第24話 凜奈1 スプリット

 ワタシは地区予選を勝ち抜いて、甲子園に出場したい。

 それは公言している。

 本当のことを言うと、甲子園で優勝したい。

 我ながら大それた望みだと思うので、それは公言していない。


 さらに本音を言うと、ワタシは時根と甲子園に出場して、優勝したいのだ。

 時根と、というのが重要だ。

 彼と一緒でなければ意味はない。

 彼との最高の思い出をつくって、ワタシが生きていた証を世界に残したい。

 時根の心にも、ワタシとの思い出を刻みつけたい。

 それが望みだ。


 野球の強豪校には行きたくなかった。

 むしろ弱小校がよかった

 野球同好会から部に昇格して、ついには甲子園で優勝するなんていう展開は最高だ。

 この上なく素敵な時根との思い出になる。

 青十字高に進学して正解だったと思っている。


 ワタシは燃えている。

 決め球が欲しい。

 ストレートには自信を持っているが、さすがにそれだけでは全国大会で優勝するのはむずかしいだろう。

 時根はカーブの練習をしようと言うが、それでは絶対的な決め球にはならない。

 そんなカウント取りの変化球はいらない。

 ストレートを極めた方が良いくらいだ。

 スプリットが良いのではないかと思っている。


 スプリット・フィンガー・ファストボールあるいは高速フォークともいう。

 魔球みたいなスプリットを投げられるようになりたい。

 ワタシはかなり速いストレートを投げることができる。

 その速球に近いスピードのスプリットなら、必殺変化球になりうるのではないかと考えている。

 そんなボールを投げたい。


 ネットでスプリットの投げ方を研究した。

 人さし指と中指でボールを挟んで投げる。

 フォークほど深く挟まないで、浅めに挟む。

 ボールの回転数を落とし、空気抵抗を増やして、落下させる変化球。

 フォークより落差は小さいが、速球に近い速度を保てるらしい。

 ものすごいスピードのスプリットを投げられるようになりたい。

 肘への負担が大きいらしい。

 それを懸念して、時根はカーブを勧めてくれているのだ。

 だが、ワタシは心配していない。

 怪我を怖れてはいない。


 ワタシは普通の人より怪我が治りやすい体質なのだ。

 ちょっとした傷ならひと晩眠れば治る。

 大きめの傷も、3日経てばたいてい治る。

 そういう人なのだ。

 もしかすると人ではないかもしれない。

 ワタシは変身生物かもしれない。

 中学生のとき、その可能性に思い当たって、ものすごく悩んだ。


 ワタシは時根が好きだ。

 彼はやさしくて正義感が強くてカッコいい。結婚したい。

 でも、ワタシは変身生物かもしれない。


 変身生物は弾圧されたり、殺されたりする危険性があるとお父さんとお母さんが話していたことがある。それを立ち聞きしてしまった。

 ワタシはある日突然殺されるかもしれない。

 そんな女と結婚したら、時根は不幸になる。

 ワタシには彼と結婚する資格はないのかもしれないと思って、悩んだ。


 中学2年のとき、時根がワタシに告白してくれた。「好きだ」と言ってくれた。死にそうなほど嬉しかった。

 でも、そのころワタシは深く悩んでいたのだ。

 時根と結ばれたら、彼がしあわせになれないかも……。


 告白を断るという選択肢はない。そんなことはできない。だけど、受けていいのか?

 なんて答えればいいのかわからなくて、ワタシはダッシュして逃げてしまった。

 その後、めちゃくちゃ後悔した。


 結婚は無理かもしれないけれど、ワタシの破局が来るまで、時根とつきあえば良かったんだ。

 破局なんて来ないかもしれないし。

 失敗した。

 でもまあいい。

 時根の親友というポジションは確保している。それも悪くない。

 彼とバッテリーを組んでいるというのも良い。

 彼はワタシの捕手で、ワタシは彼の投手。悪くない。

 ワタシは野望を抱いた。

 時根と共に甲子園で優勝する。

 そのとき、きっとワタシと時根の心は固く結ばれ、思い出は永遠に残るだろう。


 日曜日、時根を誘った。

「スプリットの練習をしたい。受けてほしい」

「カーブにしようよ」

「ごめん。このわがままは聞いてくれ。頼む」

 ワタシたちは河原へ行った。

 空き地がいっぱいあって、ピッチング練習ができる。


 ワタシはネットで調べたスプリットの投げ方を試した。

 パン、という音がして、時根がボールを受けた。

 彼の表情が変わった。

「落ちた……?」

 何度も投げた。

「すごい。落ちてるよ!」と時根が言う。


 ワタシは落ちる変化球を投げている。

 でも、スピードが物足りない。

 もっと速いスプリットを投げたい。

 身体と心をリラックスさせ、速い球を投げたいという欲望をいったん捨てる。

 その方がかえって速い球を投げられるということを、ワタシは経験から知っている。

 身体を柔らかく使うことだけを心がけて球を放る。

 パーン、という捕球音が鳴る。


「速いスプリット。良い球だ」と時根が言う。

「低めに投げてみて」

 的確なアドバイスだ。

 低めに決まるスプリットは有効らしい。

 高めのスプリットは打者に変化を見破られやすいが、低めはストレートと見分けがつかないことがあるそうだ。まっすぐと見誤って、打者は空振りしてしまう。

 ワタシは低めのスプリットを投げる。


「すごいよ。完全にスプリットになってる。きみは天才だ」

 時根の賞賛が気持ちいい。

 もっと速いスプリットを。

 魔球のようなスプリットを。

 ワタシにしか投げられないスプリットを。

 投球練習をつづける。

「ナイスピッチング!」と時根が言う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る