道程

ロッドユール

第1話 生い立ち

 ――黄色――

 その色が、なぜか、私はいつも気になっていた――。


 私が覚えている生まれて初めての記憶、それは、ガラスの割れる音だった――。そして、母親の怒鳴る声。そして、男の人の――、多分・・、父親だった――人の怒鳴る声。

 生きることは辛いことが当たり前で、それ以外の人生があるなんて想像もしていなかった。

 訳もなく殴られて、それは私が悪いのだと、ずっとそう思っていた。常に何かを間違えていて、最低の人間――。それが私だった。

 小学校に入ってすぐ、私は、他の子と違うのだと気がついた。みんなきれいな服を着ている中で、私だけが、汚れたよれよれの服を着ていた。しかも、サイズも合っていなくて、だぶだぶだったり、ピチピチだったり、私の姿は見るからにちぐはぐだった。

「臭い臭い」

 男の子たちが大げさに顔をしかめ鼻をつまみながら私に言う。

「くせぇくせぇ、なんだこいつ」

 お風呂に入っていないのも私だけだった。

「お風呂ぐらい入りなさい」

 身体検査の時、爪の汚れた私を見て、保険の先生が言った。その言葉に他の同級生たちがみんな笑った。

 もちろん、学校では友だちもできなかったし、当たり前みたいにいじめられた。私には何か汚い菌が湧いていて汚いらしく、みんな私に触ると、益子き~んと言って逃げ回った。

 小学校四年生の担任、吉田先生は、いつも一人の私に寄り添ってやさしくしてくれた。いじめっ子たちからもかばってくれた。家にも何度も来て母と何か話をしていた。生まれて初めて経験する人のやさしさだった。

 五年生の担任の藤沢先生は、生徒以上に率先して私を臭い臭いと言って、授業中に笑いを取る人だった。私という存在はクラス中で公然と笑ってもいい存在になった。

 六年生も担任は藤沢先生だった。


 黄色――

 時々、チラチラと頭の中でその色が見える。


 中学生になると、男を追いかけ、男に振り回されがちな母は、ついに家に帰って来なくなった。私は毎日カップラーメンを食べた。

 暗く汚れた家の中で、私はただ――生きていた。死なないことだけが最低限で、それ以外はなかった。

 でも、私は決して泣かなかった。別に我慢していたわけではなかった。不思議と何も感じなかった。状況と心が別々の世界にいるみたいに、何があっても、私は何も感じなかった。

 そんな日々が続いたある夏の日、衰弱し、やせ衰えた私を近所のおばさんがいぶかしがり、警察に通報してくれた。夏休みは給食がないからだ。私はそこで、初めて警察と児童相談所に保護された。

 その時の私の目は、完全に光を失っていたという。心が死ぬってこういうことなんだと、私を救出した児相の人は、その時の私の目を見て思ったという。

 私はこの時、自分がかわいそうな人間なのだと初めて知った。

 施設に入った私は、生活も安定し、学校も転校してすべてがリセットされ、普通の学校生活が訪れた。学校で普通に友だちができたことに私は驚いた。そんな人生が私にあるなんて思ってもいなかった。普通の人の普通の人生。そんなことはシンデレラみたいな遠い世界のおとぎ話の話だった。

 施設でもいじめはあったし、虐待もあった。転校した先の学校でもいじめはあった。でも、全盛期のそれに比べれば、そんなの全然大したことなかった。それに、そんなことは当たり前だと思っていたから、気にもならなかった。そして、私は普通の高校へと進学する。

 頭がよくもなく悪くもなく、特別な才能も容姿もない、自分には特別何もないと知った青春時代。ただひたすら湧き出す希望を諦めることだけが私の救いだった。

「つき合わないか」

 部活の帰り山川さんが言った。部活の先輩だった。こんな私を好きになる男の人がいることに私は驚いた。ソフトテニス部。ただクラスで仲よくなった子に進められるがままに入った部活だった。特にやりたかったわけでもなかったし、思い入れがあったわけでもなかった。

 こんな私でいいのか。私はどこか申し訳ない気持ちで、先輩の気持ちを受け入れた。

 人を好きになってもいいのかもしれない。そう思い始めた頃だった。

「好き」

 思いのままを彼に伝えた。

「そういうのはなぁ」

 彼は眉をしかめた。

「・・・」

 迷惑そうな顔に私は戸惑った。そういうのはダメなんだ――私は悟った。

「お前はバカだけど胸がデカいからな」

 ある日、彼が言った。彼にとって、私はただ童貞を捨てるためだけの道具だったと知った。

「俺、本当は天音が好きだったんだよな」

 それは私の友だちの名前だった。

 それでも、性欲を晴らすためだけの存在である立場を、私は甘んじてではあるが受け入れた。私には、そんな存在理由しかなかったからだ。

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