第3話 きみと僕と家族
「ポスターをつくろう」
ふたりだけの野球練習を終え、一緒に下校する途中できみは言う。
青十字高校の校門を出て、歩いて駅へ向かっている。駅前には商店街があり、きみと僕のお気に入りのラーメン屋さんがある。大勝利軒という名で、透明な煮干し醤油のスープが美味しい。チェーンのハンバーガーショップやファミリーレストランもある。
「入部勧誘のポスターだね」
「そのとおり。頼んだよ、時根」
「僕に丸投げ?」
きみはにかっと笑う。
「キミだけが頼りだ。素晴らしいのを描いてくれ」
「きみも描けよ」
「ワタシにポスターをデザインするセンスはない!」
僕はため息をつく。威張って言うな。
きみにあるのは並はずれた美貌と運動能力だけ。学力はお世辞にも高いとは言えず、芸術的才能は壊滅的だ。
よく偏差値がそれなりに高い青十字高校に合格できたものだ。
受験のときだけ変身生物の特殊な能力でも発揮したのではないかと僕は疑っている。
きみは変身生物じゃないのか?
つくりものめいて整った容姿もそれで説明がつく。
完璧なバランスの目鼻立ち、黒く艶めく枝毛ひとつないセミロングの髪、日焼けしにくい透き通るように白い肌、美しい曲線を描く長い手足。
疑念は消えることはない。
まあいい。人間でも変身生物でもどちらだとしても、きみを好きなことに変わりはない。
僕は世界史の境川先生のような変身生物駆除派ではない。
どちらかというと擁護派だ。
きみ以外の変身生物に対しても、特に敵意はない。人に危害さえ加えなければ、放っておいてもいいんじゃないかと思っている。
侵略はかなり進み、すでに人間のふりをした変身生物が大勢、世界に紛れ込んでいるらしい。彼らが急にいなくなったら、社会を維持し、運営することはできないという説もある。もはや人間と変身生物は共存共栄しているというのだ……。
きみと僕は20分ほど電車に乗り、同じ駅で降りる。住宅街を歩いて、自宅へ向かう。僕たちは幼馴染で、家は隣合っている。
似通った2階建ての一軒家。僕の家にはホンダのNボックスが駐めてあり、きみの家にはトヨタのプリウスがある。
「明日は土曜日だ。がんばってポスターを描いてみるよ」
「応援しに行く」
「邪魔はしないでくれよ」
きみと僕は手を振り合って、それぞれの家に帰る。
翌日、午前10時ごろにきみは僕の家を訪れた。
「おはようございまーす。おじゃましまーす」
きみは元気よくあいさつする。慣れたものだ。時根家と空尾家は家族ぐるみのつきあいで、みんな仲がいい。
僕の家族は建設会社勤務の父と専業主婦の母、大学3年生の姉。
きみの家族はふたりとも公務員の両親、中学2年生の妹。
たまに2家族全員でバーベキューを楽しんだりする。両家の父親が車で牧場直営の肉屋へ買い出しに行き、高級な肉をたっぷりと仕入れる。
炭火で焼き始めると、みんなが肉!肉!肉!とはしゃいで、騒がしいことになる。きみの妹の
「いらっしゃい、凜奈ちゃん」
母さんが玄関に出て、笑顔できみを歓迎する。土曜日だが、父さんは今日も出勤している。仕事が忙しいのだ。
「おはよう」と僕も玄関であいさつする。
「
「いや~ん、凜奈ちゃんったら、正直者ね」母さんはころりと乗せられる。チョロい母なのだ。
きみはローファーを脱いで、家に上がる。
「よく来たな、凜奈」
リビングのソファにだらしなく座り、朝っぱらからビールを飲んでいる姉の
姉の名付け親は父でも母でもなく、キリスト教徒である祖母。姉が生まれた日、大天使ミカエルを幻視したそうだ。
「おはよう、美架絵流さん」
「野球しようぜ、凜奈。今日こそおまえの球を打つ」
姉さんは大学のバスケットボールサークルに所属。運動神経抜群で、球技全般を好んでいる。だが、姉はきみの本気の速球を打ったことはない。そのスイングは常に空を切る。きみの球は容易に打てるようなものじゃない。
「ごめん。今日は忙しいの。野球部のポスターをつくるんだ」
「描くのは僕だろ。姉さんと遊んでたっていいぞ」
「そういうわけにはいかないよ」
「描き終わってからでいい。後で3人で野球しよう」
姉はロング缶のビールを飲み、大画面のテレビで中国の歴史ドラマを見ている。秦の始皇帝、
きみと僕は階段を上り、2階の僕の部屋へ行く。
僕はポスターを描く準備をする。スケッチブックを学習机に置く。
きみは僕の本棚からエルフと人間の恋愛漫画を抜き取って、ベッドにダイブした。
「躊躇なく僕のベッドで寝るのはやめろ」
「いまさらじゃん。ここはワタシの憩いの場所だよ」
「僕たちは高校生の男女だぞ。そろそろそういうことを気にしてくれよ」
「えーっ、ワタシたち、長年連れ添った幼馴染じゃん?」
「それでもだよ。僕は健全な男子高生なんだぞ」
「ワタシ、襲われちゃう?」
きみは色っぽく身をよじる。
「マジで犯すぞ」
「きゃーっ、やめてー。海香おばさん、美架絵流さん、助けてー」
実のところ、僕には同意なしにきみを抱く勇気はないし、きみもそれを見切っている。
スケッチブックを開いて、僕はポスターを描いていく。まずは鉛筆で下描きをする。
バッターボックスに立つ打者を描く。「来たれ野球部」と大きな文字を入れる。
「絵は割とうまいけど、標語はありきたりすぎる」ときみは文句を言う。
漫画を読みながら、注文だけはつけるきみに理不尽を感じる。
「代案を出せ」
「行くぜ甲子園、とかでいいんじゃない?」
「それだときびしい練習はしたくないやつが引かないか?」
「そんなやる気のないやつはいらない」
「部員を9人以上集めたいんだろう? 贅沢を言うな」
「じゃあ、甲子園へ連れていくよ、でどうかな?」
「きみの自信が鼻につく」
「甲子園が待っている」
「いいかげん甲子園から離れろ。初心者大歓迎、一緒に野球しましょう、でどうだ?」
「初心者は歓迎しない。経験者がいい」
「だから贅沢は言うなっての!」
侃々諤々と議論した末、結局ポスターの文字は「来たれ野球部」に戻った。
昼食は母さんがつくってくれたサンドイッチ。
午後3時ごろ、僕は水彩画のポスターを描き上げた。
1階へ下りると、母さんは出かけていて、野球をしたがっていた姉さんは酔いつぶれてソファで眠りこけていた。
テレビはつけっ放しで、ビールの空き缶が散乱している。
きみと僕はふたりだけで河原へ行って、キャッチボールをした。
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