5DAYS

惣山沙樹

DAY1

 目を覚ました僕は、真っ先に自分の右手首に何かがはめられていることを確認した。左手で触ってみる。固い。金属の輪。動かすと、シャランと輪に繋がった鎖が鳴った。これは……手錠だ。

 そして、その鎖の先には、若い男の左手首。


「んっ。おはようさん」


 男はわしゃわしゃと僕の頭を撫でてきた。まるで幼稚園児にするみたいに。


「……誰? どこ?」


 ここはワンルームのようだ。僕と男は狭いシングルベッドの上にいた。男は言った。


「どこ、かは言えへんなぁ。関西やで、とだけしか。まあ、俺呼ぶ時名前わからんかったら困るやろ。ケント。何日かかるかわからんけどよろしくな」


 ケントと名乗った男は、襟足の長い金髪をしていて、耳には無数のピアスがあった。二十代くらいだろうか。人懐っこそうなたれ目をしていた。


「っていうか、俺も君の名前知らへんねん。教えて?」

「……五十嵐疾風いがらしはやてです」

「ハヤテくんな。りょーかい」


 ふつ、ふつ、と記憶が戻ってきた。昨日は高校の授業が終わって直接塾に行って。その帰り道。背後から襲われたのだ。


「えっ……なんで? なんで、僕」

「なんでかは俺も知らへん。俺、ただのバイトやから。ハヤテくんのことちゃーんと生かしといたら、一日十万円貰えるねん。やから、乱暴なことはせぇへんよ」


 理解が追いつかない。どういう状況?

 しかし、それを飲み込む前に襲ってきたのは尿意だった。


「あの……ケントさん。トイレ、行きたいんですけど」

「ほな行こかぁ」


 手錠は外してくれないらしい。そのままトイレに連れて行かれた。同じ男性とはいえ、排泄しているのを見られることに恥ずかしさでいっぱいになったが、いちいちそんなことは言っていられないだろう。それからケントさんも用を足すのを仕方なく見守った。


「ハヤテくん、お腹すいとう? もう夕方やで。俺もすいたし、食べようや」

「……はい」


 ケントさんは冷蔵庫からおにぎりを四つ取り出し、ローテーブルの上に置いた。カーペットも何も敷かれていないフローリングに座り、僕はおにぎりを見つめた。


「ハヤテくんの好み知らんし適当に買ってきた。二個ずつな。ハヤテくんが選び」

「じゃあ……鮭と昆布で」


 またしても手錠を外してくれる様子はない。どうしてもケントさんと肩が触れ合う形でおにぎりを食べた。このおにぎりはコンビニのものだろう。きっちり包装されていたし、余計なものは入っていないようだ。それに、ケントさんは無駄に危害は加えないだろうとわかってきた。

 僕は……誘拐されたのだから。


「あの……ケントさん。バイトだって言ってましたよね。誰に雇われたんですか?」

「ようわからん。ハヤテくんがなんでこうなったんかも教えてくれへんかった。自分では心当たりある?」

「あります。多分……祖父絡みでしょうね」


 ケントさんはぱちぱちと瞬きをした。


「ハヤテくんのおじーちゃん、何かしたんか?」

「その、今の総理大臣ですよ……五十嵐昭一いがらししょういち

「あ、そうなん? えっ、マジで? ごめん、俺アホやから名前聞いても全然わからへんわぁ……」


 そんなバカな。五十嵐昭一の名前を知らないなんて。ケントさんの年齢はよくわからないが、今やテレビで彼の顔を見ない日はないだろうに。

 そこまで考えて、この部屋にはテレビがないことに気付いた。家具も最低限、といった感じで、とても殺風景だ。

 クーラーはよく効いているのだろう。室温は丁度よかった。梅雨明けしたばかりで外はうだるような暑さだろう。

 おにぎりを食べ終えると、ケントさんが立ち上がったので、僕もそうせざるを得なかった。


「すまんなぁ、ハヤテくん。受動喫煙さすで」

「えっ、あっ、はい……」


 狭いベランダでケントさんはタバコを吸った。煙が目にしみる。外を眺めてみると、ここはそこそこ高いところにある部屋ではないかと感じた。山並みとまばらな家屋が見え、さほど都会ではないが、田舎でもないようだ。

 部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。僕は尋ねた。


「どうしたら開放してもらえますか?」

「知らん。俺に指示出してくる奴がおるんやけど……まあそれも多分バイトでな。そいつからもうええでって連絡くるまでや」

「僕は人質っていうことですよね。ニュースになってるんじゃ……」

「あっ、連絡きたわ」


 ケントさんはスマホを操作した後、ポリポリと頬をかいた。


「あのぅ、何て……」

「ハヤテくんの写真送ってほしいらしいわ。生きてる証明。はい、ほな笑って」


 ケントさんはスマホを向けてきた。こんな時に笑顔だなんて。しかし、これはきっと家族に送られる。僕は精一杯口角を上げた。


「うんうん、可愛いなぁ。ハヤテくん、モテるやろ」

「いえ……そんなことないですよ。総理の孫でしょ。高校じゃこわがられてますよ」

「ふぅん。そうなんや。ようわからんけど」


 その後、ケントさんはごろりと寝転がり、すぐに眠ってしまった。僕はケントさんのスマホを取り上げてみたのだが、指紋認証ではなくパターンでのロックがかかっているらしく、解除は難しそうだった。


 ――考えろ。この状況で、逃げ出す方法を。


 手錠は繋がれたまま。外に連絡はできない。ケントという男はただの末端。情報も引き出せない。 


 ――とりあえずは、ケントさんに従順に。生きてさえいれば必ず突破口はある。


 それが、一日目だった。


 

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