白くなっている。メッシュを入れたバンドマンのような感じだ。

 たっぷりしたデザインの袴のようなズボンにガラシャツ、その上から膝丈の黒羽織をダボっと羽織っている──はっきり言って、ものすごく胡散臭い。なんだか酒臭いし。


「ん? なんだ、この女」


 垂れ目ぎみの目で、鉄夜がじとーっとあやめを見る。頭のてっぺんから爪先まで、観察するような目つきだ。


「と、東條あやめです」

「ふーん……こっちのもんじゃないな。めくらましの符、使ってんのか」

「えっ、わかるんですか」

「匂いが違うからな」


 得意げに言う鉄夜。

 匂いに違いがあるのだろうか。こっそり自分の匂いを嗅いでみたけれど、あやめにはその違いはわからなかった。


「あやめさん、彼は鉄夜くん。うちの頼れる用心棒だよ」

「ま、お前が弱腰だからな。で、そちらさんは?」

「鉄夜くん、こちらはあやめさん。色々あって、同行してもらってる……妖魔騒ぎに乗じて、裂け目を使わせてあげたくてね」

「へぇ、あんたマレビトってことか。こんなとこに迷い込むたぁ、災難だな」


 とっとっとっ、と酒をついで鉄夜はあやめにむかって乾杯の仕草をする。


「ま、よろしく」

「よろしくお願いします……」


 酒を煽る鉄夜。

 それをニコニコと見ている龍彦。

 まったく正反対の二人だ。どういう関係なんだろう……とあやめは二人を見比べた。


「立ち話もなんだから、飲み直そうぜ」


 鉄夜がバシバシと龍彦の肩を叩く。


「うん、それはいいけど……鉄夜くん、この店の支払いは?」

「ぐっ」

「まさか、このままトンズラしようとか思っていないよね?」

「ぐぐっ……」

「食い逃げはダメだよ。うち宛に請求書が何通か来ているから、それは自分で払ってね」

「……ちっ、わかったよ。次の店は経費で落としてくれよな」

「考えておくよ。聞き込みの成果次第だね」


 龍彦が肩をすくめる。

 待ってましたとばかりに鉄夜がニヤッとわらう。


「おっと。だったら経費飲みはいただきだな」

「あはは。さすがは鉄夜くん。もう情報は掴んでくれてるんだね」


 では、この店ではちゃんと聞き込みをしていたようだ。

 見た目によらず真面目なのかもしれない。


「いや?」


 あやめがそう思ったところで、上機嫌そうに鉄夜が肩を揺らす。


「今の店では飲んだくれてただけだ」

「……」


 胡散臭い用心棒だが、どうやら腕はたしかなのは間違いなさそうだ。

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