元最強吸血姫による異世界見聞録

@setun4

第1話:遠き理想郷の夢

 意識が混濁している。ぐちゃぐちゃになって何が何だか分からない、私が私じゃ無くなると共に、私は私であると言う確信が強まる。不安はゆっくりと消えて行くが、疑問はそのままだ。


 ――一体、私は誰だ?無意識に手足を見るが、そこにあるのは空白だけ。神か、はたまた演劇か……あたかも固定されたカメラから、世界をのぞいているかのように身体の自由が利かない。……黒く滲んだ世界を、ぼんやりと空中から見下ろしていると、世界を満たす黒い靄から一塊、分離して、次第に確かな人影を形作る。


 人影に目を凝らす。徐々に色付いていった人影は、新雪のような真白の長髪ロング、白磁のように美しい肌、紅く妖しく輝く瞳。――人間離れした美しさを持つ少女だ。そんな他人事のような感想を持つと同時にアレは私自身だ、と言う確信が何処からか湧いてくる。


 吸血鬼……そう、思い出した。あの子の名前はイリア。そして私の名前も、イリア。



 照明が切られたかのように視界が暗転する。……そして暫く。徐々に世界が明るくなる。


 私が見つめる中、少女イリアはコツコツとゆっくり歩みを進める。舞台は黒く澱んだ混沌の世界からいつの間にか、平和な町中に変化していた。円形の、小規模で城壁もない小さな町だけど、確かにそこには平和があった。目を見張るほどの精緻な装飾が施された議会は町の象徴。道端では、ドワーフの少女と、人間の少年が仲良く駆け回って遊んでいる。――魔族も人間も手を繋いで笑い合える……そんな理想郷が、確かにそこには存在している。


 町をゆく吸血姫イリアはいつのまにか、車椅子に乗っていた。先程とは一変、生気のない表情だ。しんどそうにしているイリアが乗る車椅子を押す人影がひとつ。ぴょこんと狼のように頭上に突き出た二つの耳、美しいブロンズ色の癖っ毛、神々しさすら感じる美しい神狼の獣人少女。シックな黒を基調としたメイド服を身に纏う彼女とイリアが、町の人に何事か話しかけられて、談笑している。声は全く聞こえないが――思い出した。……イリアと彼女ニーア、そして彼女らの友人達は確かに町の人に慕われていた。理想郷の存在が話題になり、安寧を求める人々が次々に移住してきて、町の規模は段々と大きくなっていった。……魔族と人間が共に暮らせる町を作ろうとした吸血鬼の少女の夢は叶っていたんだ。


 平和な風が、大きくなった町を吹き抜ける。何処からともなく鐘の音が鳴り響き、視界が暗転する。


 なぜか、嫌だ。平和な光景なのに、これ以上、この景色を見ていたくない。すごく辛い、悲しい。そんな気持ちで胸が満たされる。


 そんな私の気分とは関係なく、否応なしに世界に光が戻っていき、惨たらしい光景が視界に広がる。鼻につく血の匂い、耳を劈く悲鳴、誰かの怒号、飛び交う魔術によって建物がガラガラ崩れる音……そして、議会に集められて燃やされている無数の魔族の死体。……ああ、。私達が作り上げた理想郷はたった一日の内に修復不可能なほど壊れてしまったのだ。


 すり鉢状の議会の真ん中、1番底に目を向ける。無理矢理に立たされた吸血鬼の少女が俯いている。頬を雫が伝って地にこぼれる。その表情は強い絶望と困惑と恐怖と、恐怖と、恐怖と……。


「裏切り者めッ!いやッ、最初からッ!俺たちを騙すつもりだったんだろうッ!」

「やはり所詮は魔族かッ……、本当に最低だな」

「早く死ね、悪魔ッ!」


 少女に向かって、民衆達が狂った様に罵詈雑言を浴びせかける。その中には、先程イリアとニーアと歓談していた者の姿もあった。少女は怯えた様に身を縮める。数瞬前の平和な町の様子からは想像もつかない地獄がそこにはあった。――心臓がキュッと縮む。思い出した……この現実ユメの結末を。



 ――怒号の中、視界が暗くなる。暗闇の中、やけに自分の心臓の鼓動の音が大きく聞こえる。


 ……そして光が戻ると、少女の胸のあたりから棒の様なモノが生えていた。いや、棒ではない。それは銀製の槍だった。銀の槍が、大の字に蹴倒された少女の身体と床を、まるで昆虫の標本かの様に残酷に繋ぎ止めていた。それをおこなった当人である青年が槍を引き抜くと、一拍遅れて、血がどっと噴き出す。今の自分が刺されている訳でもないのに胸に鋭い痛みが走るような気がして、声にならない悲鳴をあげる。


 少女は痙攣すると、夥しい量の血を吐き出す。彼女の美しい顔が血の色に染まる。青年が蔑んでいる様な冷酷な表情で、もう一度槍を突き刺そうとした瞬間――世界が崩れて、元の黒く滲んだ景色に戻る。



 心臓がうるさいくらいに鼓動している。手と身体が、寒くも無いのにガタガタ震える。――ああ、これは、私の選択が生んだ結末。理想郷に手を伸ばした末の、誰も救われない、残酷なまでに明らかな結末バッドエンド。……私は知っている。ここで少女イリアは死に至らない。まるで、物語か何かの様にニーアが助けに来るのだ。そして、彼女は私を連れて、見事に逃げおおせる。


 ……そして、彼女は自らの魔術回路と引き換えに、私を救うことを選ぶ。彼女は、私の頬を優しく撫でてこう言った。


「――いつか……いつかまた、お会いしましょう、イリア様。お待ちしております、いつまでも――」


 まるで現実かと聞き違えるほどはっきりと、耳元にそっと囁く様なニーアの声を幻聴して、私はハッと思い出す。……そうだった、私は早く目覚めないと。目覚めて、ニーアに逢いに行かないとならないんだ。それが今私に出来るせめてもの償い、なのだから。


 そう気づくと同時に意識が薄れていく。世界を満たす黒い靄が私までも包んで、私が溶けていくのを感じる。恐らく、こうして“夢”を見ていると言うことは、まだ私は生きているのだろう。ニーアの献身が無駄になっていないことに安堵する――同時に、眠りに落ちる時のように意識が更に朧げになっていく。薄れゆく意識の中、私は強く決心する。


 ――今一度、目覚めた時は――会いに――行く、から――待って――――てね――ニ――ア……


 そして世界は再び暗転した。

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