第11話 長男:本音と望み

長男である葉羅は、つつがなく平穏な日々を好んでいる。

だからこそ生き返ったどころか犬になった(しかも飼い犬に取り憑く形で!)と分かったときには戸惑いもしたし、眩暈さえ感じたのだが。

慣れとは恐ろしいものである。

現在ではこの身体にも順応し、あのころ感じた戸惑いも今や彼方だったりする。

……いや、正直に言うと、諦めが半分といったところか。

どんなに喚こうが騒ごうが、犬であることに変わりはないのだから。


「では、葉羅さまは今の生活を気に入っていると」

「話聞いてたか?あと、さま付けはやめてくれ」

「なぜでしょう」


頭上から不思議そうな声が降ってきて、葉羅は意識せずとも半眼になった。

「何度も言っているが、矢助を助けたのは祖母であって俺たちは関係ない。よって俺たち兄弟のことは普通に呼んでくれ。なんだか身体がむず痒くなる」

「そうですか。では、葉羅どの」

「なんだ?」

矢吹と葉羅は縁側で言葉を交わしていた。

頭上からは木々の隙間から穏やかな日差しが降りそそいでいる。

「本当に成仏されたいと思っているのですか」

「ああ。俺はとうに死んだ人間だから」

さっぱりとした物言いだった。

「とはいえ」

スンと鼻を鳴らしたかと思うと、お腹を床につけて葉羅は身を伏せた。

「この世にいるべきじゃないと分かってはいるが、戻ってきた時は嬉しかった。なんせ弟たちとまた会えたからな」

そう言って目を閉じる。

「死んだとき、俺は二十三だった。一番下の月次郎はまだ九つだった。その月次郎が十四になった姿を見られたんだ。月次郎だけじゃない。遥正は俺を追い越したし、風夜はあの頃の俺と同い年だ。朔乃だってもう大学生になった」

弟たちの名前を連ねる声には感傷がにじんでいた。

そうでしたか、と矢吹が静かに相槌を打つ。


五年も経てば変化はあるだろうと思っていた。

だが外見の変化を除けば、弟たちはなにひとつ変わっていなかった。

それぞれの懐かしい気配と口調は犬の姿になっても馴染みがよかった。

ただ、やたら末っ子をかまう四男を見ていると、コイツ、こんなに月次郎にべったりだったか──?などと疑問点はあるが、自分がいない間の出来事は知りようがない。


「誰か訪ねに来たようです」

ふいに矢吹がそう言った直後、玄関のインターホンが鳴った。

続けて鍵を回す音。

「しまった。忘れてた」

どこか焦った声音で葉羅が立ち上がる。焦りすぎて縁側からあやうく転げ落ちそうになった。

「お邪魔いたします」

聞き覚えのある声がして、誰かが家に上がる気配がした。

「食事を作りに来てくれる益恵ますえさんだ。お世話になっているから失礼のないように」

そこまで言ったとき、背後のふすまが開いて女性が姿を現した。

「──まあ。どちらさま?」

目を丸くした益恵はしげしげと矢吹を見ている。無理もない。

「益恵どのでいらっしゃいますね。矢吹と申します。先日からこの家でお世話になっております」

深々と頭を下げた矢吹を呆気に取られた表情で見ていたが、犬の姿である葉羅に視線をやった益恵は、気を取り直した様子で息をついた。

「そうでしたか。タロウさんが吠えないって事はそうなのでしょうね。……伺っていなかったから、びっくりしてしまったわ。ごめんなさいね」

笑顔になった益恵は簡単に自己紹介をすませると台所へと向かっていった。

益恵の姿が消えると同時に、葉羅は盛大にため息をついた。


「ああ、ヒヤヒヤした……二人のことを益恵さんに伝えるのを忘れていた」

「葉羅どの。あの方に言っていないのですか」


矢吹の質問の意図を汲んだ葉羅は、前足を前方に出して伸びをしながら答えた。

「俺がタロウの中にいることは兄弟しか知らない。離れて暮らす父親にも言ってない」

顔を上げると矢吹と視線がぶつかった。その目が、何故、と問いかけている。

「普通のことじゃないだろ。いつまでこの身体にいるか分からないし、父親は仕事を放っぽりだして海外から帰って来かねない。心配かけたくないんだ」

感情を抑えたような淡々とした声音だった。だからこそ本心なのだろうと矢吹は予測した。


「今のお父様とは血が繋がっていないと先日お聞きしましたが」

「それがどうした」

「いいご関係なのですね」

「……まあな」


続けて何かを言おうとした葉羅だったが、

「──これはこれは、ご挨拶が遅れました!」

とつぜん明るい声が響き渡った。

台所に顔を出すと、意気揚々と益恵に話しかける矢助の姿があった。

「益恵どのと申されましたか。矢助と申します!矢吹の弟です、以後お見知りおきを」

一体どこから会話を聞いていたのか定かではないが、とんだ地獄耳だ。

「あらまあ、こちらこそよろしくお願いします」

大根を切る手を止めた益恵が、にこやかに挨拶を返した。

「弟さんもいらしたのね……そうだわ、今後は作る食事の量を増やした方がいいのかしら」

口元に手をあてた益恵に向かって、矢助が、ぱっと口角を上げた。

「それは有難い!いやあ嬉しいかぎりで、」

「大丈夫です」

矢吹が前に出たかと思うと矢助の台詞をさえぎった。

「どうか私たちのことはお気遣いなく。この地域の田畑はさいわいにも獲物が豊富で──」

「ワンッ!」

今度は矢吹の言葉に吠え声が被さった。

いいからふたりとも黙ってろ、の意思表示である。

益恵は不思議そうに二人(と一匹)を見比べていたが、「そうですか?でも、念のため後で風夜さんに訊いておきますね」と頷くと、手元の作業へと戻っていった。



「お前は本当に、本っ当に、余計なことしか言わぬ。ああいうときは遠慮しておくのだ」

「そんなこと言って、姉上だって余計なひと言が過ぎますでしょ」

「なんだと!」

益恵が帰っていったあと、途端に家の中が騒がしくなった。

ますます平穏が遠ざかる……と思わずにいられない葉羅は、ぺたりと両耳を伏せた。




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