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その後八木村は席を外し、恭弥はユディトと部屋で二人きりとなった。
改めて見ても、彼女は美しい。不意に目が合うと、優しく微笑みを返してくるその姿はまさに絵画に出てくるような乙女であった。
「クソ、機械相手に何考えてんだ!」
恭弥は雑念を払うべく首を振る。
アンドロイドがどれだけ人間に似ようと、機械は機械だ。現行のEvoはコミュニケーションを取る上で複雑な感情を表現できるようにはなっているが、それもまたプログラムされた範疇でしかない。一般常識である。
つまり、ユディトのこの柔らかな笑顔も単なる仮面でしかないのだ。
分かってはいるのだが、直視しているとどうしても目が奪われそうになってしまう。
恭弥の悶々としている様子もユディトは気にしていないようだった。
「それではオーナー登録に移りましょう。恭弥様は既に他のEvoを保有していますか?」
「いいや」
「承知しました。それでは登録の流れを一から順を追って説明しますので、まずは恭弥様の携帯端末の番号を教えてください」
恭弥が自分の番号を伝えると、程なくして彼の携帯に一件のメールが届いた。
差出人はユディトとなっており、添付されていたファイルにはEvoに関する利用規約が書かれていた。
「約隷に同意して頂けますか?」
「ああ」
「ありがとうございます」
次に本名、住所、生年月日など必要な情報を口頭で告げるようユディトに言われ、恭弥はその通りに答えた。
「頂いた情報をネクサスで検索します。少々お待ちください」
「ネクサスだと!? そんなことまでできんのかよ」
恭弥は驚愕する。
ネクサスとは社会管理補助を目的とするハイパーコンピューターの名だ。内部には国民の戸籍から稼働しているEvoの台数、一日の車両の交通量に至るまで、日本国内におけるあらゆる情報が登録されているらしい。
らしい、と不確定的なのはネクサスの内部記録にアクセスできる者は国内でもごく少数の人間に限られている上、仮にアクセスできたとしてもその膨大なデータの全てを閲覧することは不可能に近いからだ。
「つまり、お前はネクサスの中身を見ることができるのか?」
「はい。私達S2型は全員がその権限を持っています。ですので、このままでは彼女らが逃亡した先でネクサスを介して様々なデータが漏洩する可能性があります」
想像以上に、事態は一刻を争うようだ。恭弥は思わず天を仰ぐ。
「恭弥様の情報も無事確認が取れました。入力された内容に誤りはありませんでしたので、次のプロセスに移りましょう」
そう言うと、ユディトはおもむろに自身の服の襟元に手をかけ、ボタンを外し始めた。
「な、何してんだお前!」
思いもよらぬ行動に恭弥は驚き、赤面した。
しかし、ユディトはきょとんとしている。
「どうかしましたか? 生体認証の登録なのですが……」
「え? あ、ああ……。そうか」
そういえば、Evoと契約する際には機体にオーナーの生体情報を記録するのが一般的であることを思い出した。
素肌の露出したユディトの胸元。鎖骨のすぐ下に指先ほどの小さな青いコアのようなものが埋め込まれている。
「それでは、どうぞ。人差し指で私のコアに触れてください」
「こうか?」
指を突き出し、コアの上に乗せる。
相手はEvoだ。何もやましいことはない。だというのに、どうしてこうも背徳感が湧くのだろう。
ユディトは神妙な顔で目を閉じている。人類よりも遥かに発達したその頭脳で、恭弥の脈拍、血流を覚えているのだろう。
「登録が完了しました。指を離して頂いて結構です」
涼やかな声により、停滞した空間が動き出す。
秒数にして十秒にも満たなかった。しかし、その時間は恭弥にとって恐ろしく長いものに感じられた。
伸ばしたバネがもとに戻るように、恭弥の指がコアから離れる。
「契約は以上となります。お疲れさまでした。これより私は恭弥様を所有者として行動致します。どうぞよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ」
ユディトが差し出してきた右手を取り、握手を交わす。そこには機械とは思えない程の温もりがあった。
「おい、いつまでそこで突っ立ってるつもりだ」
恭弥はコーヒーカップを持ったまま固まっている茨木を見かねて言った。
かといって彼は完全にフリーズしている訳ではなく、瞳だけがユディトの一挙手一投足を追って機敏に動いている。
「気持ちわりーよ」
「いて!」
頭頂部にチョップをかましてやるとようやく茨木の凍結は解除された。
「だっておかしいでしょ! 警視総監に呼ばれていったらEvo貰って帰ってくるなんて! しかもこんな可愛い子!」
まあ、確かに急な話ではあった。
恭弥の勤める機械犯罪科の部署に戻った時、室内はだいぶ騒然とした。問題児がいつものように折檻されに行ったと思いきや、最新型のEvoと共に大きな仕事を持ち帰ってきたのだから。
そして紛失したS2型は盗難ではなく自力で逃亡したのだという旨を伝えると、部署の人々は皆驚いていた。
まあ、茨木はそんな話ろくに聞いていなさそうだったが。
彼はユディトの体をベタベタと触りながら言う。
「いいなあ。これって総監からのご褒美でしょ? 俺も手柄立てたらユディトちゃんみたいな可愛いEvo貰えるのかなあ」
「ああそうかもな。だからお前はさっさと自分の仕事をしやがれ」
しっしと茨木を追い払った直後、ふと疑問が浮かび恭弥はユディトに問う。
「そういや、お前はなんで仲間が自分の意思で逃げたって分かる? 事件の日の記憶は消されてんだろ?」
「その理由についてはまだ説明していませんでしたね。それは……端的に言うならば、そうなるように私達は設計されたからです」
「は? どういうことだよ?」
「S2型は単なる現行の型の後継として開発されたのではありません。五機それぞれが異なる思想をインプットされ、その思想に基づき社会を変革する機能を持って造られました」
さらっと言っているが、とんでもないことである。恭弥は絶句していた。
「勿論、百田博士は実際に社会を変えようとはしていませんでした。彼が試みていたのはあくまで実験です。現実の社会を模した箱庭を作り、そこでS2型による社会運営をシミュレートしていました」
「だが、百田博士は殺され同時にお前以外の四機は外へ逃げ出した……。まさか、犯人はそいつらを利用して社会を変えようって気か!」
恭弥ははっとしてユディトの顔を見ると、彼女も静かに頷いた。
「ええ。ただ、利用するという言い方は正確ではないかもしれません。彼女達は皆独自の思考で動く筈ですので。方向性の違いから互いに衝突することもありえるでしょう」
「つまりEvoに社会を変えさせることが目的だが、どんな風に変わるかには興味が無いってことか……?」
「すみません。現段階ではそこまで判断しかねます」
「いや、謝ることじゃねえよ」
とは言ったものの、恭弥はそのまま黙り込む。
推理が進んだのに、逆に犯人の動機が不明瞭になってしまった。ただ改革を望んでいるだけなら、自分の思想に沿った個体だけを解放すればいい。それなのに何故犯人は全員を逃がすなどという不確定的な手段を取った?
考えれば考える程に迷走する思考。出口の見えない迷路を右往左往しているようだ。
警察官という職に就いていながら、恭弥は推論という行程の中で味わうこの感覚が非常に苦手だった。
「あーやめだやめ! ユディト、とりあえず行方不明になってるお前の仲間探しが先だ。さっさと見つけ出してそいつらから聞いた方が早いだろ」
「そうですね。なにしろ今は手がかりが少なすぎますので」
話はまとまった。
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