屋根に魚が落ちていた

桐崎りん

屋根に魚が落ちていた

ダイニングテーブル越しに向かいあった夫は鮭をほぐして白米にダイブさせた。


黒いカーブのかかった髪の毛。すべすべで色白のお肌。クリクリの目はお茶碗に向いている。私の愛する夫だ。


夕ご飯前にお風呂に入ってドライヤーをしなかった夫の髪はまだビショビショで、それを見て私はふと思い出した。


「そうだ、ねぇ、雨漏りの件どうする?」


数日前の大雨で雨漏れした我が家。


夫の両親から譲り受けた築百年ほどの我が家。


平屋で屋根が瓦で覆われている我が家。


「まぁいいかな、と思って5年放置していたけどやっぱり気になるか」


夫はお箸を止めて私の方を見る。


「前はカーペットなかったから良かったけど、今はカーペットが濡れるのがちょっと嫌だ」


「じゃあ、業者に頼もうか」


「うん」


私はみそ汁を啜った。


「業者に頼む前に屋根に一旦登ってみた方がいいかも」


夫はそう言った。


「なんで?」


「だって、その方が屋根の状況を業者の人に詳しく伝えられるじゃん」


「たしかに」


私はもう一口みそ汁を啜って


「じゃあ、私が登るね」


「うん。登るのすきだもんね」


「うん」


私は返事をしながら鮭をほぐす。





翌朝、夫がハシゴを下で支えてくれる中私はせっせとハシゴを登った。


瓦が朝日でテカテカ光っていた。


「目立った傷はないと思う」


私は夫に伝える。


「うん」


「うん?」


「どうした?」


「なんか、屋根にいる…かも」


屋根の向こう側に何か黒いものがあるのが見えるが、何かは分からない。


「いる?」


「ある…かもしれないけど」


「ある?」


私は屋根の上を気をつけながら歩いた。


「あ、魚だ」


そこには立派な魚がいた。30cmを超えるだろう。


「なんて?聞こえないよ」


夫の大声。


「魚だったよ」


私も大声で答えた。


私は魚の尾の付け根を掴んで持ち上げてハシゴの方に戻る。


「見て」


夫に見せつけた。


「本当に魚だったんだ。聞き間違いかと思った」


「本当に魚がいた」


私は地面に向かって魚を落とした。


「これ何魚だろうね」


地面に横たわる魚を見る。


「黒いね」


私はハシゴを降り切った。


この魚はとにかく黒い。黒いのだ。


見れば見るほど黒くて吸い込まれそうだ。


「なんか気持ち悪いね」


夫は言う。


「うん。食べれそうもないね」


私は返した。





その瞬間、夫が消えた。





「え?」


『お疲れ様でした』


その文字が目の前に表示されている。


コツコツという音が近づいてきてシューという音とともに目の前が明るくなった。


「海野様、お疲れ様でした」


ストレート髪がサラッサラでツヤツヤの女性がそう言った後、テキパキと何か作業をし始めた。


私は何が起こっているのか分からずとりあえず体を起こした。


ずっとここに寝転がっていたであろう身体はバキバキで全身が悲鳴を上げていた。


私は棺のような長方形の箱の中にいたようだった。


周りを見渡すと同じような箱が規則正しく並んでいる。


「あの、私、今夫と魚見つけたんですが」


「はい」


「え、どういう…」


「こちらが現実でございます」


「ゲンジツ…」


「海野様は旦那様を10年前…いや今は20年になりますかね。とにかく旦那様を亡くしています。旦那様ともう一度日常を送りたい、という希望であったと聞いております」


「魚が、魚を見たんですが。黒いやつです」


「はい。黒い魚を見つけたら現実に戻ってくるシステムでございます」


「はぁ」


理解が追いつかない。


「こちらの『osoカンパニー』は出資者が魚類加工会社なのです」


「はぁ」


「思い出してみてください。毎晩魚かちくわかかまぼこであったでしょう?それ宣伝なんですよ」


「はぁ」


女性は作業を終えたのかすくっと立ち上がった。


「行きましょうか」


私はそれから箱から出て、箱に入る前に書いたであろう契約書のサインの下にまたサインを書いて、今日中に追加で10万円支払ってください、という言葉に動揺しながらその施設を後にした。


何が起きているのか、いや、起きたのか、説明は受けたが理解できなかった。


ずばり言うと私はずっと夢を見ていたらしかった。


『osoカンパニー』はお金と引き換えに現実に近い夢を見続けることができる機械を希望者に提供しているそうだ。


明らかに私は老いた。


さっきまでは25歳だった私だが、今は50歳である。


体が重い。


年齢の設定が自由なのだろうか。


さっきまで横にいた夫も、もういない。


亡き人になっている。


『海野様は黒い魚を見つけるまでかなり長かったでございます。箱に入る前の記憶がない、というのは理由は分かりませんが、長い間入り過ぎたのかもしれませんね。大体皆さん2日3日で帰ってこられるのですが、海野様は約10年間入っておられました。最初の担当者を覚えておられないかもしれませんが、担当者は3回も変わっております』


施設で私の担当者であっただろう女性の言葉を思い出す。


帰る家も分からない。


担当者に聞くと『これが以前お住まいだった家でございますが、10年も家を空けていることになりますので今はどうなっているか分かりません』そう言われて一枚の紙を渡された。


書かれた住所に行ったが建物はなく、鬱蒼とした森が出来上がっていた。


行き場を失った私はただ街を歩くしかなかった。


交番の前を通りかかった時、掲示板に私の名前があった。


なるほど。


分からない。


私はとりあえず交番の扉を押した。


「行方不明者の海野いりこです」


顔を上げた瞬間見えたのは、





「お疲れ様です、海野様」

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