帝都あやかし探偵社 ―カクリヨの祓魔師ー

蛙田アメコ

第1話 カクリヨ~東京駅の銀の鈴~


 この世の中という舞台で、東條あやめは主役ではない。


 そんなことは、嫌と言うほどにわかっている。

 まずは見た目だ。

 やたらと太い黒髪に特徴のない目鼻立ち。色が白いのは褒められたことがあるけれど、他にはこれといった特徴がないからだろうと自分でも思う。

 地味な脇役。それが自分。それがお似合い。

 まぁ、それにしたって奮発して訪れた都心の美容院でまさかおかっぱ頭にされるとは思わなかったけれど。

「帽子、買おうかな……いや、いや……お金は大事よね、無職だし」

 頭の中で心許ない預金残高や失業保険の足し算引き算を繰り返す。うん、帽子はやめよう。脇役の髪型がおかっぱ頭だって誰も気にしないけれど、失業保険をもらえるまでの生活費は大いに気にしてしかるべきだ。どう考えても、ギリギリすぎるし。簡単な算数の問題。

 算数をはじめとした学校の成績も、悪くはなかった。

 けれど、悪くはないだけ。

 決して主役になれるようなものではなかった。

 実家でもそう。

 あやめの実家は少し変わった家業をしている家系だ。けれど、色々あってあやめが家業を継ぐこともなく、むしろ実家とは疎遠になってしまった。そんな自分の身の上を考えるたびに思い知る。

 私は、脇役だ。

 そんな自分が嫌だし、脇役でもいいと自分を受け入れられない自分のことも嫌だった。

 舞台は主役だけでは回らない。

 けれど、すべての脇役たちがそれに納得しているわけでもない。輝かしい主役に憧れていないわけでもない。

 東條あやめはそう思う。


 今、あやめは東京駅にいる。

 いくつも重なって聞こえる発車オルゴール、寄せては返す波のような雑踏の音。

 東京駅は、ただの駅ではない。

 主役を夢見て東京にやってくる人たちを象徴する場所だ。羽田と成田に空港ができても、それは変わらない。新幹線の乗り場に近づけば近づくほど、主役の表情をした人たちで溢れかえっている。

 東京駅の待ち合わせスポット、銀の鈴のモニュメントの周辺もそうだ。

 スマホやSNSが発達しても、待ち合わせスポットというのはいつまでも元気だ。渋谷のキュートなわんちゃんしかり。

 人待ちをする人たちというのは、どこかそわそわとしていて活気を感じる。

 乗り換えついでに東京駅をぶらつこうと思ったことを、あやめは後悔していた。

「うわぁ、失業した日に来る場所じゃなかったな。場違いよ」

 そう、あやめは失業者だ。失業したてホヤホヤだ。

 今朝、いつも通り出勤したら会社が潰れていた。シャッターに張り紙一枚がぴらぴらしていて、事務所はもぬけの殻だった。夜逃げというやつだ。

 慌てて会社の知り合いに連絡をとった。社長を含む何人かからはブロックされていて、何人かとは連絡がとれた。他の従業員たちはこの夜逃げのことを知っていたらしい。

 あやめだけが、のんべんだらりと日々を過ごしていたというわけだ。急な失業はもとより、自分がほんのり仲間外れにされていたようだという事実がキツかった。

 頭が混乱して、もうだめだと思って、やけくそになって都心の美容院に行った。気分を変えたかったし、もっと言えばこの不運で地味な脇役とは違う誰かになりたい気持ちだった。仕事用のスーツを着ている客は、あやめだけだった。

 「お似合いですよ」という言葉とともにカットが終わり、古風で地味なおかっぱ頭になった鏡の中の自分を見て、急に実感した。

 ああ。やっぱり自分は脇役だ、と。

 無職になってしまった。その事実がじわじわと実感に変わっていった。

 実家に頼らず女ひとりで生きるなら都会へ、と考えて東京に出てきた。

 それから一年半は上手くやった気がするが、結局このザマだ。早々に次の職場を見つけなくてはいけない。

 とぼとぼと歩く。足が重い。

 東京駅にやってきたのは、乗り換え立ち並ぶお土産屋さんやレストランを見て回ったら少しは気分が晴れるかと思ったからだ。結果は余計に惨めになっただけだけれど。

 あやめは逃げるように東京駅を闇雲に歩き回る。外の空気が吸いたい。迷路のような構内を歩いて、出口を探した。

 楽しそうな喧騒。

 活気のあるざわめき。

 すべてが煩わしかった。ここから消えたい。消えてしまいたい。電車に飛び込んだりとか、ビルから飛び降りたりとか、そういうのは痛そうだし怖いし嫌だ。

 どこか、ここではない場所に、消えてしまいたい。

(って。やだな、さすがにネガティブになってるっぽいなぁ……)

 普段はそんなことは考えたりもしないのに。

 どんなに脇役でも地味に生きていく、世界の片隅でひっそりとなんとかやっていく。それがあやめの生き方だ。死にたいなんて、なんだか誰か別の人の考えが頭の中に割り込んできたようで気持ちが悪かった。

 今日は早く帰って眠ったほうがよさそうだ。明日になってから、今後のことを考えよう。そんなことを考えながら、歩いていた。


「……ん?」


 気がつくと、周囲に人がいなくなっていた。

 天井が丸いドーム状になっている、ホールのような場所に立っていた。

「え、あれ?」

 周囲を見回す。

 床には幾何学模様のタイル。ドーム状の天井には鳩、柱には動物のレリーフが並んでいる。柱にはそれぞれ違った動物の彫刻があしらわれているようだ。

 牛、虎、竜に蛇に猪……干支だろうか。そういえば、昔の東京駅にあった装飾を復刻したとかいうニュースを聞いた気がする。

 周囲には、誰もいない。

 昼過ぎの東京駅に、誰もいない。そんなことがありえるのだろうか。

 声や足音すら聞こえないなんて……。

 さらに。

 もう一度見上げた天井に異変があった。

「きゃああ!?」

 干支のモニュメントが、ゆっくりと動いているのだ。

 それぞれの動物に見合った動きで、時計回りに歩いているのだ。

 ぞわ、と背筋が震えた。異常だ、これは異常な現象だ。

 身体の感覚にも、異変が起きる。

 立ちくらみのように、視界がゆらぐ。

 まるでものすごい速さで降っていくエレベーターにでも乗っているような、ぐわんぐわんと重力が揺らぐような感覚に襲われる。

 しばらく、金縛りにでもあったように立ち尽くしていた。

「だ、誰か!」

 やっと体が動くようになって、あやめは叫んだ。走り出す。

 怖い、と思った。

 誰か人はいないのか、悪い夢なら覚めてくれ。

 どこかに消えたいなんて思って、ごめんなさい。

 少し走っていると、雑踏の音が戻ってきた。けれど、歩いているのはまるで影法師のような人影だ。かろうじて和服のようなものを着ていることはわかるけれど、明らかに人間じゃない。

 その人影たちがあやめをじろじろと見ているのを感じる。意味がわからない、恐ろしい。

「嘘、嘘、嘘……なにこれ……」

 走っても走っても、見知った東京駅には辿り着かない。

 ゆらゆらと不気味な影が行き交っている、奇妙な駅舎から出られない。

 もう、だめだ。

 恐怖とパニックが最高潮に達して、その場に座り込んだ。

 ぎゅっと目を閉じる。


 消えたい、消えたい、消えてしまいたい。

 そんな声が頭の中に響く。

──どうして、お前は言われた通りにできない。

──ご先祖さまも代々やってきたことなのに、みんながやっていることなのに。

──役立たず、お前なんかいらない。失敗作め、できそこないめ。

 消えたい。消えたい。助けて、消えたい。


 あやめが過去に聞いてきた声と、消えたいと叫ぶ声とがぐるぐると渦を巻く。

 吐きそうだ。気持ちが悪い。影法師たちも気味悪い。

 あやめは叫んだ。声にならない声で、叫んだ。

 誰か、助けて。


 ──そのとき。

 りん、りん。

 涼しげな鈴の音がした。

「……ねぇ、君」

 柔らかい声がして、そっと肩を叩かれた。

 わずかに顔を上げると、真っ黒い瞳と目があった。

 柔和な笑みを浮かべた青年だ。俳優かと思うくらいに整った顔をしている。

 肩よりわずかに長い黒髪をゆるく束ねている。年は二十代半ばで、淡い生成色のスーツにパナマ帽をかぶっていて、整った顔立ちに金色の丸縁メガネが似合っている。大正とか昭和とか、そういう時代を舞台にしたドラマに出てくるような格好だ。

「君は……」

 ポケットから銀色の鎖が覗いていて、そこには同じ銀色の小さな鈴。

 りん、りん。

 さきほどの音は、この鈴だったようだ。

「大丈夫? 立てるかい」

「はい、えっと……無理です」

 周囲の奇妙な人影は、まだ消えていない。膝が笑ってたてそうもなかった。

 人影のなかで青年だけがリアルに見えるのも気持ちが悪いような気がした。

「ふむ……なるほどね」

 青年はじっと何かを考えると、あやめの体を両腕で抱き上げた。

「えっ! あの、ちょっと」

「静かに。それから、目を伏せているといい。人の少ないところまで行こう」

「人の少ない……」

「おっと、ごめん。そういう意味じゃなくて……とにかく、僕にまかせてくれ」

「歩けます、歩けますからおろしてください!」

「そうかい?」

 さすがに、お姫様抱っこは抵抗があった。

 まだ膝が震えているけれど、どうにか自分で歩けそうだ。鈴の音の青年が、ずっと肩を支えてくれていたからだけれど。そっと手を握られる。大きくて暖かい手だ、とあやめは思った。

「下を向いていて。僕についてきて」

「は、はい」

「いいかい、僕の手を離してはいけないよ」

「……はい」

 手を引かれて駅舎を歩く。

 周囲を見ないように、ずっと地面を睨みつけながら歩いた。

 駅舎を抜けて、町中を進む。

 ずいぶんと歩いたころに、男が足を止めないまま「もういいだろう」と言った。

 その声にあやめが、おそるおそる顔をあげると──

「え、ここどこ?」

 夕焼け空。

 レンガ造りのレトロな建物。

 その間に揺れる、赤い提灯。

 見たこともない街並みが広がっていた。

 あやめは東京駅にいたはずだ。けっこう歩いたとはいっても、せいぜい一駅くらいのはずだ。それなのに、コンクリートの建物の立ち並ぶ東京の街が、どこにもない。

「ああ、やはり君はウツシヨから来たんだね」

 絶句しているあやめに、男が言った。

「ウツシヨ?」

「君たちの世界のこと。あやかしと不思議なき世だ」

 柔らかく、唄うような口調にあやめは聞き入ってしまう。

 あやかし。不思議。

 あやめは息を呑んだ。もしかして、自分は死んでしまったのかもしれない。ここは、あの世なのではないか。そうでなければ、こんなことは説明がつかない。

「嘘、でしょ……私、死んで……?」

「ははは。大丈夫、死んでないよ。ここは君たちの世界とは違う理で動く、カクリヨだ」

「カクリヨ……」

「ウツシヨとカクリヨ、硬貨の表裏のように存在する別世界さ」

 足早に歩いていた男が、ぴたりと止まった。

「さぁ、ついたよ。とりあえず入って。話はそれからだ」

 そこは木造の小さな二階建てで、壁は男のスーツとおなじ生成色に塗られている。

 入り口に立て掛けられた大きな看板には筆字でこう書いてあった。

「楢崎……探偵事務所……?」

「申し遅れてしまったね。僕は楢崎龍彦。一応、ここの所長だ」

 龍彦は言った。

 頬に浮かんでいる柔和な笑みが、奇妙な影法師が歩き回っている異界に迷い込んだあやめを安心させてくれる。この人はいつも微笑んでいるタイプの人なんだろうなと思った。

 初めて会ったはずなのに懐かしい面影を感じさせる人だ。

「えっと、東條あやめです」

「よろしく、あやめさん」

「あ、はい、よろしくお願いします。楢崎……さん?」

「できれば、龍彦と呼んでもらえると嬉しい」

「龍彦、さん」

 初対面の男性を名前で呼ぶのは初めての経験だった。

 龍彦は満足そうに頷いて、あやめを事務所の中に迎え入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る