第19話 野球部再建

 4月22日金曜日、きみと僕が練習に行こうとして、廊下を歩いていたときのことだ。

 ひとりの女子生徒に呼び止められた。


「あのあの、野球部をつくろうとしている時根くんと空尾さんだよね?」

 背が僕より高く、髪は短く、胸に女子特有の膨らみがまったくなくて、制服を着ていなければ性別がわかりにくい子だった。

 中性的な美しさがある。美少年的な少女、と言ってもいいかもしれない。


「そうだけど」と僕は答えた。

 正確には創部ではなく、再建だが、まあいちいち訂正しなくてもいいだろう。

「あのあの、わたし、1年C組の能々野々花ののののかって言います」

 のののの?

 彼女は生徒手帳を見せてくれた。ああ、そういう漢字なのか。


「あのあの、実はわたし、中学のときソフトボールをやってて、つづけたかったんだけど、この学校にソフトボール部がなくて」

 まくしたてるように彼女は言う。非常に早口だ。

「それでしかたないから、野球でもいっかと思って。野球部?野球同好会?に入りたいんだけど」

 しかたないからというのは引っかかる言い方だが、こちらにはなんとしてでも部員を増やしたいという事情がある。

「歓迎するよ」と僕は即答した。

「やったぁ!」ときみも言った。


 善は急げ。能々さんを職員室に連れていって、高浜先生に引き合わた。もちろん入部届に記入するよう頼んだ。

「あのあの、わたしの実力とか見なくていいんですか? いきなり入部決定しちゃっていいんですか?」

「僕らの野球部にはまったくの初心者もいるんだよ。ソフトボールの経験があるなら大歓迎だ。そうですよね、先生?」

「そうだな。ぜひ入ってくれ」

「あのあの、じゃあ入ります」

 能々さんは入部届を高浜先生に提出した。新入部員確保。


「これで部員が5人になった。部に昇格できるよね?」ときみは言う。

「うん。生徒会室に報告に行こうか」

 きみと僕は能々さんも連れて、2階にある生徒会室へ向かった。

「あのあの、部員は私を含めても5人しかいないの?」

「うん。そうなんだ」

「あのあの、それじゃあ試合もできないじゃない。わたし、球技の試合がしたいの。やっぱりバスケットボールとかにしようかな」

「必ず9人集めるから。安心していいよ」と僕は根拠なく請け負う。逃がしてたまるか。


 生徒会室のドアをノックする。「どうぞ」という声が聞こえた。

 中に入ると、以前と同じ4人がいた。喜多生徒会長が一番奥に座っている。


「ようこそ生徒会室へ! 空尾野球同好会長、時根会員、新顔さんもいるな」

「新入部員の能々野々花さんです」と僕は紹介する。

「喜多会長、もう野球同好会とは言わないでください。5人揃ったの。部への昇格、認めてもらえますよね?」ときみは言う。

「その子が5人目か」

 会長は能々さんに目をやった。


 喜多さんは背が高い女子だが、能々さんはさらに高い。180センチ以上ありそうだ。

「その背の高さ、野球部にはもったいない子だな。バスケットボールかバレーボールの方がいいんじゃないか?」

「あのあの、やっぱりそう思います?」

「もう入部届を出してもらっています! 余計なことは言わないでください!」

 すまんすまん、と会長は言った。

「おめでとう。5人揃ったなら、昇格を認める。いまからきみたちは野球部員だ。お祝いに紅茶を振る舞いたい。座ってくれ」

 僕たちはパイプ椅子に座った。

 能々さんとは対照的に、非常に背が低い生徒会書記の毬藻ネネさんが、ていねいに紅茶を淹れてくれた。


「ダージリンなのじゃ」

「いただきます」

「あのあの、とっても良い香りですね」

「本当に」

 かぐわしい紅茶の匂いを嗅ぎ、僕は部になった歓びを噛みしめた。

「次は9人をめざします。きっと甲子園に出ますから!」ときみは強気に発言する。

 きみがいればできるかもしれない、と僕も思っている。


「甲子園。魅惑的な響きなのじゃ」とネネさんは言った。

「行ってみたいのじゃ」

「野球部が甲子園に出場したら、応援に行こう」と会長は言った。

「そうではないのじゃ。私は選手として甲子園の土を踏んでみたいのじゃ」

 ネネさんはじっと喜多会長を見つめた。


「ネネくん、なにを言い出す?」

「私は物語みたいな青春を送ってみたいのじゃ。生徒会にそれがあるかもしれないと思ってた。でも、それなりに面白かったけれど、物語みたいではなかった。甲子園をめざす青春。やってみたいのじゃ」

「物語? きみはそんなことを考えていたのか」

「そうなのじゃ」

 ネネさんは両手を胸の前に上げて、握りこぶしをつくった。ちっちゃな手だ。


「きみは野球をやったことがあるのか?」

「ないのじゃ。でも運動は好きだし、なにより野球部にはまだ5人しかいなくて、レギュラーになれる可能性は高いのじゃ。やってみる価値はある」

「やれますよ、ネネさん!」と僕は煽った。

「6人目!」ときみは叫んだ。

「ネネくん、生徒会はどうなる?」

「辞めさせてもらうのじゃ。私は青春を賭けたなにかをやりたい。中途半端は嫌なのじゃ」

「きみが入っても、野球部はまだ6人で、試合もできないんだぞ?」

「メンバーを集めるところから始める。物語みたいなのじゃ!」

 喜多会長は激昂した。


「野球部ぅ! 生徒会の敵なのか? ボクからネネくんを奪うとは!」

「ネネさん、初心者歓迎です。基礎から教えます。ぜひ野球部に入ってください!」

「やめろおぉ。ネネくんは大切な生徒会のマスコットなんだ!」

「会長、いままでお世話になりましたなのじゃ。私は残り2年間の高校生活を野球に賭けてみるのじゃ」

「早まるなぁ! 甲子園出場は容易ではないぞ!」

「夢でもないのじゃ。私は空尾さんと時根くんの中学時代の戦績を調べた。ふたりは野球の天才なのじゃ」

 う、と会長はうめいた。


「ボクも期待はしている……」 

「決まりです。みんなで甲子園へ行きましょう。ネネさん、顧問の高浜先生のところへご案内します」

「よろしくなのじゃ」

「うわあぁぁぁ。野球部なんかにネネくんを取られたぁ」

 生徒会室に喜多会長の嘆きが響いた。

 僕たちはまた職員室へ行き、ネネさんは入部届にサインした。

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