弓ヶ浜海岸で遊ぶスケボーの少女
青 劉一郎 (あい ころいちろう)
第1話
「あいつ・・・何を考えているんだ?」
警視庁警視正の小原正治は島根県の安来市に向かっていた。飛行機ならそれ程時間が掛らないが、小原は濃い茶色の背広の内ポケットから一枚の紙片を取り出した。そこには、
小原警視正え
今度は縄文土器をいただくことになったよ。ちょっと遠いが島根県の安来市に来てもらいたい。詳しい場所は追って知らせるよ。とにかく島根県に向かってくれ。久し振りに君に会いたい。
九鬼龍作
非常に簡潔な文章であり、小原警視正に対する挑戦状だった。
小原警視正には少し考える時間が必要だった。
いつものことだった。そして、いつものように九鬼の訳の分からない世界に入って行くことになるのだ。それがまた言い知れぬ快感でもあった。
山手線からJR線を乗り継ぎ、横浜から寝台特急サンライズ出雲に乗った。十時間五十分・・・長いが小原にとって有意義で最も楽しい時間だった。鳥取県の米子駅に着くと、小原と同じくらいの身長の男が突然話しかけて来た。歳は小原と同じくらいか。
「警視庁の小原警視正殿ですね」
男は背筋を伸ばし、きびきびした態度で頭を下げた。
「私は島根県警の三俣安五郎といい、階級は警部です」
といった。
「それで・・・」
と、小原がいうと、
「この先は、私がご案内します」
と、いい、小原は待っている車に乗り込んだ。そこは通常駐車違反になるエリアだった。
「おい!」
小原警視正は怒鳴りかけたが、それ以上一言も言わなかった。小原は後ろ姿の三俣警部を睨み付けた。そういうクセなのではなく、どことなく気になったのである。しかし、それ以上の詮索はする気になれなかったのか、これまで考えて来たことを続けた。
《縄文土器がどういうものか知らない。しかし、なぜ・・・あいつはそんなものに興味を抱いたのだ》
「遠いのか?」
「いえ、二三十分ほどで着きます」
小原は返事をしなかった。
小原警視正は眼をつぶった。少しも眠くはなかった。長い旅だったので、目を開けているのが厄介になっただけのことである。
「ここです」
島根県は砂鉄の町である。日立の大きな工場も今通り過ぎて来た。だが、そんなことを説明されても、小原にはさっぱり理解出来なかった。里崎砂鉄記念館、という質素な看板が掲げてあった。一個人が造り上げたもののようだった。自分が生きて来た生涯の記念のために、記念館を創設したものらしかった。そ記念館の裏の方に・・・どうだろう築百年以上たっていると思われる古い家が建っていた。パトカーが二代止まっていて、警備の警察官が三名立っていた。
車が降りると、潮の香りが鼻を突いて来た。
「海が近いのか?」
「はい、海というより、中海という入江がすぐそこにあります」
三俣警部が指を差し示し説明したのだが、そこからは中海は見ることが出来なかった。それに、小原は警部の話を聞いていなかった。そして、
「古いな」
小原は呟いた。古い屋敷がきになるようだった。
「ええ、頑なな人で、家族が建て替えを望んでも、なかなか承諾しないようなんです」
(今どき、そんな男がいるのか・・・)
小原は唇を緩め、その男に早く会って見たいと思った。
「・・・!」
この時、一人の老人が小原の前を横切って行った。歳は六十を越えたくらいで、背筋を伸ばしている。まだ老け込む年齢ではない。それはどうやら本人も認めているように見えた。
「誰だ?」
「さあ、近くの者なのかもしれません」
「そうか」
その老人は砂鉄記念館の中に入って行った。どうやら誰でも無料で入館できるようだった。この記念館の館主は以前砂鉄の業務に携わっていたのかも知れない。老人は警官の前を平然とすり抜けて、記念館の中に入って行った。
「おい、どこかの警備会社が入っているのか?」
「いいえ、聞いていません・・・」
三俣警部は答えた。それにしても、簡素な警備であった。九鬼龍作の狙っているものが、縄文土器だからなのかもしれない。これが金めのものなら、こんな警備ではすむまい。小原警視正はそう思った。
「まあ・・・いいか。おい、中を見ておく」
といい、三俣警部に記念館の中を案内するように促した。
中に入ると、砂鉄の匂いが鼻を突いた。砂鉄が出来上がって行く工程やこの辺りの地形の模型が簡潔に創って在り、専門的ではないが、見学に来たものが納得出来るような仕組みに出来上がっていた。
「これは・・・?」
小原はある展示物の所に来ると、足を止めた。
「ああ、それは、松江藩主の松平氏から授かった短刀のようです。里崎家に伝わる大事なもののようです」
記念館の照明は余り明るくなかったが、それでも刀の波紋が不気味に光って見えた。小原はしばらく見ていたが、引き込まれて行きそうな異様さを感じないではいられなかった。妖刀ではないのだろう。松江藩でそのような噂は聞いていない。
「こんなものを、こんな無防備な状態のままでいいのか・・・。あいつが狙うのがこの刃なら分かるが、縄文土器とは・・・」
(あいつ、何を考えているんだ・・・)
小原は首をひねるばかりであった。
三俣警部は答えなかったが、口元に笑みを浮かべた。
里崎長右衛門はすぐに孫の登美子の後を追おうとした。孫が何処に行って、何をしているのか、長右衛門はいつも気になっていたのだが、いつも後を追おうとはしなかった二歩ばかり足を進めたが、すぐ思い留まった。登美子は手にスケボーを持っていた。
「どうせ、あのスケボーでこの辺りを走り回るのだろう。あの・・・スケボーという乗り物を持って・・・あんなものの何が面白いのか・・・」
長右衛門は今の若い者の考えは何から何まで理解出来なかったし、また理解しようともしなかった。ただ彼は孫娘の登美子を可愛がり、何よりも愛していた。だが・・・彼らを理解する気にはなれなかった。
(もう、どのくらい生きられるのか分からない。その時が来る前に、やらねばならないことがある)
長右衛門は膨大な敷地の古い家だが、彼が気に入っている庭に立ち、背後に聳える山々を眺めていた。瑞光山清水寺があり、そこの本堂の前に立てば、そこに立ち振り向けば、中海が見える。さらに、その先に行けば国衙海岸に出る。彼はその海岸が何よりも好んだ。毎朝日が上らぬ内に、清水寺の本堂に手を合わせることにしている。
長右衛門は九号線から逸れた。この時から、老人の心はいつも緊張の最中に入り込んでしまう。
ところで、里崎登美子には祖父の不審な動きがいつからか気になっていた。といっても、何か悪いことをやっているような雰囲気があるのではなく、祖父はいつの間にか家からいなくなるのである。
「おじいちゃん、何処へ行くの?」こう訊いても、長右衛門は答えずに行ってしまうのである。
「何か・・・可笑しい」
この所、ずっと気になって仕方がなかった。そうかといって、
「何処へ行くの?」
と聞いても答えない。彼女はそれ以上訊く気は全くなかったのである。だが、気になっていた。その思いは一層強くなっていたのである。
そこで・・・
「よし!」
登美子は祖父の後を付けて、何処へ行くのか確かめてやろうとおもった 。
その日は五月の少し蒸し暑い時で、登美子はいつものようにスケボーを持ち祖父の後を付けた。
(何処へ・・・)
と考えたが分かるわけがない。それを確かめるために後を付けるのである。彼女には少しの不安もなかった。これまでも、愛用のスケボーを持ち、愛する島根の町々を遊びまくっていたのである。中には町の名前が知らない場所に迷い込んだこともあった。したがって、彼女自身が美知に迷っても、彼女のスケボーが来た道を家まで連れ戻してくれた。彼女はそう思っている。一歩その場所を出れば、不安は少しもなかった。
だから、登美子は自分の住んでいる島根の地理に全く無知ではなかった。彼女が良く行く場所はスケボーで遊べる公園であり、足を伸ばして弓ヶ浜海岸まで行き、防波堤を愛用のスケボーで一日中遊ぶことがあった。島根県の安来の町が好きで、大きく息をすると中海の潮の香りがつーんと鼻を突いてくる。彼女はこの匂いに一瞬顔をしかめるのだが、すぐ気分を変え、中海を周遊するように走っている道路に出ると、周りをキョロキョロと見、車が少ないのを確認すると、スケボーに乗り始める。
ところで、彼女の乗るスケボーだが、ちょっとした細工がしてあった。その細工をしたのが祖父の長右衛門なのである。その細工の秘密を、今は説明しないでおく。いずれ、その時が来るかもしれない。それまでは、この物語を進めることにする。
今、里崎登美子は祖父の眼に触れないように余り着たことのない服を着て、色付きの伊達メガネを掛けていた。白のTシャツを着て、これまた白の短めのスカートをはいていた。身体がそんな大きくないのだが、着る服によって大人に見え、今の姿はとても十六歳には見えない。学校の制服を着ても、女の子・・・いやもうれっきとした女に見えたのである。
(何処へ行くのかな?)
こう考えながらも、祖父の後を付けるのに、彼女は結構楽しんでいた。
前々から祖父が家族に隠れて何かをしているのを、彼女は察知していた。
「あっ!」
祖父が国道から逸れた。
「近いかも知れない・・・」
長右衛門が行こうとしている場所がである。登美子は身をひそめた。祖父が振り向くかも・・・と思ったからである。
だが、長右衛門は振り向くことなく、その目的地に向かっていた。
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