第22話 土曜日の練習 

 土曜日、きみと僕は午前8時20分ごろにグラウンドに到着した。

 そのときすでに、志賀さんとネネさんは1塁側のベンチに座って、おしゃべりをしていた。

 雨宮先輩と能々さんもいた。ダイヤモンドの中でキャッチボールをしている。


「だめだよー。練習開始は8時半から。まだ高浜先生が来ていない。監督の指示は守ろう!」ときみは言う。

「ただのキャッチボールだぜ。遊びだよ」と雨宮先輩は言い返す。

「だめだって。ここは青十字高のグラウンドで、キャッチボールはれっきとした練習だよ。それに能々さんは元ソフトボール部で、硬球は慣れてないでしょ? 怪我したときに責任取れるの、先輩?」

「わかったよ」

「あのあの、すみませんでした」


 ふたりはキャッチボールをやめ、3塁側のベンチに座った。

 雨宮先輩がなにか冗談を言い、能々さんが笑い声を立てた。

 8時25分に草壁先輩が現れ、約束の時間ちょうどに高浜先生がやってきた。

 先生の前に、部員7人が集まった。 


「おはよう」

「おはようございます」

 先生は僕たちを見回した。

「つい先日までゼロだったのに、よく増えたもんだぜ」

「もっと増やします」

 きみは右手を握りしめる。

「そうだな。9人いなきゃ、試合もできねえ」

「はい」

「9人揃っても、やれるとは限らねえけどな。ど素人を試合に出すわけにはいかん。野球は簡単じゃねえ」


 志賀さんとネネさんの表情がこわばった。

 能々さんも野球は素人だが、ソフトボールの経験者だからか、顔色を変えなかった。


「ワタシが全打者を三振に取れば、守備がザルでも勝てます」ときみは言った。

「それはあたしの台詞だ。あたしがすべてのバッターを絶望の淵に落としてやる」と草壁先輩は言った。

「戯言を言うやつも試合には出さねえ」

 高浜監督はふたりの投手を睨んだ。

「練習開始だ。全員走ってこい。外周を4周しろ!」

「ひいっ」と志賀さんがうめいた。


 各部の練習場を含む青十字高河川敷運動場の外周は約1.5キロ。

 4周すると、6キロ程度のランニングになる。

 きみと草壁先輩が先頭に立ち、速いペースで走り始めた。

 雨宮先輩と能々さんがついていく。

 志賀さんとネネさんは遅れる。僕はふたりにつきあって、緩いペースで走る。


「は、は、走るのは、に、に、苦手です」

「野球部の練習って、やっぱ走るんじゃな。はあっ、はあっ、きついのじゃ」 

「慣れるとけっこう楽しいですよ、ランニング」


 走り終えたとき、ふたりはバテバテになっていた。練習の本番はこれからなんだけどな。

 ランニングにつづいて、監督は僕たちにストレッチと筋トレを課した。

 志賀さんとネネさんは悲鳴を上げた。


「さて、ボールを使うぞ。俺はずぶの素人を教える。毬藻、志賀、能々、俺について来い。空尾、草壁、雨宮、時根、必要だと考える練習を自主的にやれ」

「あのあの、監督、わたしは素人ではありません」

「俺はソフトボールのことはよく知らん。おまえも野球のことはよく知らんはずだ。ましてや硬式野球のことはな。俺が認めるまで、おまえは素人だ」

 はーい、と不服そうに能々さんは答えた。


「オレたちは投球練習をしようか。空尾のボールを受けてみたい」と雨宮先輩は言った。

 きみはふるふると首を振る。

「どうした? 投げたくないのか?」

「投げたいけど、ワタシの球を受けるのは時根だよ。先輩じゃない」

「は?」

「ワタシの捕手は時根だけなの」

「おいおい、誰に対しても投げれなきゃだめだろ」

 きみはまた首を振った。


「時根、おまえの相棒になにか言ってやってくれよ」と雨宮先輩は困惑したようすで言う。

 僕も首を横に振った。

「空尾のボールを受けるのは僕です。譲りたくありません。雨宮先輩は草壁先輩の投球を受けてください」

 すると、草壁先輩も首を振った。

「あたしも時根に投げたい」

「はあっ?」

 雨宮先輩の顎ががくんと下がった。


「おい、草壁。恋愛絡みのいざこざは水に流そうぜ。グラウンドではシンプルに野球だけをしよう」

「もちろんそうする。あたしは野球に賭けているんだ」

「じゃあ投球練習をしよう。空尾のストレートに興味があるが、おまえの変化球も久しぶりに受けてみたい」

「あたしは時根のキャッチングが気に入ったんだ。こいつに受けてもらいたい」

 草壁先輩が僕を指差した。

「草壁先輩、僕のキャッチングはたいしたことありませんよ」

「あたしの変化球を初めて受けて、1球も逸らさなかった。良い捕球音をさせてた。時根があたしのキャッチャーだ」

「僕は同時にふたりのピッチャーを相手にすることはできません。雨宮先輩に受けてもらってください」

「しかたないな……」

「しぶしぶかよ」

 雨宮先輩はかなり嫌そうな表情になった。


 きみと僕、草壁先輩と雨宮先輩の組み合わせで投球練習をした。

「速えな!」

 きみの投球を見て、雨宮先輩がうなった。

「空尾がおまえにしか投げないって言うんなら、オレは別のポジションの練習をするしかないか……」

「すみません」

「だけど、おまえも別ポジの練習をしておけよ。最終的にポジションを決めるのは監督だ。オレは正捕手をあきらめたわけじゃない」

 僕はうなずいた。

 きみはプロ野球の投手になれるかもしれない。誰に対しても投げれなきゃだめという先輩の言葉は正しい。


 その後、きみはバッティングピッチャーになり、志賀さん、ネネさん、能々さんを相手に打ちやすいボールを投げた。

 志賀さんはまた快音を鳴らして、打球を外野に飛ばした。

 ネネさんは空振りばかりだ。

 能々さんはソフトボール経験者なだけあって、ときどきボールを前に弾き返していた。


 僕と草壁先輩と雨宮先輩は交代でノックをして、守備練習をしようとした。

 しかし、草壁さんはまともにノックをすることができなかった。バットにボールを当てるセンスが壊滅的。

 ノックは僕と雨宮さんが行った。

「草壁、空尾が投げるとき、おまえはピッチャー以外の守備位置につかなきゃならないんだ。そのつもりで真剣にノックを受けろ」と雨宮先輩は言った。

「あたしは全試合登板し、完投する!」

「戯言言うな!」

「あたしがエースだ!」

 文句を言いながらも、草壁先輩は楽しそうにゴロをさばき、フライを追った。

 やがて正午が訪れて、土曜日の練習は終わった。 

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